LINCおよびMITの Linc Computer(1980年[2]にDECが開設した博物館によれば[3]、DECがプロジェクトに参加する前はそのように呼ばれていた[4])は、MITで設計され、最終的にディジタル・イクイップメント・コーポレーション (DEC) と Spear Inc. (後に Becton Dickinson and Company が子会社化)が製造した[4]。当時4万ドル以上の価格で販売された。6フィート×20インチのラックに格納された構成が多く、テープドライブ、小型ディスプレイ、制御パネル、キーボードが入っている4つのボックスから成る。
実験で使用するのに便利なインターフェイスを備えていた。アナログ入出力は基本設計の一部となっている。1962年、リンカーン研究所の Charles Molnar と Wesley Clark が[5]、アメリカ国立衛生研究所 (NIH) のために設計したものである。LINCの設計が文字通りパブリックドメイン化されたことで、コンピュータ史上でもユニークなマシンとなっている。LINCの生産台数や誰が製造したかということはあまり問題にされない。ある文献によれば、24台のLINCがMITのサマーワークショップで組み立てられたという。DEC(1964年から)と Spear Inc.[6] が製品化し製造した。
ゴードン・ベルは、LINCプロジェクトが1961年に始まり、1962年3月に1台目が完成したとしており、それが正式に撤収されたのは1969年12月のこととしている[7]。DEC製のモジュールと筐体を使って全部で50台が生産され、多くがリンカーン研究所で組み立てられた。1台目のLINCには2つのオシロスコープが表示装置として備えられていた。DECは製品版21台を43,600ドルで販売。標準の開発用ソフトウェア(アセンブラ/エディタ)は Mary Allen Wilkes で、最終版は LAP6 (LINC Assembly Program 6) と呼ばれていた。
LINC-8 はPDP-8とLINCを結合したもので、PDP-8側の PROGOFOP(PROGram OF OPeration)というプログラムで(ゆっくり)起動された。PDP-12はLINCの後継としては最後の機種で最も広く使われた。様々な改善がなされていたが、根本的にはLINCとPDP-8を無理やり結合したアーキテクチャである。例えば、LINCにはオーバーフロービットがあり、アーキテクチャ上重要である。しかし、PDP-12ではPDP-8側の割り込みの際にこのオーバーフロービットをセーブ/リストアする機能がなかった。
^ abW. Clark, “The LINC was early and small,” Proceedings of the ACM Conference on The history of personal workstations, Palo Alto, California, United States: ACM, 1986, pp. 133-155.
^presentations at The Computer Museum, Marlborough, in the hands of its successor, The Computer History Museum
^E.C. Toren, R.N. Carey, G.S. Cembrowski, and J.A. Schirmer, “Computer-Controlled Instrument System for Sequential Clinical Chemical Testing. I. Instrumentation and System Features,” Clin Chem, vol. 19, Oct. 1973, pp. 1114-1121.
^C. Gordon Bell writing in Computer Engineering a DEC View of Hardware Systems Designs (c) Copyright originally held by Digital Press, out of print but available at Bell's web sites, pp 176–177