鶴丸 睦彦(つるまる むつひこ、1901年10月10日 - 1989年7月5日)は、日本の俳優。本名は松井 睦彦。
1901年(明治34年)10月10日、鹿児島県鹿児島市に医師の父・文蔵の6人兄妹の長男として生まれる[1]。早稲田高等学院卒業後の1923年(大正12年)に渡米し、その後エル・グレコの絵を見たさに旅費をためてスペインに渡る[1][2]。1927年(昭和2年)に帰国。左翼系劇団の美術部員から俳優に転じ、同年に佐々木孝丸、村山知義らの前衛劇場に入り、1928年(昭和3年)には東京左翼劇場、1934年(昭和9年)には新協劇団に参加する[1]。1938年(昭和13年)、木村荘十二監督の『牧場物語』で映画に初出演する。
戦後は舞台で胸を打ったのが原因で肺を病み、療養所で生活していた。その間に劇団民藝に入団し、1953年(昭和28年)に民藝と近代映画協会の共同製作による『夜明け前』に療養所からスタジオ通いをして端役を演じる[1]。翌1954年(昭和29年)には佐分利信監督の『叛乱』で北一輝という大役を演じ、以降も新藤兼人監督『どぶ』、今井正監督『ここに泉あり』などの独立プロ作品や『地獄の波止場』などといった日活作品に出演した。
舞台では『漁港』『審判』などに出演し、1961年(昭和36年)には『檻』の演技で芸術祭奨励賞を受賞。1977年(昭和52年)の『煙草の害について』では演出を務める。一風変った老人役に独特の味わいがあった[1]。
1989年(平成元年)7月5日、肺炎のため死去[3]。87歳没。