1995年の日本シリーズ
1995年の日本シリーズ(1995ねんのにっぽんシリーズ、1995ねんのにほんシリーズ)は、1995年10月21日から10月26日まで行われたセ・リーグ優勝チームのヤクルトスワローズとパ・リーグ優勝チームのオリックス・ブルーウェーブによる第46回プロ野球日本選手権シリーズである。 概要1995年の日本シリーズは1995年のセ・リーグを制したヤクルトスワローズ(野村克也監督)と1995年のパ・リーグを制したオリックス・ブルーウェーブ(仰木彬監督)の対決となり、ヤクルトが4勝1敗で勝利し2年ぶり3度目の日本一に輝いた。この顔合わせは1978年の日本シリーズ以来17年ぶり(オリックスは当時の前身・阪急ブレーブス)。なお、このシリーズは31年ぶりに全試合ナイターで開催された。以降は2011年の第1戦を除き、現在まで全試合ナイターに定着することになる。 このシリーズは「野村ID野球と仰木マジック」の対決と言われた[1]。実際にシリーズ開幕前から両監督は、マスコミや監督会議を通して舌戦(心理戦)を展開し、対決ムードが大いに盛り上がった[2]。 ヤクルトのデータ分析、経験の多さも一枚上手で、ヤクルトの要である捕手の古田敦也は、高めのストレートを効果的に使って打球を詰まらせるという戦略で投手をリードし、当時「高め弱点」と言われたイチローを封じることに成功した[3]。 4勝1敗という結果だが、このシリーズは第2、3、4戦では3試合連続で延長戦にもつれ込んでいる。 試合結果
第1戦10月21日・グリーンスタジアム神戸(入場者数:32,486人)
オリックスはチームの精神的支柱である佐藤義則、ヤクルトはシリーズ前に肩痛が伝えられていたブロスが登板、レギュラーシーズンにノーヒットノーランを達成した両投手のノーヒッター対決となった。2回表にヤクルトが飯田のタイムリーで先制すると、オリックスも4回にニールのタイムリーで追い付く。しかし5回表にヤクルトが池山の2点タイムリーで勝ち越し、オリックスも6回にニールの2打席連続タイムリーで追いすがるが、8回表、ヤクルトは代打の切り札・大野の2ランで突き放す。ブロスは150km/h台の高めの直球を有効に使ってイチローを始めオリックス打線を抑え、最後は守護神・高津が締めて、ヤクルトが先勝。 公式記録関係(日本野球機構ページ) 第2戦10月22日・グリーンスタジアム神戸(入場者数:32,475人)
オリックスは2回にD・Jのソロ本塁打で先制、5回にはヤクルト先発の石井一久の暴投で1点を追加し、石井一久はこの回途中で降板。一方、オリックス先発の野田は7回まで7奪三振の力投で得点を許さず、オリックスが優位に試合を進めた。しかしヤクルトは8回表、2死1、2塁からこの年3番を務める土橋がタイムリーを放ち、野田をマウンドから下ろすと、続くオマリーが2番手の野村から連続タイムリーでついに同点に追いつく。追いつかれたオリックス9回から、同点にもかかわらずリリーフエース平井を投入したが、延長11回表、ヤクルトは先頭のオマリーが左翼スタンドに一発を放ち勝ち越し。その裏をロングリリーフの山部が抑え、ヤクルトが敵地で連勝。 公式記録関係(日本野球機構ページ) 第3戦10月24日・明治神宮野球場(入場者数:32,915人)
先発は星野伸之と吉井理人。ヤクルトは初回にオマリーの適時打で先制。オリックスは5回表、この試合3番に入ったイチローの犠飛で追い付くが、その裏、代打稲葉篤紀の犠飛で再びリード。7回表、オリックスは山部を攻め、この試合1番の田口壮と4番D・Jの適時打で3点を挙げ逆転。しかし8回裏、ヤクルトは2死満塁のチャンスをつかむと、古田の放った当たりはショートへの高いバウンドのゴロであったが、2塁カバーが一瞬遅れて内野安打となり、1点差。この判定に激昂した仰木監督が、退場覚悟の猛抗議で10分間中断。平井投入で逃げ切りを計るオリックスだったが、9回裏にミューレンが起死回生の同点本塁打を放ち、第2戦に続いて延長戦へ突入した。 延長10回裏、ヤクルトはオマリーの四球と古田2塁打で2、3塁のチャンスをつかむと、オマリーに代走を送るなど勝利への執念を見せ、続く池山のサヨナラ3点本塁打が飛び出し、3連勝。シーズンで成績が低迷し、忸怩たる思いでこのシリーズに臨んだ池山は、お立ち台で「本当に、夢のようです」のセリフを残した。ヤクルトの日本シリーズでのサヨナラ勝ちは1992年・対西武第6戦(秦真司の本塁打)以来3年ぶり3度目。また、オリックスのサヨナラ負けは阪急時代の1977年・対巨人第3戦以来18年ぶり3度目である。 公式記録関係(日本野球機構ページ) 第4戦10月25日・明治神宮野球場(入場者数:32,911人)
オリックスは佐藤、野田、星野で1つも勝てずに、王手をかけられて第4戦を迎えた先発は長谷川滋利。一方のヤクルトは、この年5月以降、怪我で登板のなかった川崎憲次郎がシリーズで復活登板。5回裏、守備の乱れからチャンスとなり、飯田の適時打でヤクルトが1点を先制。そのまま最終回を迎えたヤクルトは、ここでストッパー高津をつぎ込まずに川崎を続投させたが、オリックスは先頭の小川博文の本塁打で同点に追いつき、その裏のサヨナラのピンチでは第2戦に先発した野田をつぎ込む執念の継投でしのぎ、このシリーズ3試合連続の延長戦に突入した。 オリックスは、このシーズン15勝27セーブのストッパー平井正史が、第2・3戦と敗戦投手となってベンチを外れており、第5戦で先発予定だった小林宏を延長10回から投入。その小林は11回裏に代打荒井幸雄の四球と土橋の安打による1死1、2塁で4番オマリーを迎えるという大ピンチを招く。ここで「小林の14球」と呼ばれることになる12分強にわたったこの勝負は、14球目の低めのボール球の直球にオマリーのバットが空を切り、小林に軍配。続く古田も抑え、この回を無得点で切り抜ける。延長12回表、オリックスは、先頭のD・Jがヤクルト3番手の伊東から本塁打を放ち、遂にオリックスがこの試合初めてリードを奪うと、続投した小林は12回裏もそのまま無失点に抑え、オリックスが一矢報いて4タテを阻止し、前回出場の1984年の日本シリーズ第7戦(前身の阪急)から続いていたシリーズ連敗を4で止めた。 公式記録関係(日本野球機構ページ) 第5戦10月26日・明治神宮野球場(入場者数:33,112人)
ヤクルトの先発は、シリーズ2試合目となるブロス。一方のオリックスは、先発予定の小林宏を前日リリーフで使ってしまったため、高橋功一が先発。初回、イチローのシリーズ初本塁打でオリックスが先制するも、2回裏にヤクルトが池山、ミューレンの連続犠牲フライで逆転。5回にはオマリーのソロアーチで突き放す。ブロスが初回の1失点に抑えて高津にバトンを繋ぎ、ヤクルトが逃げ切ってシリーズ制覇。ヤクルトは初めて明治神宮球場で初めて日本一を決めた[注釈 1]。 公式記録関係(日本野球機構ページ) 表彰選手テレビ・ラジオ中継テレビ中継※第6戦は毎日放送、第7戦は関西テレビで中継される予定だった。 ※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(フジテレビ系)は32.4%。 第2戦(TBS系)は30.5%。第3戦(テレビ朝日系)は29%。第4戦(フジテレビ系)は35.2%。第5戦(フジテレビ系)は32.8%だった。 ラジオ中継
脚注注釈
出典
外部リンク
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