デスモンド・デショーン・フィギンズ(Desmond DeChone Figgins, 1978年1月22日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州リアリー出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
経歴
ロッキーズ傘下時代
1997年に、ドラフト4巡目(全体132位)でコロラド・ロッキーズから指名を受けプロ入りした。この年ルーキーリーグ54試合に出場し、リーグ最多の6三塁打、リーグ3位の30盗塁を記録した[1]。
エンゼルス時代
2001年7月13日にキメラ・バーティーとのトレードでアナハイム・エンゼルスへ移籍し、プロ6年目となる2002年、3Aのソルトレイク・ビーズで125試合に出場し、打率.305、球団新記録となる18三塁打と39盗塁を記録した[2]。
その後、8月25日にメジャーデビューを果たした。この年はメジャーで15試合に出場。ワールドシリーズでは代走として出場し、メジャー1年目でワールドチャンピオンの一員となった。2003年、3Aとメジャーの昇格と降格を繰り返し、メジャーで71試合に出場し、打率.296、13盗塁を記録し、3Aでは球団史上歴代2位となるシーズン15三塁打を記録した[3]。
2004年初めて1年を通してプレーをした。5月14日のオリオールズ戦では6打数5安打6打点を記録し、2回には球団史上バック・ロジャース(1961年9月29日)以来となるメジャー初本塁打が満塁本塁打となった[4]。延長10回には決勝打を放ち、チームの勝利に貢献。8月10日にシーズン14三塁打目を放ち、球団シーズン最多三塁打を更新し[5]、この年リーグ2位の17三塁打を記録した。盗塁ではカール・クロフォード、イチローに次ぐリーグ3位の34盗塁を記録した。レッドソックスとのディビジョンシリーズでは14打数で2安打の成績でチームも敗退した。
2005年はこの年のメジャー最多、球団史上ミッキー・リバースが1975年に記録した70盗塁に次ぐ62盗塁を記録し[6]、球団史上初のシーズン100得点・50盗塁を達成した[7]。10月1日のレンジャーズ戦で2安打を放ち、ジョニー・レイのスイッチヒッターとしての球団シーズン安打記録184(1988年)を更新し[8]、最終的に186まで記録を伸ばした[7]。
2006年開幕前に3年総額1,050万ドルで契約延長した[7]。この年、タンパベイ・デビルレイズのカール・クロフォードに次ぐリーグ2位の52盗塁を記録した。9月16日サイクル安打を、9月29日にランニングホームランを達成した。球団史上初めて同じ年にサイクル安打とランニングホームランを達成した[9]。
右手の骨折により出遅れ[10]。、2007年シーズン初出場は4月30日。5月30日時点で打率は.133だったが[11][12]、それ以降の打率はメジャー1位となる.381を記録[12]。6月には115打数53安打でダリン・アースタッドが2000年4月に記録した球団月間最多安打記録48本を更新した[13]。7月15日に自己最多タイの1試合3盗塁を決め、ゲーリー・ペティスの球団通算盗塁記録187を更新した[14]。最終的に自己最高、リーグ6位となる打率.330を記録。打率が上昇したのはゴロを打つバッティングに徹するようになり、快足が生きるようになったためである[15]。
2009年はオールスターに初めて選出され、リーグ最多の101四球を記録。出塁率は自己最高の.395を記録した。三塁手としての守備も高数値を残して攻守にわたって活躍し、rwarでは7.7を記録するなどキャリアハイのシーズンとなった。11月6日にFAとなった。
マリナーズ時代
2009年12月8日にシアトル・マリナーズと4年総額3600万ドル(5年目はオプション)の契約で合意[16]。
2010年は二塁手として出場。主に2番でイチローと1・2番コンビを組み、チームの打線の起爆剤として期待されたが、開幕から調子があがらず、前半戦を打率.209で折り返すなど期待外れのパフォーマンスに終わった。最終的に9月下旬に固め打ちして打率を.259・出塁率を.340まであげ、42盗塁、リーグトップの17犠打を記録した。
2011年は三塁手として出場。しかしスランプに陥り、打率は2割を切り、長所の出塁率も.241に終わった。
2012年は主に左翼手として出場。エリック・ウェッジ監督の提言により、イチローが3番に移動、代わりにフィギンズが1番に入った。前年までのスランプから再起をかけたシーズンだったが、スランプから脱することができず、2年連続で打率1割台に終わった。1番打者としてイチローの代役を務められず、批判を集める結果となり、5月4日に監督のアナウンスにより控えに降格。その後は出場機会がほとんどなく、最終的に打率.181、出塁率.262という成績となった。契約は翌年も残っていたが、フィギンズは心的疲労・ストレスから「マリナーズから脱出したい」と思うに至っている[17]。オフの11月20日に40人枠から外され[18]、戦力外になった。2013年分の年俸800万ドル(約6億6000万円)の契約が残っており、フィギンズにはこの全額がマリナーズから支払われる[19]。
マーリンズ傘下時代
2013年2月8日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだが[20][21]、そのおよそ1カ月後に解雇された[22][23]。
ドジャース時代
2014年1月24日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[24]。3月16日にドジャースとメジャー契約を結び[25]、オーストラリアでの開幕戦に同行した。開幕後は代打として9試合に出場したが、6打数1安打と結果を残せず、4月21日にAAA級アルバカーキ・アイソトープスへ降格[26]。5月2日に昇格し[27]、29試合に出場していたが、6月14日に左の大腿四頭筋を痛め15日間の故障者リスト入りし[28]、8月6日にDFAとなった[29]。8月13日に解雇された。
引退
2014年にドジャースを解雇されて以降はどこのチームにも所属せず、2016年3月20日に引退を公式に表明した[30]。またエンゼルスと引退のための1日契約を結ぶことを明らかにした[30]。
選手としての特徴
右投両打のユーティリティープレイヤー。内野手登録になっていたが、外野手として出場することも多かった。2006年と2012年は内野手よりも外野手として出場した試合数の方が多かった。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2002
|
ANA LAA
|
15 |
12 |
12 |
6 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1 |
.167 |
.167 |
.250 |
.417
|
2003
|
71 |
277 |
240 |
34 |
71 |
9 |
4 |
0 |
88 |
27 |
13 |
7 |
6 |
4 |
20 |
0 |
0 |
38 |
1 |
.296 |
.345 |
.367 |
.712
|
2004
|
148 |
638 |
577 |
83 |
171 |
22 |
17 |
5 |
242 |
60 |
34 |
13 |
10 |
2 |
49 |
0 |
0 |
94 |
6 |
.296 |
.350 |
.419 |
.769
|
2005
|
158 |
720 |
642 |
113 |
186 |
25 |
10 |
8 |
255 |
57 |
62 |
17 |
9 |
5 |
64 |
1 |
0 |
101 |
9 |
.290 |
.352 |
.397 |
.749
|
2006
|
155 |
683 |
604 |
93 |
161 |
23 |
8 |
9 |
227 |
62 |
52 |
16 |
5 |
7 |
65 |
1 |
2 |
100 |
6 |
.267 |
.336 |
.376 |
.712
|
2007
|
115 |
503 |
442 |
81 |
146 |
24 |
6 |
3 |
191 |
58 |
41 |
12 |
2 |
8 |
51 |
0 |
0 |
81 |
7 |
.330 |
.393 |
.432 |
.825
|
2008
|
116 |
520 |
453 |
72 |
125 |
14 |
1 |
1 |
144 |
22 |
34 |
13 |
2 |
0 |
62 |
3 |
3 |
80 |
7 |
.276 |
.367 |
.318 |
.685
|
2009
|
158 |
729 |
615 |
114 |
183 |
30 |
7 |
5 |
242 |
54 |
42 |
17 |
8 |
4 |
101 |
0 |
1 |
114 |
8 |
.298 |
.395 |
.393 |
.789
|
2010
|
SEA
|
161 |
702 |
602 |
62 |
156 |
21 |
2 |
1 |
184 |
54 |
42 |
15 |
17 |
6 |
74 |
0 |
3 |
114 |
19 |
.259 |
.340 |
.306 |
.646
|
2011
|
81 |
313 |
288 |
24 |
54 |
11 |
1 |
1 |
70 |
15 |
11 |
6 |
2 |
2 |
21 |
1 |
0 |
42 |
6 |
.188 |
.241 |
.243 |
.484
|
2012
|
66 |
194 |
166 |
18 |
30 |
5 |
2 |
2 |
45 |
11 |
4 |
1 |
7 |
2 |
19 |
0 |
0 |
48 |
3 |
.181 |
.262 |
.271 |
.533
|
2014
|
LAD
|
38 |
76 |
60 |
8 |
13 |
3 |
0 |
0 |
16 |
1 |
4 |
1 |
1 |
0 |
14 |
0 |
1 |
15 |
0 |
.217 |
.373 |
.267 |
.640
|
通算:12年
|
1282 |
5360 |
4701 |
708 |
1298 |
188 |
58 |
35 |
1707 |
403 |
341 |
119 |
69 |
40 |
540 |
6 |
10 |
832 |
73 |
.276 |
.349 |
.363 |
.712
|
- 各年度の太字はリーグ最高
- ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更
タイトル
記録
脚注
- ^ “Chone Figgins 1997 Career Highlights” (英語). 2008年4月15日閲覧。
- ^ “2002 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月6日閲覧。
- ^ “2003 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月6日閲覧。
- ^ BALTIMORE (AP) (2004年5月14日). “Palmeiro moves into 12th on HR list” (英語). ESPN.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ ANAHEIM, Calif. (AP) (2004年8月10日). “Tejada goes 3-for-5, has 5 RBI” (英語). ESPN.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ “Los Angeles Angels of Anaheim Top 10 Batting Leaders” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ a b c Scarr, Mike (2006年1月14日). “Angels lock up Figgins, Rivera Players avoid arbitration by signing multiyear deals” (英語). MLB.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ ARLINGTON, Texas (AP) (2005年10月1日). “Angels win for 13th time in 15 games” (英語). ESPN.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ “2006 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月6日閲覧。
- ^ Spencer, Lyle (2007年4月29日). “Notes: Matthews awaits Figgins' return” (英語). MLB.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ “Chone Figgins 2007 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年2月5日閲覧。
- ^ a b “2007 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年2月6日閲覧。
- ^ BALTIMORE (AP) (2007年6月29日). “Huff hits for cycle, first Oriole since 1984; O's fall” (英語). ESPN.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ ANAHEIM, Calif. (AP) (2007年7月15日). “Teixeira's homer in 11th completes Rangers' rally vs. Angels” (英語). ESPN.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、198頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ Associated Press (2009年12月8日). “Figgins, Mariners finalize deal” (英語). ESPN.com. 2009年12月10日閲覧。
- ^ http://www.mlbtraderumors.com/2012/10/figgins-wants-out-of-seattle.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
- ^ Seattle Mariners cuts ties with Chone Figgins ESPN
- ^ マリナーズ、不振続きのC.フィギンズをついに戦力外
- ^ Versatile veteran Figgins signs Minor League deal
- ^ Marlins Sign Chone Figgins
- ^ Marlins release Chone Figgins
- ^ Marlins release Chone Figgins-CBS
- ^ Ken Gurnick (January 24, 2014). “Figgins' Minor League deal now official”. MLB.com. January 23, 2014閲覧。
- ^ Jose M. Romero (March 16, 2014). “Dodgers set 30-man roster for Australia Series”. MLB.com. August 7, 2014閲覧。
- ^ “Dodgers recall Jose Dominguez; option Chone Figgins to Triple-A Albuquerque”. MLB.com Dodgers Press Release (April 21, 2014). August 7, 2014閲覧。
- ^ Ken Gurnick (May 2, 2014). “Shoulder getting better, but Ryu lands on DL”. MLB.com. August 7, 2014閲覧。
- ^ Ken Gurnick (May 2, 2014). “Figgins on DL with quad strain; Triunfel called up”. MLB.com. August 7, 2014閲覧。
- ^ Ken Gurnick (August 6, 2014). “Dodgers designate infielder Figgins for assignment”. MLB.com. August 7, 2014閲覧。
- ^ a b “Chone Figgins to sign one-day contract, retire with Angels”. si.com (March 20, 2016). April 19, 2016閲覧。
関連項目
外部リンク
|
---|
1900年代 | |
---|
1910年代 | |
---|
1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|