鈴木商会
株式会社鈴木商会(すずきしょうかい)は、ホテル、スキー場等リゾート施設の経営・経営受託・コンサルティングを業務とする会社である。2000年~2008年頃にかけて多数のホテル、スキー場を傘下に入れ事業を拡大していた。北海道を拠点とする同名のリサイクル関連会社との関連はない。 沿革
創業者創業者の鈴木一弘は、1917年に愛知県で生まれ、1935年ごろ郷里の滝実業学校を中退後、鉄鋼商・鉄鋼所の経営などにあたり、第二次大戦中は軍需省航空兵器総局の嘱託として同省に鉄鋼品を納入したりしていた[8]。終戦後は名古屋で鉄鋼品の製造販売、陶器・楽器・自動車用部品の製造など手広く事業を営み、新興勢力として中京財界に台頭し、その間無尽会社にも関与し無尽業界(のちの相互銀行業界)とも関係をもった[8]。 1950年上京し、合成繊維漁網の販売を手始めに不動産業、金融業などを営むなか、白木屋乗っ取り事件に横井英樹派として関わり、その後1958年に妙高高原スキー場開発などを手掛ける房総観光産業株式会社の代表取締役社長となったほか、数社の傘下会社の役員を兼ねた[8]。同年から1960年にかけて、大東京火災海上保険、東都水産、浅野物産、愛知トヨタ自動車、北陸銀行、日本加工製紙、野崎産業、大阪機工、若林酒類食品、愛知時計電機、大生相互銀行など中堅企業合計21社の株買い占めに動き、これを会社側に高値で買い戻しを迫るなどした[9][8]。このときの行為が恐喝などにあたるとして1960年11月に逮捕され12月に起訴、1966年8月には有罪判決を受けた[8]。また、田中角栄が関与した1960年代の鳥屋野潟疑惑にも関わった[10]。その後はスキー場等レジャー施設運営するを鈴木総本社を創業して経営にあたり、1995年に死去した(グリーンメーラー参照)。 関連会社
運営施設関連施設脚注注釈
出典
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