福地元春
福地 元春(ふくち もとはる、1990年6月21日 - )は、沖縄県名護市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ。 経歴プロ入り前沖縄県名護市出身。自由ケ丘高等学校では九州大会ベスト8が最高で、甲子園出場はなかった。しかし、与えられたメニューをこなすような真面目な性格もあり遅咲きではあるが、将来性が期待された。 高校卒業後は九州共立大学に進学し、1年秋からリーグ戦に出場したが、目立った活躍がないまま三菱重工横浜に就職。大学の1年後輩に大瀬良大地がいる[1]。 三菱重工横浜(2014年から三菱日立パワーシステムズ横浜)では1年目から救援投手として公式戦に出場し、2年目には都市対抗野球に出場した。 2014年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから4巡目指名を受け、契約金5000万円、年俸950万円(いずれも推定)で仮契約した[2]。背番号は「28」。入団後は監督の中畑清から5キロの減量を命じられた[3]。 DeNA時代2015年6月23日に一軍登録され[4]、6月28日の阪神タイガース戦でプロ初登板。主にビハインドで登板し、13試合に登板した。 2016年は二軍で29試合に登板して2勝0敗1セーブ、36回2/3を投げて防御率0.74と成績を残した[5]。しかし、一軍では6試合で防御率10点台と精彩を欠き、2017年は一軍での登板はなかった。 2018年も一軍での登板がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[6]。11月13日にタマホームスタジアム筑後にて行われた12球団合同トライアウトに参加し、打者3人を無安打に抑えた[7]。 独立リーグ時代2018年12月4日、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)に所属する信濃グランセローズの選手兼任投手コーチに就任することが同球団から発表された[8][9]。 2019年、2020年とNPB復帰を目指し、初のコーチ業に取り組みつつプレー。救援起用が目されていたが、ほとんどの試合で先発投手として起用された[10]。2020年11月20日に退団が発表された[11]。 2021年は地元沖縄県の独立球団・琉球ブルーオーシャンズに入団[12]。同年途中で退団を申し出、9月17日付で杉山翔大とともに自由契約となった[13]。12試合の登板で67回を投げ、6勝2敗、防御率2.28の成績だった[14]。 10月31日、九州アジアリーグに所属する火の国サラマンダーズのトライアウトを受験するも[15]、合格には至らなかった。12月12日、同じリーグに所属する大分B-リングスが新入団選手兼任コーチとして契約に合意したと発表した[16]。 2023年2月23日に球団ウェブサイトに公開された今シーズンの選手紹介では、背番号が「75」に変更されている[17]。同年シーズンは12セーブをあげてリーグの最多セーブのタイトルを獲得し、抑え投手の部門でベストナインにも選出された[18]。 2024年シーズンも14セーブを記録し、最多セーブのタイトルを獲得した(中村総一郎とタイ)[19][20]。11月18日、任意引退公示がなされた[21]。コーチ職の退任は正式な発表がないが、球団X(旧Twitter)には同日「退団選手よりご挨拶」としてコメントが掲載された[22]。 選手としての特徴最速151km/hのストレートを最大の武器に、スライダー、カーブ、チェンジアップも投げるパワーピッチングが持ち味[23]。 詳細情報年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
背番号
登場曲脚注
関連項目外部リンク
|