1997年日本グランプリ (1997 Japanese Grand Prix) は1997年のF1世界選手権第16戦として10月12日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。
概要
ウィリアムズのジャック・ヴィルヌーヴがフェラーリのミハエル・シューマッハを9ポイントリードして残り2戦を迎えた。ヴィルヌーヴがシューマッハよりも1ポイントでも多く獲得すれば、最終戦を待たずヴィルヌーヴのドライバーズチャンピオンが決定する。
コンストラクターズタイトルはウィリアムズがフェラーリを26ポイントリードしており、こちらもタイトル決定の可能性がある。
ミナルディの片山右京が現役引退を突如発表した[1]。
予選
展開
ヴィルヌーヴが日本GPでは2年連続となるポールポジションを獲得。ここ数戦不振だったフェラーリもシューマッハが0.062秒差の2位、エディ・アーバインが3位と復調ぶりを示した。4位以下はミカ・ハッキネン(マクラーレン)、ゲルハルト・ベルガー(ベネトン)、ハインツ=ハラルド・フレンツェン(ウィリアムズ)の順となった。
ザウバーのジャンニ・モルビデリはダンロップコーナーでクラッシュし、ドクターストップにより決勝への出場が見送られた。
予選終了後、審議委員団からヴィルヌーヴを失格処分とするとの発表があり、パドックは騒然となった。土曜午前のフリー走行中、ティレルのマシンがバックストレートでストップし、撤去作業のためこの区間にイエローフラッグが提示された。その間に自己ベストタイムを記録したドライバー達には、減速の義務を怠ったとしてイエローフラッグ無視の判定が下された。ヴィルヌーヴは過去の違反累積により「執行猶予付き1戦出場停止」の立場にあったため、今回の判定でペナルティが実行された。
ウィリアムズは直ちに国際控訴裁判所 (ICA) に控訴し、ヴィルヌーヴは暫定的に決勝への出走を認められた。決勝の正式結果は、10月21日にパリのFIA本部で下される裁定を待つことになった。
結果
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決勝
展開
フェラーリのチームプレー
スタートではヴィルヌーヴがシューマッハを牽制しながら、トップのまま1コーナーに進入した。ハッキネンがアーバインをかわして3位に浮上し、ヴィルヌーヴ、シューマッハ、ハッキネン、アーバイン、フレンツェン、ベルガーの順でオープニングラップを消化した。
2周目、フェラーリ陣営が最初の連携作戦を展開する。S字コーナーの逆バンクでシューマッハが減速してハッキネンを抑え、すかさず2台後ろにいたアーバインが2人をまとめてかわして2位に浮上(日本でのレースを多く経験していたアーバインは逆バンクのラインが2本あることを知っており、レース前の作戦会議でこれを利用することをチームに提言していた)。さらに3周目のシケインではヴィルヌーヴも抜いてトップに躍り出た。失格の可能性があるヴィルヌーヴはシューマッハを抑え込み、ライバルの獲得ポイントを減らすことに専念した。レース序盤はアーバインがトップを快走し、2位以下に10秒以上の差をつける予想外の展開となった。
9周目、ミナルディの片山右京がスプーンカーブ手前でマシンを止めた。片山は金曜日のフリー走行後、今季限りでのF1引退を表明しており、これが最後の日本GPとなった。
14周目、ハッキネンとベルガーが同時にピットインし、最初のタイヤ交換と再給油が行われる。上位3台はアーバインが17周目、シューマッハが18周目、ヴィルヌーヴが20周目にピットインした。ヴィルヌーヴはシューマッハの目前でコースに復帰したが、車速の乗ったシューマッハに1コーナーでかわされた。
25周目、トップを独走していたアーバインが突然ペースを落とし、シューマッハとヴィルヌーヴに追いつかれた。アーバインは逆バンクでシューマッハにトップを譲ると、すかさずヴィルヌーヴをブロックする役にまわった。フェラーリ陣営の巧妙な連係作戦により、シューマッハは逃げの体勢に入った。
ヴィルヌーヴはアーバインに抑え込まれた上に、30周目の2回目のピットインでは給油作業に手間取り、ハッキネンにも先行された。反対に、チームメイトのフレンツェンはピットインを遅らせたことが成功し、アーバインの前にポジションアップした。ピットストップ終了後の順位はシューマッハ、フレンツェン、アーバイン、ハッキネン、ヴィルヌーブ、アレジとなった。
レース終盤、シューマッハはアロウズのデイモン・ヒルを周回遅れにするのに手間取り、フレンツェンとの差が縮まった。しかし、シューマッハは今季5勝目を獲得してポイントを78点に伸ばし、暫定5位に終わったヴィルヌーヴとの差を1点に縮めた。レース後にマシンを降りると、アシストを務めたアーバインと勝利を祝った。
コンストラクターズポイントはウィリアムズ120点、フェラーリ100点となり、ヴィルヌーヴの裁定結果に関係なくウィリアムズのタイトル防衛が決定した。
レース後
10月16日、ウィリアムズは国際控訴裁判所への訴えを取り下げ、ヴィルヌーヴの失格処分が確定した[4]。ヴィルヌーヴの5位2ポイントが無効となったため、シューマッハ78ポイント、ヴィルヌーヴ77ポイントとなり、シューマッハ1点リードの状態で最終戦ヨーロッパGPを迎えることになった。5位以下の順位が繰り上がり、ザウバーのジョニー・ハーバートが6位1ポイントを獲得した。
結果
- No.3はフリー走行中の黄旗無視により失格
- No.17は予選中の負傷により不出走
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逸話
- このグランプリを当時4歳の松下信治が父に連れられ初レース観戦として客席から見ていた。F1に感動した松下はこの日をきっかけにレーシングカートを開始し、レーサーをめざす起点となった[5]。
脚注
- ^ 「片山右京インタビュー」『GP CAR STORY』Vol.23 アロウズA18・ヤマハ、三栄書房、69頁。
- ^ a b “1997 Japanese Grand Prix” (英語). Formula1.com. 2012年2月15日閲覧。
- ^ a b “日本GP 1997”. ESPN F1. 2012年2月15日閲覧。
- ^ "International Court of Appeal - Decision" (PDF) (Press release) (英語). FIA. 16 October 1997. 2012年2月16日閲覧。
- ^ ヒューマントーク・F1まっしぐら 松下信治エンケイ 2016年月日