セバスチャン・ポルト
セバスチャン・ポルト(Sebastián Porto[1], 1978年9月12日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州ラファエラ出身の元モーターサイクル・ロードレーサー。愛称は "セバス"。 経歴ポルトは11歳の時ミニバイクレースを開始し、1992年にはアルゼンチン国内の100ccクラスチャンピオンになる。1994年には同250ccクラスのチャンピオンとなり、またオスカル・ガルベス・サーキットで開催されたアルゼンチンGP、125ccクラスレースにワイルドカード参戦し、世界選手権デビューを果たした。 翌1995年にはヨーロッパに渡り、スペイン国内選手権(オープン・ドゥカドス)の250ccクラスチャンピオンとなった。1996年にはアプリリアを駆ってロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始、またこの年には並行参戦していたロードレースヨーロッパ選手権250ccクラスでチャンピオンを獲得する。 1999年からはマシンをヤマハに乗り換え、この時点で自己ベストとなるシリーズ9位に入る。翌2000年にもシリーズ9位に入り、またこの年にはプライベーター最上位に授与される "Michel Metraux Trophy" も獲得した。 そして2002年、第12戦ブラジルGPで自身初優勝を果たし、シリーズ5位に入る活躍を見せた。 2003年シーズンはアルベルト・プーチ率いるテレフォニカ・モビスター・ホンダチームに移籍したが、表彰台の獲得もなくシリーズ8位に終わる。翌2004年はホルヘ・マルチネス率いるレプソル・アスパー・アプリリアチームに移籍し、シーズン5勝、表彰台10回を獲得したが、前年度所属していたテレフォニカ・モビスター・ホンダのルーキー、ダニ・ペドロサが圧倒的な強さを見せ、ポルトはシリーズ2位となった。 2005年もアスパー・チームに残留したが、ダッチTTでの1勝に留まり、シリーズランキングは6位に終わった。一方ペドロサはクラス2連覇を果たし、翌年はMotoGPクラスにステップアップすることとなった。 2006年、そのペドロサの後釜としてポルトは再びプーチ監督と組み、ホンダ・RS250RWを駆ることになった。ポルトと一緒にスポンサーが異動する形となり、チーム名は"レプソル・ホンダ"に変更。チームメイトはルーキーの青山周平だった。フル参戦11年目となったこのシーズン、ポルトはマシンへの順応に苦しみ、満足な成績が残せないでいた。6月15日、第7戦カタルニアGPを前に、ポルトはモチベーションを失ったことを理由として、27歳で二輪レースからの現役引退を発表した[2]。 ロードレース世界選手権 戦績
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