阪田章裕
阪田 章裕(さかた あきひろ、1984年5月16日 - )は、京都府出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 来歴立命館大学在学時はサッカー部に所属し、3年次の2005年と4年次の2006年には関西学生選抜に選出された。2007年に当時Jリーグ ディビジョン2に所属したセレッソ大阪に加入[1]。ルーキーイヤーから1桁背番号となる3番を背負うも出場機会が殆ど無く、2009年には湘南ベルマーレに期限付き移籍[2]。2年目には完全移籍となり[3] 初のJ1でのプレーも経験したが、スタメン奪取する事はできずこの年限りで湘南を退団した[4]。 2011年、大分トリニータに完全移籍[5]。大分では加入初年度から刀根亮輔とともに副主将に任命された[6]。中盤戦以降にスタメンを奪取し自己最多となる20試合に出場。翌2012年も引き続き副主将を任され[7]、リベロとして最終ラインを統率した[8]。昨シーズンの倍となる40試合に出場し、J初ゴールを含む4得点を記録するなど過去最高の成績を残した。同年11月23日に開催されたJ1昇格プレーオフ決勝・ジェフユナイテッド千葉戦では、試合前に食事を戻す程の極度の緊張の中[9]、試合終盤のフォーメーション変更により一時1バックを任せられるが失点を許さず大分の4年振りのJ1昇格に大きく貢献した。 2016年、AC長野パルセイロに移籍[10]。同年は最終ラインの要となり、リーグ戦30試合に出場した[11]。2017年限りで契約満了により長野を退団[12]。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場[13]。 2018年、福島ユナイテッドFCに完全移籍[14]。 後に福島時代に一番記憶に残っている試合として、2018年の開幕戦(2011年、東日本大震災の発生日である3月11日)を挙げている[15]。 2020年をもって福島ユナイテッドFCを退団[16]。 2021年5月に鈴鹿ポイントゲッターズに移籍[17]。しかしこの年で退団となった[18]。 所属クラブ
個人成績
その他公式戦
脚注
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