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この項目では、日本の美術家について説明しています。中華人民共和国の漫画家については「愛欧」をご覧ください。 |
靉 嘔(あい おう、英語: Ay-O 本名: 飯島孝雄(いいじま たかお)、1931年5月19日 - )は、日本の美術家。
1960年代のフルクサスに、同運動の国際的な活動の初期から関わった。「虹のアーティスト」として知られている。多摩美術大学美術学部客員教授として教えていた[1]。茨城県行方郡玉造町(現・行方市)出身。
人物
1961年、オノ・ヨーコがジョージ・マチューナスに紹介し、1963年にフルクサスに加わった。「Finger Boxe」という一連の作品とフルクサス時代の「イヴェント」で有名になった。ジョージ・マチューナス、エメット・ウィリアムス(en:Emmett Williams)、ディック・ヒギンズ(en:Dick Higgins)、ナム・ジュン・パイクと親密なかかわりのなかで仕事をした。
フルクサス以前、瑛九が創設した「デモクラート美術家協会」で、キャリアをスタートさせた。同協会は、芸術的自由と独立を美術制作の世界に推進した。このことの靉嘔への影響は、large Xを描いた彼の初期の一連の作品に見出される。なぜなら彼自身がまだまだオリジナルじゃないものだと考えている作品だからだ。
日本には、「デモクラート美術家協会」に近い別の独立的運動が存在した。蒐集家・久保貞次郎の「創造美育」(Biiku)がそれだが、美術教育における自由の育成を推進した。「創造美育」のアプローチは、ナチュラルに「素朴派」の形式を推進し、久保は、社会における美術蒐集を広げるために「小コレクターの会」(Small Collector Society)を推進している。この両運動が福井県と靉嘔を特異に結びつけた。
略歴
ビブリオグラフィ
著書
- 『Mr. Fluxus: A Collective Portrait of George Maciunas 1931-1978』, Thames & Hudson, 1998年
- 『Niji: Ai O hanga zen sakuhinshu, 1954-1979』、叢文社(英文)
- 『Ouzel』、筑摩書房、1978年
- 『ドゥリトル先生 海をゆく(The Voyages Of Doctor Dolittle)』(再話:C・W・ニコル、音楽:佐藤允彦、絵:靉嘔、ラボ教育センター、1977年)[2]
- 『版画芸術 107 靉嘔』、阿部出版、2000年、ISBN 978-4872421071
- 『Ay-O, Over the Rainbow, Ay-O Restrospective 1950-2006』 (174 pages) 、美術出版社、2006年 ISBN 4568103592
栄典
参考
脚注
関連項目
外部リンク