中居正広 ON&ON AIR
『中居正広 ON&ON AIR』 (なかいまさひろ オン・アンド・オンエアー)は、ニッポン放送をキーステーションに放送していたラジオ番組で、中居正広の冠番組。 本項目では、前身番組である『中居正広のSome girl' SMAP』(なかいまさひろのサム・ガール スマップ)についても記述する。 概要1995年7月1日、『中居正広のSome girl' SMAP』として放送開始し、2017年1月7日放送分から番組名が『中居正広 ON&ON AIR』に変更[1](詳細後述)。2025年1月4日(番組終了の発表は1月21日)までの通算29年半[2]にわたって放送された。ニッポン放送では一貫して毎週土曜日の23:00 - 23:30に放送された。原則として生放送は行わず、録音番組であった。 番組開始当初は中居と中居以外のSMAPのメンバー1人の合わせて2人(タイトルコールでは「中居正広と○○(もう1人のメンバーの名前)」)で番組進行をしており、番組内容も各界で活躍する女性をゲストに迎えトークする内容だった。改題前の番組名は女性ゲストとのトークがメインコーナーだった事に由来している。 その後、中居以外のSMAPの他のメンバーが出演することはなくなり、ゲストを招くことも2001年頃でなくなった。また「中居探偵所」などのコーナーを設けるも、数年で行われなくなり、以降はリスナーからのハガキを中心に中居が1人でフリートークを行う形式となった。 メールやFAXなど、ハガキ以外の投稿は一貫して受け付けず、他番組のような収録後記などが掲載される番組ホームページ(ブログ等)や公式SNSアカウントすら開設しなかった。ただしニッポン放送サイト内に各地で発生した災害に対する支援金・義援金を募るページが番組名義で用意され、radikoの配信ページなどでは番組ホームページとしてこのページへのリンクが掲載された(番組打ち切りに伴いリンク切れ[3])。 ジャニーズ事務所の方針により、radikoの関東以外からのエリアフリー聴取やタイムフリー聴取には対応していなかったが、2018年4月1日よりradikoのエリアフリー聴取とタイムフリー聴取が可能になった。 冠タイトルと提供スポンサー放送開始当初は前番組「中山美穂 P.S. I LOVE YOU」から引き続く形で資生堂がニッポン放送のローカルスポンサーだった。そのため、ニッポン放送に限り初期はタイトルの前に「SHISEIDO SPRENDED PARTY」(しせいどう・スプレンデッド・パーティー)という冠タイトルが付いていた(資生堂が提供しない地方局向けには外されていた)。 その後、2006年4月から明治製菓(当時、現:明治)がスポンサーについた(2007年度ナイターオフ期までニッポン放送のみ)[注 1]。その後2009年7月に明治製菓がスポンサーを降りたが、2012年7月からセブン&アイ・ホールディングスが「渡り廊下走り隊7(ラジオ番組)」と交換する形でスポンサーについた(SMAPがセブン&アイグループのCMに出演することになったため。SMAPは後の2016年3月に降板している)。スポンサー紹介はニッポン放送の東島衣里アナウンサー(ニッポン放送のみ、下角陽子アナウンサー(当時) → 荘口彰久アナウンサー(当時) → 増山さやかアナウンサー → 2005年9月までは垣花正アナウンサー → 2010年6月までは新保友映アナウンサー → 2016年4月までは箱崎みどりアナウンサー)。セブン&アイ・ホールディングスが降板した後、ノンスポンサーで放送していた。 主な出来事SMAP解散に伴う動き(2016年)2016年、SMAP解散騒動が発生し、同年8月に正式に年内での解散を発表。直後の8月20日放送分で冒頭90秒間「ファンの皆様、関係各位の皆様、我々SMAPが解散する事をご報告させて頂きます。ご迷惑をお掛けしました。ご心配をお掛けしました。お世話にもなりました。このような結果に至った事をお許しください。申し訳…ありませんでした…。」と解散発表時にマスコミ各社に送ったFAXと同じコメントを述べ、さらに、中居が解散発表期間中に開催されていた『リオデジャネイロオリンピック』のTBS系列の五輪キャスターを務めていた事もあり、「リオ五輪期間中の発表は水を差すような時期だった、深くおわび申し上げます。申し訳ございませんでした。」と謝罪した[4]。 その後、11月10日、ニッポン放送は、『中居正広のSome girl’SMAP』は、グループが解散する翌2017年以降は番組名を変更し、SMAPの冠を外した番組名で継続されることがこの日行われた同局の社長定例会見で発表され[5]、12月17日放送分のエンディングにて、中居自らが新番組名『中居正広 ON&ON AIR』を発表した[1]。また、『SMAP×SMAP』で行っていた東日本大震災の義援金の告知も引き継いだ。 12月31日、SMAP活動最終日にて奇しくもSMAPのリーダーかつメンバー最後のラジオ番組となった『Some girl’SMAP』放送分では、解散騒動から1年間騒動について何一つも語らなかった中居だったが(解散発表時に謝罪したのみ)、最終日という事もあり、騒動からの1年間を番組冒頭から最後まで語り始め、「神様は31日という日をどういう意味で与えてくれたのか。なんで31日だったんだろうね」と語り、この1年について「敏感な時期だったりデリケートな時期が毎日続きました。あんまりこういう日が目まぐるしく続きますと、鈍感になっていくというか、麻痺しているというのが正しいかな」と語り、自身やメンバーにとっても 「人間の真価を問われる1年だった」と説明し、一部で解散の要因となったワイドショーや週刊誌、スポーツ紙等で報じられている一部メンバーの不仲説についても「誰も悪くないんです。」と擁護し、「メンバーは、今年1年本当によく頑張った。よく踏ん張った。ちょっと年明けたら、そっとしてあげたいなというのがありますよね」とメンバーを労う言葉をかけた。さらに、37万人を超えたSMAP存続への署名運動、『世界に一つだけの花』の購買運動、ベストアルバム『SMAP 25 YEARS』に投票してくれたこと、9月9日のSMAP25周年に各地でイベントしてくれたこと、新聞の広告欄にメッセージをくれてることなどファンが自発的に起こしてくれた行動についても感謝の言葉を述べ、 SMAPのリーダーとして「最後まで、しっかりSMAPを務めたと思います」とほかの4人を誇り、「労いとかお褒めの言葉を上げてほしいなと思います」と呼びかけた。そして、エンディングにて、「『Some girl’SMAP』も最後ですね。SMAP中居正広としても最後の放送です。勝手ながら、締めさせていただきたいと思います。」と話し、ラストにて、「慎吾!剛!吾郎!木村!SMAP!じゃーねー!バイバイ!」とメンバーとSMAPの名前を叫び、『SMAP』を流し終了した[6] 中居の休養に伴う動き(2022年)2022年11月よりおよそ2か月間、中居が体調不良で休養したことに伴い、同年11月12日放送分よりKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔が代演した。なお、藤ヶ谷は前番組「藤ヶ谷太輔 Peaceful Days」のパーソナリティーでもあり、2番組連続で出演する形となった[7]。その後、2023年1月14日放送分より中居が復帰した[8]。 中居の女性トラブル報道に伴う動き(2024年末~2025年)2024年12月中旬から一部週刊誌で中居の女性トラブルが報じられ、テレビ各局が対応に追われる中、当番組も2025年1月11日放送回が休止となった。その後も関連報道が続き、同月16日、ニッポン放送は「トラブルの内容などが依然不明であることなどを踏まえ、総合的に判断した結果」等として同月18日以降も当面の間放送を休止すると発表した[9]。 2025年1月21日、ニッポン放送が当番組の終了を発表[10]。これら一連の対応により、同1月4日の放送をもって打ち切りとなり、29年半の歴史に幕を下ろすこととなった[2]。番組終了発表から2日後の1月23日、中居は公式サイトなどで芸能界引退を表明した[11]。 放送休止・打ち切りに伴い、ニッポン放送では2025年1月11日以降の同時間帯に『有楽町930ステーション』をつなぎ番組・穴埋め番組として編成し、ネット局向けには別途『クラシックコレクション』と題した代替番組を制作して対応している[注 2]。 テーマ曲
CMフィラー曲※ニッポン放送ではCMが放送されている間、ネット局で流れているBGM(曲の冒頭を流している。なおローカルCMがつく場合はCM終了後に飛び乗りの形で流れる)。
ネット局と放送時間番組終了時点放送時間の早い順から記載。
過去のネット局
関連項目
脚注注釈
出典
外部リンク
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