ポール・サミュエル=スミス
ポール・サミュエル=スミス(Paul Samwell-Smith、1943年5月8日 - )は、イングランドのロック・ミュージシャン、音楽プロデューサー。ヤードバーズのオリジナル・メンバーで、ベースを担当した。 経歴→詳細は「ヤードバーズ」を参照
ヤードバーズでは、そのほとんどの曲のプロデュースを担当し[信頼性要検証]、ヒット曲も出した[注釈 1]。しかし他のメンバーに真剣さが感じられないと不満を持ったことと、ツアーの長時間移動にストレスを溜めたことが原因で、1966年5月に脱退した。 脱退後はプロデューサーとして活動し、キャット・スティーヴンスの一連の作品で大きな成功を収めた。その他、ジェスロ・タル、カーリー・サイモン、元ヤードバーズのキース・レルフとジム・マッカーティが結成したルネッサンスとイリュージョン[注釈 2]、マレー・ヘッド、クリス・デ・バー、ビヴァリー・クレイヴェン、クレア・ハミルなどの作品をプロデュースした。また、アイランド・レコードでアメイジング・ブロンデルのファースト及びセカンド・アルバムを、マーキュリー・レコードでオール・アバウト・イヴの2枚のアルバムをプロデュースした。その他にはポール・サイモンの「アメリカの歌 (American Tune)」をサイモンと共同プロデュースした。 1971年の映画『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』で、作曲を担当したキャット・スティーヴンスと共に音楽プロデュースを担当した。 1985年、ヤードバーズのオリジナル・メンバーが結成した[注釈 3]ボックス・オブ・フロッグスで、久し振りにベースを演奏した[1]。 1990年には映画『ハリウッドにくちづけ』の音楽録音および録音監督を担当した。 1992年、ヤードバーズがロックの殿堂入りを果たした。サミュエル=スミスは受賞者の一人として、レルフの未亡人と遺児、マッカ―ティ、クリス・ドレヤ、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に授賞式に出席した。 脚注注釈出典参考文献
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