1957年5月にクライスラー社長のレスター・ラム・“テックス“・コルバート(Lester Lum "Tex" Colbert )は、増加しつつある人気の高い輸入小型車に対抗する車を開発する委員会を立ち上げた。クライスラーのチーフデザイナーのヴァージル・エクスナー(Virgil Exner)は、室内と荷室のスペースを阻害することなくフルサイズ車よりも小型で軽量の車をデザインした[2]。1955年のエクスナー作であるコンセプトカーのクライスラー・ファルコン(Chrysler Falcon)に因んで元々は「ファルコン」と名付けられたこの車は、ヘンリー・フォード2世(Henry Ford II)から自社のファルコン用に名称の使用を要請されたことに応えて「ヴァリアント」と改称された[3]。ヴァリアントは1959年10月26日にロンドンの第44回国際自動車ショーにおいて独自ブランド「Valiant by Chrysler Corp」の名称で初めて披露され[4]、その後「誰の弟分でもない、自らの4輪で自立した。」という謳い文句で宣伝された。1961年からヴァリアントは米国市場にプリムスのモデルとして導入された。1961 - 62年モデルのダッジ・ランサー(Dodge Lancer)は本質的にはヴァリアントの内装とスタイリングの細部を変えただけのリバッジ・モデルであった。
ヴァリアントは全く新しい直列6気筒、直列のシリンダーを片側に30°傾けた有名な「スラント6」(Slant-6)エンジンを搭載していた。これによりボンネット位置を下げることができウォーターポンプを側面に移動することでエンジンの全長を短く収め、クライスラー社の先駆的な吸気管チューニング技術による効率の良い長く独立した吸気管と排気管を備えていた。高い信頼性が評判の鋳造ブロックのスラント6は、当初のアルミニウム製ブロックでは耐久性を持たせるために軽量合金ではなく密度の粗い丈夫な鋳造製であった。1961年終わりから1963年初めにかけて5万基以上の鋳造アルミニウム製版の225 cu in (3.7 L) エンジンが製造された。
実際、1960年モデルのヴァリアントはアルミニウム鋳造技術の分野でクライスラー社が先駆者であることを実証していた。アルミニウム製のエンジンブロックを持つスラント6は1961年まで製造される一方で、インディアナ州のコーコモーにある鋳物工場では1960年モデルのヴァリアント用に多数のアルミ製部品を製造して車両の総重量を減らすことに貢献した。1960年モデルのヴァリアントではシャーシ部品用として鋳造アルミ製部品を多数使用していたことに加えて、構造/加飾部品に60 lb (27 kg) に達するアルミ製部品を使用していた[6]。これらの部品にはオイルポンプ、ウォーターポンプ、オルタネーターのケース、ハイパー・パック(下記参照)や通常生産品の吸気管、トルクフライト(Torqueflite) A904型オートマチックトランスミッション(AT)やトルクコンバーターのケースと延長部、その他の細々した部品が含まれていた。これら鋳造アルミ製部品は同じ部品が鋳鉄製である場合に比べ約60%の重量を軽減することができた[6]。鋳造アルミ製部品は、強度的にそれ程重要ではない部位の厚みを減らすことにも利点があり、この部品断面の厚みは少なくとも0.1875 inの厚みが要求される一定の品質を保つための鋳造技術の実践に貢献した[6]。アルミのプレス製である外装の加飾部品は、クロームメッキが施された亜鉛鋳造製のものよりも軽量で、ヴァリアントのグリルとボディを取り巻くモールディング全ての合計は僅か3 lb (1.4 kg) しかなかった[6]。もし当時の多くの車のグリルと同様に同じ部品を亜鉛鋳造部品で作るとその重量は13 lb (5.9 kg) 程になるはずであり[6]、60 lb (27 kg) のアルミ製部品を使用することでヴァリアントの総重量の約4%に当たる102 lb (46 kg) の重量を軽減できた[6]。
1961年モデルで新しい2ドア・モデルが発売されたが4ドア・セダンとワゴンのボディのプレス型に変更はなかった。内装と外装の飾り(特にV200で)に「モデルイヤーの印」となる変更(婉曲的な「計画的陳腐化」)が施された。1960年モデル用ラジエターグリルの模様は継続されたが、1961年モデルでは格子の中が黒く塗装された。グリル中央のグリルバッジは引き続きエンジンフードのロック解除レバーの役目も担っていたが、1960年モデルの赤地に金文字の「"Valiant"」から白地に青と白で構成された「"V"」字のヴァリアント・ロゴに変更されていた。ボディ側面の加飾は変更され、テールフィンの峰上の10 in の槍状クローム加飾、ボディ下部の分割線にホッケースティック形状の加飾が追加され、前部フェンダー/ドアの峰を長いステンレス製加飾が覆っていた。テールフィンの上面に3本のクローム線が貼り付けてあり、トランクリッド上のスペアタイヤカバーを模したプレス型の中央には大きな横長のエンブレムがあり、真ん中の円形プラスチックに「"V200"」と書かれたものが取り付けてあった。「"V200"」の円形プラスチックは前部フェンダー上のステンレス製加飾の中ほどにも付いていた。室内では計器盤はほぼ同じものを引き継いでいたが、1960年モデルの黒地に白文字のメーターが白地に黒文字に変更されていた。
1961年モデルの機械構造上の変更は、新しいキャブレター、PCVバルブ(カリフォルニア州で販売される車には新たに必須装備となった)の採用、ディーラー装着のエアコン、オルタネーターのエンジン左側から右側への移設と広範囲に渡るシステムと部品の刷新であった[14]。1961年モデルの遅くに大型の225 cu in (3.7 L) スラント6 エンジンがヴァリアントに設定された。このエンジンは同年早くから大型のダッジ車やプリムス車、ヴァリアントと同クラスのダッジ・ランサーといった車に広範囲に使用されていた。
1962年モデルでの機械構造上の変更は広範囲に渡っていた。新型のセルモーター、オルタネーター、より多くのフューズ、計器盤の個別配線に替えてプリント基板が採用されるといった電装システムには大幅に改良が加えられた。キャブレターは再度改良され、マニュアルトランスミッションのシフトノブ位置はフロアシフトからコラムシフトへ、以前の垂直式エンジンマウントから新しく45°の傾斜エンジンマウントに、排気システムは耐錆性能の高い材質のものに変更され、燃費性能向上のためにアクスルのギヤ比が改められた。アシスト無しのマニュアル・ステアリングのギヤ比が20:1 から 24:1へ変更され、パワーステアリングとマニユアルの双方共にステアリング・ギヤボックスが新しくされマニュアルの方はギヤボックスのケースが鉄製からアルミ製に変更された。前輪サスペンション部品の大部分は再設計され、給脂は32,000 ml (51,000 km) 毎で構わないとされた[15]。
1961年10月にイラストレーター協会(Society of Illustrators)は、1962年モデルのシグネット200の卓越したデザインに対し、エクスナーをヴァリアントの「独創性のある彫刻的デザイン」、「オリジナリティ、慎み深い美しさを持つ目を惹きつける自動車」と讃えた[16]。
1963年モデルでヴァリアントは外観を全く新規にされ、ホイールベースは1/2 in (13 mm) 短く、幅広で平らなボンネットと平たく四角いトランクリッドになった。上部のベルトラインはボディ後部からなだらかな曲線を描いて前部フェンダー先端まで繋がり、ここで反転下降して前部フェンダー後端まで続いていた。屋根の線は平らで角張った形状となり、グリルは同時期のクライスラー車を特徴付ける逆台形に細かな網が入れられていた。ボディ構造の先進性、数多くの装備品と新しいバネ仕掛けのチョーク弁が宣伝上の売りであった。ボディ形状は2.ドア・クーペ又はハードトップ、4ドア・セダンとステーションワゴンが用意されていた。ハードトップとコンバーチブル(手動かオプションで自動の)は上級のV200と豪華なシグネット(Signet)仕様にのみ設定された。オプションの225 cu in (3.7 L) スラント-6エンジンは当初アルミ鋳造製ブロックのものが1961年遅くに導入されたが、1963年初期モデルでアルミ製ブロックは廃止され、それ以降170と225エンジンは鋳鉄ブロックのみとなった。1962年12月にプリムスの車としては初めてのビニールルーフがシグネットにオプションで設定された。1963年モデルのヴァリアントは市場から好評を持って受け入れられ、その年の販売数は22万5,056台にも昇った[17][18]。
1967年モデルでヴァリアントは外観を全く新たにされ、ステーションワゴンとコンバーチブルは廃止された。2ドアと4ドアのセダンは新しい108 in (2,700 mm) のホイールベースになった。スタイリングは真っすぐな直線的なものとなり、ボディ側面は下側がホイールに向かって広がる柔らかな彫刻的な線を描いており、新しいフェンダーは垂直に切り立ったスラブ・ルック(slab look)を作り出していた。グリルは2分割にされ、左右各々のグリル内で更に水平に2分割されていた。区切られた縦型のテールライトは車体を大きく見せていた。170 cu in (2.8 L) のスラント-6 エンジンの出力は、1965年モデルの225エンジンに導入された多少大きなカムシャフト、以前の170エンジンに使用されていた小型の1.5625 in (39.69 mm) 口径のスロットルに代わってカーター・BBSや以前は225エンジン用に採用されていた大型の1.6875 in (42.86 mm) 口径のホーリー・1920を装着することにより101 bhp (75.3 kW) から 115 bhp (85.8 kW) に向上した。
1968年モデルではグリルから水平の分割バーが外され、左右に分割された細かな水平線で構成されたグリルが各々クロームで囲われていた。モデル名のプレートが後部フェンダーから前部フェンダーへ移された。318 cu in (5.2 L)、230 bhp (171.5 kW) のV8エンジンがヴァリアントに初めてオプション設定された。
1970年モデルは1969年モデルの金属製から新しく黒いプラスチック製の彫刻的なグリルに変更されると共に細かな変更が加えられた以外は前年モデルとほぼ同一の車であった。ボンネットの中央が前方に張り出す一方でグリルの位置は変わらずボディ先端より引っ込むこととなった。新しいダスター クーペの導入により2ドア・セダンが廃止された。輸出仕様以外の全てのヴァリアントのベース・モデルは170から新しい198 cu in (3.2 L) 版のスラント-6エンジンに変更された。このエンジンは170エンジンよりも高性能で、225エンジンと同じシリンダーブロックを使用していたため安価に製造することができた。1971年モデルのヴァリアントは、グリル中央のエンブレムが外されグリル周りの飾りが新しくなった以外の実質的な変更点は無かった。グリルはそれまでの銀色のものから黒いものに変えられた。1970年モデルと1971年モデルでの内装と外装の変更は僅かであったが、機構面では操縦性の向上、遮音性の改善、環境負荷の低減といった変更が施されていた。環境負荷軽減への対応は、新たに設立されたアメリカ合衆国環境保護庁(Environmental Protection Agency:EPA)が施行するEGR バルブや活性炭フィルターといった装備搭載の必須規制に対応したものであった。1971年モデルのヴァリアントは1971年内までで25万6,930台を販売した[20]ことで1972年モデルの変更は消極的なものとなった。1972年モデルではテールライトとグリルの細部が変更され、ボディ側面のマーカーライトが以前の埋め込み式からより安価な表面貼り付け式に新しくされた。
1971年モデルの初めに「ヴァリアント・スキャンプ」と呼ばれるホイールベース111 in (2,800 mm) のダッジ・ダート スウィンガー(Dodge Dart Swinger)のバッジエンジニアリング版が追加された。この車はダート スウィンガー 2ドア・ハードトップのボディにヴァリアントの顔付きと1970年モデルのダッジ・ダートから引き継いだ2連テールライトを備えていた。
第1世代と第2世代のバラクーダは多分に同時期のヴァリアントを基にしていたが、プリムスはバラクーダを明確に独立車種としたかった。その結果、1964年モデルのトランクリッド上にあったクロームの「"Valiant"」の文字は米国市場の1965年モデルでは取り除かれ、1966年モデルではデザインされたヴァリアントの赤青の「"V"」エンブレムがバラクーダでは独自のデザインされた魚型のロゴに差し替えられた。1967年モデルでは新しい280hp(210kW)の4-バレル 383cu in V-8エンジンは「フォーミュラS」(Formula S )のみのオプションとなり、これはバラクーダを0-60mph加速を7.4秒、1/4マイルを15.9秒で走らせる性能を発揮した[28]。カナダや南アフリカといったその他の市場ではヴァリアントというのは独自ブランドであり1969年モデル以降は廃止されるまでA-ボディのバラクーダは「ヴァリアント・バラクーダ」として知られていた。
1962年にクライスラー・フェーヴル・アルゼンティナ(Chrysler Fevre Argentina )は1960年USモデルのヴァリアントIの生産を始めた。クライスラー・ブランドで生産されたプリムス・ヴァリアントは4ドア・セダンのみであり、後にヴァリアントIIと1965年にはヴァリアントIII、1967年にダッジ・ダスターが続いた。1967年には1966年USモデルのプリムス・ヴァリアントに酷似したヴァリアントIVが発売された。
^Witzenburg, Gary. "The Name Game", Motor Trend, 4/84, p.82.
^'"British to See Valiant First" by Ralph R. Watts, The Detroit News, October 21, 1959, p.15.
^ abcd'"The Valiant - A New Motoring Concept" by A.G. Loofbourrow, V.M. Exner & R.M. Sinclair, Chrysler Corp., Engineering Division, for presentation of the Society of Automotive Engineers Annual Meeting at The Sheraton-Cadillac Hotel, and Statler Hotel, Detroit, Michigan, January 11–15, 1960'
^ abcdefAluminum Saves Weight in the Valiant (Product Information Bulletin, Chrysler Corp., Engineering Division, Technical Information Services, November, 1959)
^Weertman, Willem (2008). Chrysler Engines 1922-1998. Warrendale, PA: SAE International, 419. ISBN 978-0-7680-1642-0
^'"Up Goes Valiant-Junior HP Race On?" by Fred Olmsted, The Detroit Free Press, January 21, 1960, p. 18'
^ ab'"Valiants Survive a 4-Car Smashup, Win at Daytona," The Detroit Free Press, February 1, 1960, p. 26'
^Young, Tony (1984). Mighty Mopars 1960-1974. Motorbooks International. pp. 25. ISBN978-0879381240
^Chrysler Corporation: 'Valiant Master Parts Catalogue, 1960-1963'
^Chrysler Corporation: '1960 Valiant Technical Service Bulletins'
^ abcd"Valiant Wagon Lowest Priced" by Ralph R. Watts, The Detroit News, November 6, 1959, p. 17
^Chrysler Corporation: '1961 Valiant Technical Service Bulletins'