第3特科隊(だいさんとっかたい、JGSDF 3rd Artillery Unit)は、兵庫県姫路市の姫路駐屯地に駐屯していた第3師団隷下の野戦特科部隊である。
概要
155mmりゅう弾砲 FH70を20門装備する火力戦闘部隊であり、隊本部、本部管理中隊、情報中隊および4個の射撃中隊からなる。隊長は1等陸佐が充てられ、姫路駐屯地司令を兼ねていた。
沿革
第63連隊
第3特科連隊
- 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊発足により、第63連隊(姫路駐屯地)が第3特科連隊に称号変更。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:第13師団創設に伴い、第3特科連隊から分離独立して第13特科連隊が姫路駐屯地で編成完結。
- 8月15日:第3師団改編に伴い、第4大隊が第5大隊に、第5大隊が第6大隊に改編。
- 1965年(昭和40年)7月8日:第5大隊が姫路駐屯地から今津駐屯地に移駐。
- 1970年(昭和45年)3月10日:第3師団の甲編成への改編に伴い、第4大隊と第5大隊第12射撃中隊を姫路駐屯地に新編。
- 1976年(昭和51年)3月25日:35mm2連装高射機関砲 L-90の配備に伴い、第6大隊を改編。
- 1990年(平成02年)3月26日:情報中隊を新編。
- 1992年(平成04年)3月27日:第6大隊が第3高射特科大隊として分離独立し、師団直轄となる。
- 1994年(平成06年)3月28日:第3師団の乙編成への改編に伴い、第4大隊(姫路駐屯地)と第5大隊第12射撃中隊(今津駐屯地)を廃止。
第3特科隊
- 第3師団の政経中枢型師団への改編に伴い、第3特科連隊(定員約1,300名)を縮小改編し第3特科隊(定員約500名)を新編。
- 主要装備の155mmりゅう弾砲 FH70は定数を45門から20門に縮小。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第3後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援隊へ移管。
警備隊区
兵庫県内12市10町を担任[3]。
廃止時の部隊編成
整備支援部隊
- 第3後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援隊「3後支-2整-特」(姫路駐屯地):2006年(平成18年)3月27日から2024年(令和06年)3月20日の間。
第3特科連隊 廃止時の部隊編成
- 第3特科連隊本部
- 第3特科連隊本部中隊「3特-本」
- 情報中隊「3特-情」
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊「3特-1-本」
- 第1射撃中隊「3特-1-1」
- 第2射撃中隊「3特-1-2」
- 第2特科大隊
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊「3特-2-本」
- 第3射撃中隊「3特-2-3」
- 第4射撃中隊「3特-2-4」
- 第3特科大隊
- 第3特科大隊本部
- 本部管理中隊「3特-3-本」
- 第5射撃中隊「3特-3-5」
- 第6射撃中隊「3特-3-6」
- 第5特科大隊(今津駐屯地)
- 第5特科大隊本部
- 本部管理中隊「3特-5-本」
- 第9射撃中隊「3特-5-9」
- 第10射撃中隊「3特-5-10」
- 第11射撃中隊「3特-5-11」
歴代の隊長等
歴代の第3特科連隊長
(1等陸佐・姫路駐屯地司令兼補)
代 |
氏名 |
在職期間 |
前職 |
後職
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01 |
千原清治 (2等警察正) |
1951年05月01日 - 1951年11月00日 |
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02 |
野崎一二 (1等保安正) |
1951年11月00日 - 1954年06月30日 |
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陸上自衛隊北海道地区補給処長 兼 島松駐とん地司令
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03 |
小林敬四郎 |
1954年07月01日 - 1956年06月18日 |
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第2特科連隊長 兼 上富良野駐とん地司令
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04 |
小川愛水 |
1956年06月19日 - 1959年12月30日 |
第3特科連隊副連隊長 |
第8混成団副団長 兼 北熊本駐とん地司令
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05 |
川田懋 |
1959年12月31日 - 1964年07月15日 |
中部方面隊準備本部第1部長 |
中部方面総監部付 →1964年11月1日 停年退官
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06 |
松原茂暢 |
1964年07月16日 - 1967年07月16日 |
陸上自衛隊富士学校研究部副部長 |
陸上自衛隊富士学校特科教育部長
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07 |
植松貞義 |
1967年07月17日 - 1968年07月15日 |
防衛研修所所員 |
陸上幕僚監部監査官
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08 |
清田泰臣 |
1968年07月16日 - 1970年03月15日 |
陸上自衛隊富士学校特科教育部 戦術班長 |
陸上自衛隊調査学校研究課長
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09 |
山口茂 |
1970年03月16日 - 1972年03月15日 |
中央監察隊長 兼 陸上幕僚監部監察官付 |
第3師団司令部付 →1972年7月1日 退職
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10 |
中川又一 |
1972年03月16日 - 1973年07月15日 |
陸上幕僚監部第5部学校班長 |
第1師団司令部幕僚長
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11 |
森一成 |
1973年07月16日 - 1975年07月15日 |
技術研究本部下北試験場長 |
陸上自衛隊幹部学校研究員
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12 |
三木秀雄 |
1975年07月16日 - 1978年03月15日 |
防衛研修所所員 |
陸上自衛隊富士学校特科部長
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13 |
久保晶人 |
1978年03月16日 - 1979年07月31日 |
統合幕僚学校学校教官 |
陸上自衛隊富士学校特科部教育課長
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14 |
松本信義 |
1979年08月01日 - 1981年03月15日 |
陸上幕僚監部防衛部運用課 運用第1班長 |
第11師団司令部幕僚長
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15 |
小田原昭 |
1981年03月16日 - 1982年06月30日 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務
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16 |
石田利徳 |
1982年07月01日 - 1984年07月31日 |
陸上幕僚監部調査部調査第2課勤務 |
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17 |
上田武人 |
1984年08月01日 - 1987年03月15日 |
陸上幕僚監部監理部総務課 監理班長 |
陸上自衛隊幹部学校総務部総務課長
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18 |
土井義彦 |
1987年03月16日 - 1988年07月06日 |
陸上幕僚監部防衛部運用課 運用第1班長 |
中部方面総監部防衛部長
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19 |
成田笵 |
1988年07月07日 - 1990年07月10日 |
統合幕僚会議事務局第4幕僚室 中期班長 |
陸上自衛隊幹部学校研究員
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20 |
小柳毫向 |
1990年07月11日 - 1992年06月15日 |
東北方面総監部防衛部訓練課長 |
陸上幕僚監部防衛部運用課長
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21 |
塩山昇 |
1992年06月16日 - 1994年07月31日 |
陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 評価班長 |
防衛大学校教授
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22 |
林政夫 |
1994年08月01日 - 1997年12月07日 |
統合幕僚会議事務局第4幕僚室 年度班長 |
防衛研究所主任研究官
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23 |
大地教文 |
1997年12月08日 - 2001年01月10日 |
陸上自衛隊富士学校勤務 |
自衛隊三重地方連絡部長
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24 |
山本孝行 |
2001年01月11日 - 2003年03月31日 |
陸上幕僚監部防衛部運用課 運用第2班長 |
陸上自衛隊幹部学校総務部長
|
25 |
園田郁夫 |
2003年04月01日 - 2005年03月31日 |
第1空挺団本部高級幕僚 |
守山駐屯地業務隊長
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未 |
重石義幸 |
2005年04月01日 - 2006年03月26日 |
第2師団司令部第3部長 |
第3特科隊長 兼 姫路駐屯地司令
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主要装備
廃止部隊
脚注
出典
- 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)
関連項目
外部リンク