雅子内親王(がしないしんのう)は、醍醐天皇第10皇女。伊勢斎宮。別称:西四条斎宮(にししじょうさいくう)。のち藤原師輔室。母は更衣・源周子。同母兄弟に源高明らがいる。子女は藤原高光、藤原為光、尋禅、愛宮。
略歴
延喜11年(911年)内親王宣下、四品に叙される。延喜20年(920年)、源氏に賜姓されている。承平元年(932年)12月25日、斎宮に卜定される(賀茂斎院・婉子内親王も同日卜定)。卜定以前に内親王に復されているようだが、史料には見られない。承平2年(933年)6月10日、宮内省へ初斎院入りし、9月28日に野宮に入る。承平3年(934年)9月26日、伊勢へ下向。承平6年(936年)3月7日、母・周子の死去により退下、5月3日に帰京。
天慶2年(939年)頃、藤原師輔と結婚した。3男1女をもうける。天暦8年(954年)8月29日死去。享年45。
斎宮卜定前に藤原敦忠と恋仲であったと言われ、『敦忠集』に2人の情熱的な贈答歌が多く残されている。しかし『大和物語』によれば結婚が決まった矢先に雅子内親王は斎宮に卜定され、2人の恋は実らなかったという。斎宮退下の後は敦忠の従兄弟で同母姉・勤子内親王の夫でもある師輔と結婚、前斎宮の内親王が降嫁した唯一の例となった。
子女
- 男子:藤原高光(939-994)- 右近衛少将、のち出家して如覚
- 女子:愛宮 (941-?)- 左大臣源高明室、源経房の母
- 男子:藤原為光(942-992)- 太政大臣
- 男子:尋禅(943-990)- 天台座主第19世
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 |
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