補充隊補充隊(ほじゅうたい、英: Replacement depot)とは、入隊する入隊者を管理して、充員を必要とする部隊に兵士を配置する部隊のこと。 各国軍の補充隊日本軍日本陸軍の補充隊は、太平洋戦争の末期を除けば、臨時に置かれる性格の部隊であった。 日清戦争以前からの陸軍は、3年または2年間兵営に入ることを義務づけられた兵士と、それより長く勤務する下士官と、中高年になるまで軍にとどまる将校とからなった。毎年徴兵される新兵は、常備軍の部隊に直接配属され、そこで教育・訓練を受けた。新たな兵士が入隊するまでの一年間で一通りの訓練を終え、2、3年後に兵営から出た。よって、兵士の3分の1か2分の1は、一年未満の経験しかない初年度兵である。次々に入る新兵を次々に教育して送り出すのが、平時の部隊の任務の重要部分であった。この仕組みでは、教育・訓練専用の部隊は必要ない。 戦争が起きて部隊が出征すると、後にした衛戍地(駐屯地)に教育・訓練に専念する部隊が置かれた。これが補充隊である。補充隊は、教育にあたる将校・下士官と、新兵だけで構成される。そこで数か月間教育された兵士は、損耗した部隊に補充されるか、戦時に臨時編成された新しい部隊に配属された。平時の教育の単位は連隊で、補充隊は各連隊に対応して設けられた。補充隊の上にあったのは、師団の留守にやはり臨時に置かれた留守師団司令部である。師団司令部留守部と称した時期もある。補充隊と司令部をあわせて留守師団といった。師団に属さない部隊に対応する、留守師団に属さない補充隊もあった。 日清戦争のときには、個々の補充隊は「歩兵第7連隊補充大隊」[1]、「輜重兵第3大隊補充中隊」[2]などと称した。歩兵第7連隊に補充兵を送る大隊規模の部隊、輜重兵第3大隊に補充兵を送る中隊規模の部隊である。このように、連隊の補充のためには大隊、大隊の補充のためには中隊と、一つ下のランクで部隊を作った。後には歩兵xx連隊補充隊などと称した。1938年の編制で、騎兵連隊補充隊は本部の下に中隊を1つだけ持って235人(甲編制)または157人(乙編制)、工兵連隊補充隊は補充隊本部の下に3個中隊をもって581人を定員とした[3]。歩兵連隊補充隊は大隊を持ち、おおよそ大隊から連隊相当である。 留守師団と補充隊は、日中戦争以降に諸師団が国外に出て帰らなくなって、設置が常態化した。1945年4月に留守師団を常設の師管区部隊に改組したときに、補充隊も常設になった。命名法も変わり、名古屋師管区歩兵第1補充隊、第2補充隊などと名付けられ、特定の連隊との関係が除かれた。 アメリカ軍歴史(アメリカ軍)説明(アメリカ軍)アメリカの補充隊は第二次世界大戦時代のヨーロッパ戦線でアメリカ陸軍が運用された部隊として、俗語では「repple depple」[4]と呼ばれた。 下記の一覧は、1945年1月に存在したアメリカ陸軍の補充隊である。
韓国軍歴史(韓国軍)
説明(韓国軍)韓国の補充隊は大韓民国陸軍の部隊として、下記のようなことを遂行する。
現在は韓国軍の補充は廃止されたため、入隊する新兵たちは師団新兵教育隊に入所する。
脚注
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