BFW M.35BFW M.35
BFW M.35(メッサーシュミット M.35とも呼ばれる)は、1930年代初期のドイツのスポーツ機である。本機はウィリー・メッサーシュミットにより設計された最後のシリーズであった。 開発1927年から1933年にかけてメッサーシュミットは、単座機のM.17とM.19、複座機のM.23とM.27とM.31、最後にM.35といった一連の6機のスポーツ機を設計した[1]が、M.23以外は量産されなかった。これらの機体は全て開放式コックピットと固定式降着装置を備えた単発、片持ち式低翼単葉機であった。M.35は延長されたM.27の胴体とスパッツで覆われた1本脚柱の主脚を組み合わせた機体であった[2]。 M35aに出力112 kW (150 hp)の7気筒星形エンジンのジーメンス Sh 14aとM.35bに出力100 kW (135 hp)の倒立直列4気筒のアルグス As 8bという2種類のエンジンが使用された。前者の方が全長が短く、より高速であった。この機体は1933年に初飛行を行った[2]。 運用の歴史この機種はジュネーブで開催された1934年の航空ショー(Aerosalon)で初めて一般客と潜在顧客に披露され、同年にルドルフ・ヘスがM.35で「ツグスピッツ」杯(Zugspitz trophy)に優勝した。ヴィルヘルム・シュテーアはM.35b で1934-1935年のドイツ曲芸飛行競技会(the German Aerobatic Championship)に優勝し、ヴェラ・フォン・ビッシング(Vera von Bissing)が類似の機種で1935年に女性賞を獲得した[2]。 これらの成功と1930年代終わりに開催されたその他の競技会で見せた優秀な性能にもかかわらずM.35は僅か15機しか製造されず、そのうち13機がドイツで、1機がスペインで登録され[3]、残る1機はルーマニアで登録されたらしい[4]。M.35aの方が高速であったがM.35bが大多数で、明確に確認できるM.35aは僅か2機だけである。
運用要目 (M.35a)出典: Smith 1971, p. 34 諸元
性能
脚注
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