J・T・トーマス (ディフェンシブバック)
J・T・トーマス(J. T. Thomas、1951年4月22日 - )はジョージア州・メイコン出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブバック。ピッツバーグ・スティーラーズで「スティールカーテン」と呼ばれた強力なディフェンスの一員として、4回スーパーボウル優勝を果たしている[1]。 経歴フロリダ州立大学初のアフリカ系アメリカ人選手となった彼は[2]、2年次の1970年には最初の試合でFGを2度ブロックした。2年次生のオールアメリカンファーストチームに選出された。1972年にはコーナーバック、セイフティでプレーし、プロフットボール・ウィークリーとタイム誌からオールアメリカンファーストチームに選ばれた[1]。 1973年のNFLドラフト1巡24位でピッツバーグ・スティーラーズに指名されて入団した。当時スティーラーズのディフェンスバックは弱点となっており、最後の穴を埋めるために指名したとチャック・ノールヘッドコーチに言われている[3]。1年目は主に控えディフェンシブバックとしてプレーした。2年目の1974年から先発選手となり5インターセプト、1TDをあげた[4]。 メル・ブラントとのコンビは強力なもので[5]、1976年にはプロボウル、オールプロ[4]に選ばれた。 1978年には血液疾患のためシーズンを全休したが、翌年セイフティとして復帰、このシーズンのみインターセプトをあげられなかった[4]。 1980年、開幕戦で足首を負傷した彼はその後控え選手としてプレーした[6]。 1981年、4インターセプトをあげた。1982年、デンバー・ブロンコスにトレードされ[3]、1シーズンプレーした後、引退した[4]。 元チームメートのラリー・ブラウンとともに1980年代後半、レストラン事業に乗り出した[2][7]。 脚注
外部リンク
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