デイヴ平尾&ゴールデン・カップス(-ひらお と-、1973年 結成 - 1974年 活動停止)は、かつて存在した日本のロックバンドである。ザ・ゴールデン・カップスのリーダーだったデイヴ平尾(平尾時宗)が、カップス解散後に結成した。ママリンゴ、横浜よいどれバンド(よこはま-)、ニュー・ゴールデン・カップスとも名乗った。
略歴・概要
1972年(昭和47年)1月、ザ・ゴールデン・カップスが沖縄で解散したあと、1973年(昭和48年)ころに、デイヴ平尾が、京都・河原町にあったサパークラブ「ママリンゴ」(現在閉店)等での営業のために結成した。当初、バンド名が定まっておらず、ママリンゴ、横浜よいどれバンド、ニュー・ゴールデン・カップスとも名乗った。
メンバーも流動的であったが基本的には、元ザ・ゴールデン・カップスの平尾、柳譲治(柳ジョージ)、1969年(昭和44年)末にカップスを脱退してフード・ブレイン~スピード・グルー&シンキを経た加部正義(ルイズルイス加部)、元グレープジュース(小山ルミのバックバンドも務めたGS)でエモーション~羅生門~ゴジラ~初期のハルヲフォン(のちの近田春夫&ハルヲフォン)と近田春夫とともにバンド街道を歩んできた金沢ジュン(金澤純一)の4人で、のちに、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを脱退した蜂谷吉泰が加入した[1]。
旧カップス時代の曲や洋楽のカバーを演奏した。当時のスタジオ音源は残されていないが、ライヴ音源(郡山ワンステップフェスティバルや横浜野外音楽堂での録音)は後年にCDリリースされた。その後、平尾が再びソロ活動を行うため1974年(昭和49年)末~1975年(昭和50年)頭あたりでバンド活動を停止した。のちに平尾がテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年6月6日 - 9月26日)で歌った挿入歌『ママリンゴの唄』は、この当時のことがモチーフとなっている。
なお、初期の頃には、イサム神吉(セッションミュージシャン/サイドマン)、アイ高野(元ザ・カーナビーツ)、大口広司(元ザ・テンプターズ)、四ツ田ヨシヒロ(のちにレイニーウッド)といったドラマーや、陳信輝(元パワーハウス)、佐藤宣彦(のちにPANTA&HAL)といったギタリストが参加していたという証言があるが、写真や音源などの記録は残されていない。[2][3][4][5][6]
関連事項
註
外部リンク