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ウイルス学者の「小島保彦」とは別人です。 |
児島 泰彦(こじま やすひこ、1918年(大正7年)9月1日 - 1945年(昭和20年)6月12日)は、日本の水泳選手。1936年ベルリンオリンピック100メートル背泳ぎに出場。
生涯
1918年(大正7年)9月1日、広島県安芸郡坂村(現:坂町)に生まれる。
同村の横浜尋常小学校を卒業し、広島市の旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)に進む。
修道中学在学中から水泳選手として活躍し、1936年(昭和11年)慶應義塾大学に進学。
この年に開催された1936年ベルリンオリンピックに日本代表として100メートル背泳ぎで出場。
8月12日の予選で1着、準決勝では3着で決勝進出、14日の決勝では6位入賞(1分10秒4)となった。
1944年(昭和19年)沖縄海軍航空隊に配属され、1945年(昭和20年)6月12日、沖縄の戦いで島尻郡小禄村(現:那覇市小禄)付近で戦死[2][3]。享年28(満26歳没)。
主な実績
- 1935年インターハイ 100m背泳ぎ優勝 200m背泳ぎ優勝
- 1935年日本選手権 100m背泳ぎ優勝
- 1936年日本選手権 100m背泳ぎ優勝
- 1936年ベルリンオリンピック 100m背泳ぎ6位
- 1937年全国学生水上競技大会 100m背泳ぎ優勝 200m背泳ぎ優勝
- 1938年日本選手権 50m背泳ぎ優勝 100m背泳ぎ優勝
- 1938年全国学生水上競技大会 50m背泳ぎ優勝 100m背泳ぎ優勝
- 1939年全国学生水上競技大会 50m背泳ぎ優勝 100m背泳ぎ優勝
- 1940年日本選手権 50m背泳ぎ優勝
- 1940年全国学生水上競技大会 50m背泳ぎ優勝 100m背泳ぎ2位
- 1941年全国学生水上競技大会 50m背泳ぎ優勝 100m背泳ぎ優勝
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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