福田 翔大(ふくだ しょうた、2000年11月28日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はハンマー投。アジア陸上競技選手権大会バンコク大会(英語版)ハンマー投げ銅メダリスト。大阪府箕面市出身。身長189cm、体重112kg[1]。
経歴
箕面市立東小学校、箕面市立第六中学校、大阪桐蔭高等学校、日本大学スポーツ科学部、同大学院総合社会情報研究科を経て、現在は住友電工に所属[2]。
幼少時からテニスやサッカー、水泳など様々なスポーツを経験しながら育つ[3]。箕面市立第六中学校で「好きな先生が教えていたから」という理由で陸上競技部に入部[2][3]。当初は走り幅跳びを専門としていたが、身長が急激に伸びたことにより成長痛で記録が伸び悩んだためハードルに転向するも、肉離れにより走ることができなくなり、投てきが専門の顧問からの勧めで砲丸投を始めた[4]。
中学では近畿大会にすら出場できなかったが、大阪桐蔭高等学校陸上競技部顧問の花牟禮武の誘いで2016年に同校に進学。ハンマー投をメインに、砲丸投をサブ種目として取り組み、高校2年のU18日本選手権砲丸投で全国大会初出場を果たす(11位)。高校3年のインターハイでは両種目で4位とすると、10月に行われた国体ハンマー投男子Aにて2位、U20日本選手権ハンマー投で当時高校歴代3位となる66m66を記録し優勝を果たした。
2019年に日本大学に進学。室伏重信投擲コーチの指導を受け、2020年には日本インカレで69m61を投げて初優勝。この記録は室伏広治が中京大学2年生だった時のベスト(69m54)を上回るものだった。
2021年、地元・大阪で開催された第105回日本選手権で71m37を投げて初優勝。同じく大学3年で初優勝を果たした室伏の優勝記録(69m72)を上回った[5]。
2023年には第107回日本選手権で自己ベストの71m79を投げ2年ぶりの優勝を飾ると、同年7月のアジア選手権で自己ベストを1cm更新する71m80で銅メダルを獲得[6]。さらに同年10月の日本インカレで72m01を投げて27年ぶりに大会記録を更新して優勝[7]。しかしメダル獲得が期待された杭州アジア大会では68m74で6位にとどまった。同年10月のアジア投擲選手権で自己記録を17cm更新する72m18を投げて優勝[8]。
2024年に住友電工に入社[9]。同年5月の静岡国際で73m00の自己新を投げて優勝。日本人として室伏親子、土井宏昭に次いで4人目の73m到達となった。同年6月のアジア投擲選手権では自己記録を大きく更新する73m91を記録し銀メダルを獲得した[10]。
主な実績
自己ベスト
種目 |
記録 |
年月日 |
場所 |
備考
|
ハンマー投 |
73m91 |
2024年6月29日 |
木浦 |
日本歴代4位
|
砲丸投 |
17m41 |
2022年5月20日 |
東京 |
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主要国際大会
日本選手権での成績
年 |
所属 |
大会 |
成績 |
記録 |
備考
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2020年 |
日本大2 |
第104回日本陸上競技選手権大会 |
3位 |
69m30 |
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2021年 |
日本大3 |
第105回日本陸上競技選手権大会 |
優勝 |
71m37 |
日本選手権初優勝
|
2022年 |
日本大4 |
第106回日本陸上競技選手権大会 |
6位 |
68m82 |
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2023年 |
日大院1 |
第107回日本陸上競技選手権大会 |
優勝 |
71m79 |
2度目の優勝
|
2024年 |
住友電工 |
第108回日本陸上競技選手権大会 |
3位 |
70m90 |
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年次ベスト
太字は自己ベスト
脚注
外部リンク
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1910年代 | |
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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