赤岩 (中之条町)
赤岩(あかいわ)は、群馬県吾妻郡中之条町南西部にある大字。その中心部である山村・養蚕集落は重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として選定されている(選定名称は「中之条町六合赤岩伝統的建造物群保存地区」)。郵便番号は377-1311[2]。面積は13.23km2[4]。 概要赤岩地区は白砂川左岸の河岸段丘の段丘面上に発達した集落で、旧・六合村を構成する「赤岩」・「日影」・「小雨」・「生須」・「太子」・「入山」の大字のひとつであった。近代養蚕技術の移入によって発展した。山村・養蚕集落として2006年(平成18年)7月5日に群馬県内で初めて重要伝統的建造物群保存地区として選定された。選定範囲は東西約1070m、南北約930m、面積63haに及ぶ[5]。集落内には赤岩神社や小さな堂、水の神や馬頭観音像など村人の信仰と深く結びついた建物、石碑、墓地などが点在している[6]。2015年4月24日には、「かかあ天下-ぐんまの絹物語-」の構成文化財として日本遺産にも認定される。
地理群馬県の南西部を南北に流れる白砂川が形成した河岸段丘の段丘面上に位置し、集落が立地する場所の標高は約690〜710mである [8]。 集落は南北に走る道(赤岩本道 [9])に沿って家々が立ち並ぶ街村形態を呈し、その周囲を石垣で造成された農地が取り囲んでいる。集落の背後(東側)には山林が広がっており、また河岸段丘の段丘面上に位置しているため水利に恵まれず、主たる農地の土地利用は畑となっているが、集落の南側には田も広がる[8]。背後の山は近年までは木材やかやなど生活に必要な資源の供給地であって、重伝建の選定範囲にも含まれている。2004年(平成16年)現在、赤岩地区には61世帯、178人が暮らす。 河川
歴史赤岩地区は河岸段丘の段丘面上に位置しているため水利に恵まれず、元来は田畑からの収穫だけでは生計が成り立つ家は少なかった。そのため副業としての養蚕が発達したと考えられているが、その開始時期は定かではない。幕末にはすでに行われていたという説もある[10]。1788年(天明8年)の赤岩に残る絵図には、農業のほかに男は山仕事、女は麻布を行うと書き添えられている。1803年(享和3年)には集落が大火に見舞われた。1877年(明治10年)に作成された『上野国郡村誌』には養蚕と麻が主要な産業とある。明治初期には前橋に繭が出荷され、林業や麻の生産から、養蚕へと中心産業が変化した。明治後期には高山社からの養蚕指導の授業員派遣を受け、1917年(大正6年)には赤岩出身の高山社卒業生が近代的な養蚕の指導にあたった。養蚕は昭和30年代頃まで非常に盛んで村のほとんどが営んでいた[10]。 1900年(明治33年)以来、吾妻郡六合村の所属であったが、2010年(平成22年)3月28日には吾妻郡中之条町に編入合併された。 2007年(平成19年)1月に「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産暫定リストに追加され、赤岩地区も当初は構成資産に含められていた(のちに構成資産見直しの過程で候補から外れた)。 建造物赤岩地区には養蚕が盛んであった頃の特徴的な建造物が現在でも数多く存在する。
以下すべて2011年5月撮影。
世帯数と人口2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]。
周辺観光地交通
施設
脚注
参考文献・資料
関連項目外部リンク |