QLは68k系プロセッサを搭載したコンピュータとしては世界で初めて大衆市場向けに発売された製品だった。大急ぎで生産したため、Macintoshの1カ月前、Atari ST の約1年前に発売できた。クロック周波数は似たようなものだが、バスが8ビットで、ZX8301 がサイクルスチールするため、性能は良くなかった。1984年1月12日に発売したとき、大量生産の準備はできておらず、完全動作するプロトタイプも存在しなかった。それでもシンクレアは受注を開始し、28日以内に届けると約束した。しかし、生産はなかなか軌道に乗らず、出荷はやっと4月になって開始できるようになった。このため同社には批判が集中し広告基準協議会が注目するようになった[2]。
当時としては高い価格性能比が宣伝されたが、販売には結びつかず、需要がないためイギリス国内での生産は1985年に終了した。1986年4月にアムストラッドがシンクレアのコンピュータ部門を獲得すると、QLは正式に販売終了となった。信頼性問題とは別に、ターゲットとしていたビジネス市場は IBM PC に席巻され、ZX Spectrum ユーザーはゲームがほとんど移植されていないQLには移行しようとしなかった。また、標準的でないマイクロドライブと使いにくいキーボードもビジネス市場で敬遠された理由である。また、見た目が ZX Spectrum に似ていたため、ビジネス市場からは玩具のようなものとしか見られなかった。ソフトウェア企業も配布媒体としてマイクロドライブを使用する必要がある点からソフトウェアの移植を敬遠した。
ICLとの提携
QLの基本設計(CPUと2つのゲートアレイ)およびZXマイクロドライブは、ICLの One Per Desk (OPD) に使われ、BTグループでは Merlin Tonto、Telecom Australia では Computerphone の製品名で販売された。シンクレア・リサーチとICLとBTの3年間の協業の結果、キーボードの横に受話器が付いた装置と基本的なCTIソフトウェアが完成した[8]。この奇妙なマシンは多くの有名企業の興味をひき、英国関税消費税庁のとある部門でも採用した。しかし、成功したとはいえない。1980年代末ごろには、イギリス各地のビンゴ・ホールでネットワーク型ビンゴに使われていた[9]。
1986年以降
ハードウェア
アムストラッドがQLを廃止すると、QLの周辺機器を製造していた企業がその隙間を埋めようと動き出した。Cambridge Systems Technology (CST) と DanSoft は Thor という互換機を開発し、Miracle Systems はプロセッサ/メモリ用アップグレードカードやエミュレータを開発した。Qubbesoft と Aurora はQLのマザーボードの代替品を開発し、新たな高解像度グラフィックスモードをサポートしていた[5]。
1990年代末になると、QLと一部互換なマザーボード Q40 と Q60 を Peter Graf が設計し、D&D Systems から発売した。これらはそれぞれMC68040とMC68060をCPUとして使い、オリジナルのQLよりはるかに高性能で、オリジナルにはない様々な機能を備え(マルチメディア機能、高精細グラフィックス、イーサネットなど)、Linuxが動作する[10]。