豊田達郎
豊田 達郎(とよだ たつろう、1930年6月1日 - 2017年12月30日[1])は、日本の実業家。位階は従三位。勲等は勲一等。学位はM(ニューヨーク大学経営大学院)。 ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング社長(初代)、トヨタ自動車株式会社社長(第2代、工販分離前から数えると第7代[2])、トヨタ自動車株式会社副会長、学校法人トヨタ名古屋整備学園理事長(第2代)などを歴任した。 来歴・人物愛知県名古屋市白壁町出身。東京市赤坂の父・喜一郎宅に住み、旧制東京都立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)に通う。今井敬は中学の同期。1945年5月に東京大空襲で自宅が焼失した際に豊田家の位牌をもち脱出した[3]。 旧制第一高等学校を経て、1953年、東京大学工学部機械工学科卒業。ニューヨーク大学経営大学院にて経営学修士(MBA)を取得した。 父・喜一郎没後の1953年、トヨタ自動車販売に入社した。1974年に取締役、1980年にトヨタ自動車販売取締役、1982年に工販合併でトヨタ自動車常務に就任した。1984年にフリーモント準備室長としてトヨタ自動車とゼネラルモーターズの合弁新会社「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング」(NUMMI)を設立し、社長に就任した。以後トヨタ自動車専務、副社長を経て、1992年に社長に就任した。 1995年に病気療養のため取締役副会長、取締役相談役 (後に非取締役に) となる。1996年に経済同友会副代表、他に、日本自動車工業会最高顧問、豊田中央研究所代表、トヨタ学園理事長、トヨタ財団会長など。 病気療養によりトヨタ自動車副会長退任後も、豊田工業大学とシカゴ大学の共同事業としての大学院大学(Toyota Technological Institute at Chicago:豊田工業大学シカゴ校)設立に参加し、2003年にはその最初の入学式に渡米して出席するなど、足は不自由であるものの、精力的に活動していた。 2017年12月30日、肺炎のため死去[1]。88歳没(享年89)。2018年叙従三位[4]。 家族・親族トヨタグループの始祖・豊田佐吉は祖父。トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎の二男。トヨタ自動車初代社長の豊田利三郎は叔父(祖父の婿養子)。トヨタ自動車元名誉会長の豊田英二は父の従兄弟。トヨタ自動車名誉会長で工販統合後の初代社長を務めた豊田章一郎は兄。大昭和製紙元社長で静岡県知事や建設大臣も務めた斉藤滋与史は義兄。妻は清水康雄(清水家5代目当主、元清水建設社長)の娘で、清水家6代目当主の清水満昭は義弟。長男は元デンソー副社長の豊田達也である[5][6]。トヨタ自動車会長の豊田章男は甥で、元大蔵官僚の藤本進は姪の夫にあたる。 それ以外にも三井高寛・三井高長・三井高棟・三井高公・名尾良孝・渥美健夫・堀田庄三・上原正吉・増岡博之・中部謙吉・中部慶次郎・石坂泰三・瀬木庸介・門野幾之進・宮原二郎・坂野常礼・小林米三・松岡功などと縁戚関係にある。 系譜
その他役職
栄典
出典
|