Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

ウーヴェ・ケストナー

ウーヴェ・ケストナー
Uwe Kaestner
生誕 ウーヴェ・クルト・ケストナー
Uwe Kurt Kaestner

1939年2月8日
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国ドレスデン
国籍 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国西ドイツの旗 西ドイツドイツの旗 ドイツ
出身校 フライブルク大学ケルン大学ボン大学、法学博士号
職業 官僚外交官
活動期間 1963年外務省に入省
肩書き 駐日ドイツ大使
任期 1999年 - 2001年
前任者 フランク・エルベ
後任者 ヘンリク・シュミーゲロー
配偶者 (妻)
受賞 ドイツ連邦共和国功労勲章
テンプレートを表示

ウーヴェ・クルト・ケストナー(Uwe Kurt Kaestner、1939年2月8日 - )は、ドイツ官僚外交官ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー外務大臣のもと、ドイツとポーランドの和解に尽力する[1]

来歴

ウーヴェ・ケストナーは、1939年2月8日にドレスデンにて生まれる。1958年アビトゥーアに合格したのち、フライブルク大学に入学、法学を専攻する。ケルン大学ボン大学などで学び、1962年に卒業。1966年に「Die Zulässigkeit wirtschaftlicher Integration nach der Verfassung der Vereinigten Staaten von Amerika」をテーマに論文をおさめ、法学博士号を取得した。

1963年西ドイツ外務省に入省し、上級職研修を受けたのち、政務局東欧部課長、同局ラテンアメリカ部部長、同局アフリカ部部長、同局局長などを務める[1]

在外ドイツ大使館勤務はエクアドル[2][注 1]南アフリカ共和国日本ブラジルなど多岐にわたる。特に駐ブラジルドイツ大使館で、外交官として1966年から1970年までと、大使として2001年から2004年までの7年間を[1]。日本では、1999年9月22日フランク・エルベに代わり駐日本ドイツ連邦共和国特命全権大使に任命され、同年11月9日皇居正殿にて信任状を捧呈した[3]2001年、10月24日に日本を離任した後、在ブラジリア・ドイツ連邦共和国大使館へ赴任した[4]

人物

脚注

注釈

  1. ^ 1974年から1977年まで在エクアドル西ドイツ大使館副代表を務める。

出典

  1. ^ a b c 国際シンポジウム ヨーロッパの戦後和解”. 広島市立大学 (1999年10月7日). 2016年4月9日閲覧。
  2. ^ 各界著名人による特別講座”. 中央福祉医療専門学校 (2009年). 2016年4月9日閲覧。
  3. ^ 天皇皇后両陛下のご日程の中の平成11年(7月~9月)”. 宮内庁 (1999年9月22日). 2016年4月9日閲覧。
  4. ^ 天皇皇后両陛下のご日程の中の平成13年(10月~12月)”. 宮内庁 (2001年10月24日). 2016年4月9日閲覧。

参考文献

  • Die Zulässigkeit wirtschaftlicher Integration nach der Verfassung der Vereinigten Staaten von Amerika, Dissertation, Universität Bonn, 1966

外部リンク

関連項目

外交職
先代
フランク・エルベ
ドイツの旗 駐日ドイツ大使
2001年12月22日 - 2001年10月24日
次代
ヘンリク・シュミーゲロー
Kembali kehalaman sebelumnya