福野 礼一郎(ふくの れいいちろう、1956年[1] - )は、日本の自動車評論家[1]。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務めた[1]。
1980年代前半に走り屋系雑誌『オプション』の編集部を経て、1987年頃には外車雑誌『ゲンロク』の編集長代行を務めた。[要出典]1988年頃からしばらくはフリーの自動車評論家として『カー・アンド・ドライバー』をはじめとする自動車専門誌や一般誌に多数の連載記事を執筆。
1994年頃、『CarEX』誌に編集顧問という形で関わる[要出典]。その後『CarEX』誌上において「TOKYO中古車研究所™(略称:T中研™)」の連載を開始。T中研は掲載紙を『くるまにあ』へと換えながら、2004年2月号まで連載された。その後は編集部の都合により連載打ち切りとなるが[要出典]、2006年3月より同誌の姉妹誌である『特選外車情報エフロード』において復活した。
評論では自動車部品や製造工程、材質を重視する[2]。
東京都出身[1]。暴走族出身[3]。30年間で39台車を買ったのは独身だったから可能だったと語る[2]。
TOKYO中古車研究所
「TOKYO中古車研究所」は福野が書いた連載であり2003年にムックとして復刻された[4]。福野礼一郎の他、中古車販売業の荒井克尚をはじめ数名のメンバーで構成され、各メンバーによって執筆された記事を不定期に連載している。雑誌への掲載は毎月あるが、主題となる記事が試乗記であったり座談会であったり、メカニズムの解説であったりと月ごとの連続性が薄い。
連載当初は、福野が別誌用に用意していた企画が流れたため、その内容を掲載していたが、次第に試乗記などの内容が主となった[要出典]。
試乗に関する記事では、「東京メトロテスト」と称して都内の同じコースを同じ条件で行うため、対初期型・対前モデルなど年代を超えて比較できたほか、モデルによってはサイクルスポーツセンターでのスポーツ走行を行い(ほぼ)同条件での比較をおこなっていたが、連載後期ではコスト面からコース貸切が困難となり企画が行われなくなっていった[要出典]。
T中研の記事は、福野がマネージメント契約していた「有限会社MPI」の外部編集記事として掲載していたため、記事の冒頭に「企画・構成(有)MPI」とクレジットされていたが、後期の記事ではエフロード編集部+福野礼一郎といったクレジットになっており、MPIの表記はなくなった。(文責は、福野の他にMPIの西山氏がクレジットされており、エフロード編集員は記載されていない)
愛車遍歴
現在の連載
主な著書
脚注
- ^ a b c d 『現代日本人名録2002』4 p105 (1998年7月)
- ^ a b 六郷孝也「福野礼一郎さん 部品工場から自動車づくりを探った評論家(ひと)」 朝日新聞朝刊2003年8月17日2ページ
- ^ 根岸智幸 【私のハマった3冊】僕らをワクワクさせるテクノロジーと人の物語 2014年03月07日14時00分
- ^ 『福野礼一郎TOKYO中古車研究所』ISBN 4-924372-39-0
- ^ 福野礼一郎「フェラーリ360モデナ座談」『最後の自動車ロン』双葉社、2005年、162頁。
- ^ 福野礼一郎「アメリカン・スーパーマシン列伝」『いよいよ自動車ロン』双葉社、2006年、308頁。
- ^ 福野礼一郎『極上中古車を作る方法』二玄社、2004年。
- ^ 福野礼一郎「くわせもん」『自動車ロン』双葉社、2006年、187頁。
- ^ 福野礼一郎「メラクの憂鬱」『スーパーカー野郎』双葉社、2004年、160頁。
- ^ 福野礼一郎『The Engine:Ferrari 365GT/4BB』小川義文、二玄社、2004年。
- ^ 福野礼一郎「スーパーカーの王様」『スーパーカーファイル2』双葉社、2008年、69頁。