竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年〈大正10年〉10月24日[1] - 2020年〈令和2年〉2月12日[1])は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長[2]。
略歴
福岡県出身。福岡県立中学修猷館を2年で中退し、広島陸軍幼年学校、陸軍予科士官学校を経て[3]、
陸軍航空士官学校(第55期)を卒業し、操縦の道に進んだ生粋のパイロット(操縦者)である。軽爆撃機の操縦課程修了後、飛行第90戦隊に配属され、1942年(昭和17年)9月から作戦に参加[4]。九九式双軽爆撃機に搭乗し、中国戦線に従軍した[2]。太平洋戦争後期には、飛行分科を軽爆から戦闘に転科し、戦闘機操縦者として飛行第244戦隊に配属された。第244戦隊では三式戦闘機「飛燕」・五式戦闘機(キ100)に搭乗し、首都防空の任務についた。空襲の都度出撃し、B-29を1機撃墜している[3]。ある時は夜間戦闘中に被弾し、松戸飛行場に不時着した際、片翼は穴だらけで「これでよく無事に生還できたものだ」と同僚に言われたという[4]。戦隊は各地を転戦し、終戦まで本土防空戦に従事した。最終的に第244戦隊では第2飛行隊長(とっぷう隊。旧第2中隊の後身)を務めている。
陸軍大尉で終戦を迎えたが、戦後は公職追放となり、職を求め各地を転々とし、故郷の福岡に帰ってからは平和台球場で売店を経営しパンや菓子を売っていたこともあった[3]。同期生から警察予備隊の受験を勧められ、飛行機に乗れそうだと1951年(昭和26年)12月、警察予備隊に入隊[4]。保安隊では操縦課程の第1期生、保安隊時代にはL-16を旭川に空輸した。戦後、北海道の空を日の丸のついた飛行機で初めて飛んだことが自慢だという[2]。その後、航空自衛隊発足により、転官。ジェット機操縦課程を経て戦闘機操縦課程入校のため米国へ留学し、帰国後は第1航空団で教官や第1飛行隊長を務めた[3]。その後は第6航空団司令、南西航空混成団司令等の要職を歴任し、1976年(昭和51年)9月6日に発生したベレンコ中尉亡命事件の際は北部航空方面隊司令官として対応した[2]。航空総隊司令官を経て1978年(昭和53年)3月、第14代航空幕僚長に就任。さらに翌1979年(昭和54年)8月には第12代統合幕僚会議議長に就任した。
統幕議長在任中の1981年(昭和56年)、雑誌記事(月刊誌宝石3月号)に「徴兵制を違憲とする政府統一見解」及び「防衛費GNP比1%枠」の二点に異を唱え専守防衛政策を批判したとされる記事が掲載された。これに対し社会党は衆議院予算委員会において竹田の懲戒免職を要求、同委員会は紛糾した[5]。大村襄治防衛庁長官が竹田を戒告処分とし、これを受けて責任を取る形で同年2月16日付で退官
[注釈 1]
(ちなみに2代前の栗栖弘臣も、有名な「超法規行動」発言が原因でやはり解任されている)。民間では軍事評論家となる。
保守系日刊紙『世界日報』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。
年譜
栄典
脚注
注釈
- ^ 衆議院予算委員会で、竹田五郎を懲戒免職にするように要求していた社会党の大出俊に対し、当時防衛庁人事教育局長であった佐々淳行は以下のように応酬した。(佐々淳行『私を通りすぎた政治家たち』(文藝春秋、2014年)より、原文のまま)
私は「大出先生、学徒動員の陸軍少尉でいらっしゃいますよね。たしか高射砲隊にいらしたとうかがっていますが」と切り出した。
「そうだ。オレは帝都防衛の高射砲隊にいた」
大出氏は、何を言い出すんだと怪訝な顔をしている。
「一生懸命B29を落とそうとして戦っておられたと承知しておりますけれど」
「そうだよ。首都防衛でB29を撃ち落そうとしていたんだ」
「先生が懲戒免職にせよとおっしゃっている竹田五郎さんは、実は陸軍航空隊の大尉でございまして、四式戦の疾風に乗っておりました」
疾風は大戦後半に投入された陸軍の最新鋭戦闘機で、最優秀とも評価される高性能機である。
「竹田さんは疾風の搭乗員として、東京でB29の邀撃戦をやって一機撃墜してるんですよ。でも自分も被弾して、三鷹あたりの桑畑に不時着して助かってるんです」
「ああ、そうか」
「大出先生、一機でも落としました?」
「いや、当たらないもんなんだよな、あれは。一機も落としていない」
その後、社会党は、竹田を退職金や年金が受け取れない懲戒免職ではなく、防衛庁長官からの厳重戒告を受けた依願免職という形で決着させることを約束した。
出典
関連項目
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