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長崎バスジャック事件

長崎バスジャック事件
場所 日本の旗 日本長崎県長崎市
標的 西肥自動車の路線バス
日付 1977年昭和52年)10月15日
概要 バスジャック人質16名)
武器 爆弾
死亡者 1名(犯人)
負傷者 1名(犯人)
犯人 「阿蘇赤軍」を名乗る2人組の男達
対処 長崎県警察警察官がバスに突入し犯人1名を射殺人質を救出した。
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長崎バスジャック事件(ながさきバスジャックじけん)[1]とは、1977年昭和52年)10月15日長崎県で発生したバス乗っ取り(バスジャック)事件。

この事件は、犯人の男2人によって引き起こされた。犯人の1人は射殺され、人質は全員救出された。

2000年西鉄バスジャック事件が発生するまでは、この長崎バスジャック事件が日本史上最大規模のバスジャック事件であった。

経過

1977年10月15日午前、長崎県平戸佐世保大村経由長崎駅前行きの西肥自動車路線バス三菱ふそうMP517M・F623号車 登録番号:佐世保22か・344)が途中の大村市内を走行中、改造や手製爆弾で武装した白い覆面姿の2人組の男達に乗っ取られた[2][3]。その後、バスは給油のため長崎市茂里町にある南国殖産のガソリンスタンドに立ち寄ったが、スタンド従業員からの通報を受けた長崎県警察はバスのエンジンスターターを不作動にする措置を行い、バスを包囲した[2][4]

犯人たちは乗客5人の解放と引きかえに食料寿司30人前)やコーラ30人前など)、毛布50枚を要求した。また「法務大臣瀬戸山三男新自由クラブ(当時の野党)代表の河野洋平及び、政治評論家の細川隆元を連れてこなければ交渉には応じない」などと主張した。しかしこの時に犯人達は自らを「阿蘇赤軍[5]」と極左を想起させる団体名を名乗ったが、右翼的な論評が目立つ保守派の細川を「先生」と呼ぶ等思想的な見地からは矛盾する発言が目立ち、長崎県警察では早い時点で犯人達は「赤軍派とは無関係」と判断していた。実際政治思想とは何ら無関係の身代金を狙った場当たり的な犯行であった。

犯人は人質の女性の首に爆発物のようなものを巻き付け、また、車内の窓に針金のようなものを張り巡らし、「窓が一枚でも割れたら爆発する」などと脅迫していたが、警察官が差し入れを行った際に針金の一部が外れたものの爆発しなかったことから、女性の首に巻かれた爆発物が偽装であることを警察に把握されていた。

警察は犯人達に対して説得を行ったが、人質の体力が限界に達したとして、事件発生後18時間経過した翌16日午前4時25分に警察官の一人が説得しながら最終的に「撃つなら撃て、俺を撃ってみろ!」と犯人を挑発したところ、主犯格の男が手製爆弾を投擲。爆発した瞬間に突入部隊は一斉にバス内部へ突入した。この時警官3名が拳銃を発砲し(合計7発)、被弾した主犯の男が20分後に死亡、もう1人の犯人は重傷を負った。人質16人は全員無事に救出された[6]

重傷を負った犯人には懲役6年が言い渡された。

犯人射殺による人質事件の解決は1970年5月12日に発生した瀬戸内シージャック事件以来2例目となった[7]。また本事件の約1年3ヵ月後の1979年1月26日に発生した三菱銀行人質事件以降、日本国内における人質立て籠もり事件で犯人射殺により解決に至ったケースは存在しない。

また、警察は朝食として味噌汁を差し入れ、犯人の一人が味噌汁の入った鍋の取っ手をつかんだと同時に犯人を取り押さえ、バスに突入する作戦を検討していたが、事件発生翌日の明け方の時間帯に突入が行われたためこの作戦は実施されなかった。

その他

この事件は長崎放送テレビ長崎[8]が、突入から逮捕、人質救出までの様子を全国に中継しているが、後側からズームカメラで写した映像がVTR保存されており、この映像は鮮明に写っている(近距離の映像は、16mmフィルムで撮影されているため不鮮明である)。またNHK長崎放送局も運転席側から突入の瞬間を撮影している。

長崎放送では事件発生当日夜に、パトカーに対するカージャックを題材にした映画『続・激突!/カージャック』が、テレビ朝日系列フルネット局において同年7月に『日曜洋画劇場[9]』として放送されたものを『ゴールデン洋画劇場[9]』として放送していたが、それを中断してこの事件の中継が放送された。長崎放送では事件発生当日にフィルムカメラのオーバーホールが行われており、また中継車を翌日のゴルフ中継のために準備させていたが、最終的にゴルフ中継に支障が出るとしても中継車を事件現場に投入すべきとの意見が通り、人質救出の様子を中継することとなった[10]

また、テレビ長崎が日本テレビ系列局として日本テレビに送ったこの事件の取材映像が日本テレビ制作の朝のワイドショー番組『ミセス&ミセス』でも使われたが、この番組がテレビ長崎ではなく長崎放送で時差ネットされていたため、テレビ長崎の取材映像が長崎放送で放送されることとなった。当時取材がフィルム主体で前述のオーバーホールで出遅れ気味だった長崎放送に比べ、取材を優位に進めていたテレビ長崎では、社内で当該番組を見た全員が驚いたという[10][11]

このバスジャック事件の通称は「長崎バスジャック事件」だが、「長崎市内で発生したバスハイジャック事件」の意であり、「長崎バス(長崎自動車)の車両がハイジャックされた事件」ではない。また、事件が起きた「平戸 - 佐世保 - 長崎」間の路線バスは既に廃止となっているが、佐々 - 佐世保 - 長崎間は高速バスにより運行が継続されている(長崎 - 佐世保線)。

バスジャックに遭った車両は、のちに西肥自動車に返還され、修理を受けて営業用に復帰し、1995年(平成7年)まで使用された後、長崎県内の山中に置かれていて、物置きとして使われていた[12]

注釈

  1. ^ 1981年2月18日に放送された『水曜スペシャル 日本100大犯罪』(テレビ朝日制作)では「北九州バスジャック事件」(きたきゅうしゅうバスジャックじけん)と称している。
  2. ^ a b 『長崎新聞』1977年10月15日夕刊1頁「長崎でバス乗っ取り・銃を持ち運転手に手錠」
  3. ^ 『長崎新聞』1977年10月19日13頁「バス乗っ取り犯人・2日前に短銃試射・実家から道具押収」
  4. ^ 『長崎新聞』1977年10月16日朝刊1頁「犯人は白覆面の2人組・猟銃やマイトで武装・法相ら呼べと要求」
  5. ^ 「阿蘇連合赤軍」とも表記される場合がある
  6. ^ 『長崎新聞』1977年10月17日朝刊1頁「警官隊、暁の急襲・バスジャック17時間ぶり決着・乗客ら全員救出・犯人1人死に1人逮捕」
  7. ^ 瀬戸内シージャック事件では、自由人権協会所属の人権派弁護士2名により当時の広島県警察本部長狙撃手告発(最終的には不起訴)されているが、本事件では同様の告発は無かった。理由は「本事件は拳銃による射殺だから」ともされている。
  8. ^ 当時の長崎県の民放テレビ局はこの2局だけで、テレビ長崎は当時日本テレビ系列フジテレビ系列クロスネット局だった(突入が行われた時間帯は日本テレビ系列の番組をネット)。
  9. ^ a b 番組の制作局はテレビ朝日であり、当時長崎県には先述の通り民放テレビ局が2局しかなく、かつテレビ朝日系列局が所在しなかったため長崎放送で『ゴールデン洋画劇場』(本来はフジテレビ系の番組のタイトルであり、左記フジテレビのものと『日曜洋画劇場』と交互に時差放送)として時差放送されたものである。
  10. ^ a b 南條岳彦『メディアのしくみ 新聞に制圧される地方テレビ局』明石書店、1996年7月、78-80頁。ISBN 4-750-3-0823-4 
  11. ^ 当時はワイドショー番組の系列外ネットは珍しいことではなく、事件発生当時の長崎県内の民放テレビ局における朝のワイドショー番組は長崎放送では『モーニングショー』(テレビ朝日制作)の放送直後の時間帯に『ミセス&ミセス』(日本テレビ制作)が放送され、テレビ長崎では『小川宏ショー』(フジテレビ制作)が放送されていた。
  12. ^ “1977年長崎ハイジャックの車両を発見”. 東スポWeb. https://web.archive.org/web/20190504110604/https://www.tokyo-sports.co.jp/social/incident/1088632/ 2018年8月9日閲覧。 

関連項目

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