憲子内親王(のりこないしんのう)は、江戸時代中期の皇族。霊元天皇の第二皇女。母は小川坊城俊広女藤大典侍。夫は近衛家熈、子に近衛家久、徳君(徳大寺公全室)[1]。幼称は女一宮。
生涯
1669年に霊元天皇の第二皇女として生まれる。第一皇女が夭折したため、憲子が女一宮とされた。1684年1月19日に内親王宣下を受ける。
後に皇別摂家の近衛家の当主、近衛家熈の室に入る[2]。
参考文献
脚注
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 |
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