萩中
萩中 (はぎなか)は、東京都大田区の町名。住居表示実施済み。現行行政地名は萩中一丁目から萩中三丁目。 地理大田区の南東部に位置し、蒲田地域に属する。多摩川の河口から近く、東京都道311号環状八号線(環八通り)の南側に位置する。東で産業道路を境に羽田と、南で弁天橋通りを境に本羽田と、西で南六郷・東六郷と、北で西糀谷・東糀谷・南蒲田と隣接する。地内には、糀谷商店街と萩中商店街との交点と、京浜急行電鉄大鳥居駅周辺の二つの商業的拠点がある。最西部の一丁目から最東部の三丁目に至る東西に細長い形をしており、中央を東西に萩中通り(萩中商店街)が貫いている。一丁目、二丁目は北接する西糀谷から伸びる糀谷商店街と萩中商店街とが交差しており、商業地を形成している。三丁目は西糀谷の大鳥居駅を中心に商店が見られるほか、萩中公園が大きな面積を占めている。 地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の地価調査によれば、萩中2-11-11の地点で46万9000円/m2となっている[5]。 歴史1693年(元禄6年)頃、羽田村(現・本羽田周辺)より分村されて荏原郡萩中村が成立、当初天領で伊奈氏に支配され、1792年(寛政4年)の伊奈氏改易後は大貫次右衛門光豊支配となった[6]。村内には六郷用水が流れ、水田として利用されていた。 1889年(明治22年)5月1日、町村制の施行に伴い、東京府荏原郡麹谷村・萩中村・鈴木新田・羽田猟師町・羽田村の全域が合併し、東京府荏原郡羽田村が発足。現・萩中にあたる地域は、東京府荏原郡羽田村大字萩中となる。この頃の小字に宮下耕地・宮前耕地・天当耕地・南耕地・中耕地・北耕地・大道下・江川などがあった[6]。 1907年(明治40年)10月4日、羽田村が町制施行して東京府荏原郡羽田町大字萩中となる。 1932年(昭和7年)10月1日、荏原郡全域が東京市に編入。東京府東京市蒲田区萩中町と改称された[6]。
1943年(昭和18年)7月1日 、東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。東京都蒲田区萩中町となる。 1947年(昭和22年)3月15日、蒲田区が大森区と合併し、東京都大田区萩中町となる。 1964年(昭和39年)4月1日、住居表示により萩中町・東六郷一丁目などの一部から萩中一丁目から三丁目が成立した。 世帯数と人口2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[13][14]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道一・二丁目は京急空港線糀谷駅が、三丁目は大鳥居駅が最寄駅となる。両駅はともに西糀谷に所在する。 道路
施設関東大震災の後に築地本願寺の寺中から移転して来た浄土真宗本願寺派の寺院が多い。 出身著名人その他日本郵便脚注
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