ZIP HOT 100
『ZIP HOT 100』(ジップ ホット ワンハンドレッド)は、ZIP-FMで毎週日曜午後に生放送されているカウントダウン番組。またJFL各局で制作されている「HOT 100」の1つで、企画ネット番組でもある。 概要開局3日後の1993年10月3日から続く看板番組であり、同局全番組でのエアープレイ・リクエストデータ・東海地方主要CDショップのセールスチャートを集計。同局のオフィシャルチャートとして、毎週100曲のオリジナルランキングを決定していく。番組中では「名古屋でもっとアツい100曲」と案内されるが、『HOT 100』シリーズの番組名では唯一都市名を含まない[注釈 1]。 「STUDIO LACHIC」があった時代は、不定期ながらそこで公開生放送を実施していた。その最終は2022年12月18日。 番組スポンサーにはJ-WAVEなどと異なりSAPPORO BEERは付いていないが、2009年春の番組改編で、新たにマクドナルドが筆頭スポンサーになり、タイトルも『McDonald's ZIP HOT 100』(マクドナルド ジップ ホット ワンハンドレッド)に変更された。 2014年10月からはマクドナルドが筆頭スポンサーから降板した。その後、地元のIT企業のエイチームが筆頭スポンサーとなったため、タイトルも『ATEAM ZIP HOT 100』(エイチーム ジップ ホット ワンハンドレッド)に変更された。 2024年4月からはエイチームが筆頭スポンサーから降板した。その後、中古車情報誌発行及び関連するウェブサイトの運営を行う企業の株式会社プロトコーポレーションが筆頭スポンサーとなったため、タイトルも『PROTO ZIP HOT 100』(プロト ジップ ホット ワンハンドレッド)に変更された。 また、筆頭スポンサー以外に地元の有力企業を多数連ねている。 また、インフォメーション、タイムシグナル、ステーションジングル類は全て省略される。 鉄平担当後のテーマソングは『ドラゴンクエスト序曲「ロトのテーマ」』のアレンジヴァージョン。 放送時間
ナビゲーターの変遷初代ミュージックナビゲーターを務めたケンカワシマは、小林克也の紹介であった。開局当初の予想を超える高い聴取率を自身の手柄だとして、法外な出演料を要求、対して局側は「開局当初は物珍しさで聴取率は高いのが普通」としてそれを拒否。それでも姿勢を崩さなかったカワシマに辟易した局側は、契約を打ち切った。 この一件に責任を感じた小林は『新しいナビゲーターが見つかる間まで』の期間限定で同番組のナビゲーターを務める。ところが、このナビゲーター変更は小林の予想以上の好反響で、局側の意向もあり、10年以上に渡り継続することとなった。 小林自身が毎週東京と名古屋を行き来しながらそれぞれ長時間に渡る番組に挑む[注釈 2]ことに体力の限界を感じ始め、局に降板を打診。局側も了承し、2006年3月26日放送をもって降板した。翌週からはMTVジャパンで活躍した鉄平が抜擢された[注釈 3]。 小林時代の数多くの人気コーナー(涙のリクエスト、THE 生年月日、ショートコント〔コバえもん、小林家三平といったキャラを生み出した〕、ミッキーのクイズ、言論の自由など)は終了。特別コーナーとしてはクイズのみが残され、新コーナー追加、及び各曲を流す時間を伸ばしたり、トークやレター紹介を増やした形式になった。現在ではコーナーの多くが鉄平の趣味を反映したものとなっている。 2010年8月22日の放送で鉄平が自らの病気を公表、療養にあたることになり、その間の代役をデイルが務めた。 同年12月26日の放送で鉄平が出演、退院を報告。翌年2011年1月2日から正式に番組復帰した。 2020年9月13日の放送でも鉄平と共に行動していた仲間が発熱を公表、仲間の療養を見守ることになり、その間はデイルが再度代役を務めた。 同年9月27日の放送で正式に2度目の番組復帰した。 主なコーナー現在
番組内では前出の「メッサーゲ」の他、「チェックする」を「アレする」など、独自の言い回しを多用する。 以前小林時代
鉄平時代
歴代年間1位獲得曲連続1位獲得記録ここでは、5週以上連続で1位を獲得した曲を挙げる。
その他かつてはZIP-FMからステッカーなどの全ての番組から送られる郵便物に、この番組のチャート表が印刷された紙が同封されていた。 2023年2月26日付において、ヨルシカ「アルジャーノン」が番組史上初となる初登場1位を獲得した[2]。 JFL各局の「HOT 100」放送が終了した番組 脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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