勝手神社 (奈良市)
勝手神社(かつてじんじゃ)は、奈良県奈良市油阪町(あぶらさかちょう)にある神社。 歴史創建時期は明らかではないが、享保20年(1735年)発行の『奈良坊目拙解』において『勝手明神社、当町坂新屋南の辻と、北西南の町会所裏に在る』と記されている[1]。その他、『奈良曝』『平城坊目考』などの地誌にも勝手明神として記録が残されている[2][3]。 宝永元年(1704年)4月11日に火災にあい、その後再造営された[4][1]。享保2年(1717年)2月22日にも火災にあい、翌3年(1718年)正月に再造営されている[4][1]。 1912年(大正元年)9月11日に一度漢国神社に合祀されたが、現在は境外末社である[5]。 祭神奈良市史に従うと事代主命であるが[5]、奈良坊目拙解や南都年中行事では吉野山口神(勝手明神)とされている[1][6]。 祭礼例祭シンコ祭り7月末の日曜日に夏祭りが行われ、糝粉(シンコ)を作って供えることより「油阪勝手のシンコ祭り」と呼ばれる[7]。 かつては3月8日に行われ、湯立神楽が催され、赤白の長団子(赤は赤小豆を入れたもの、白は糝粉細工)を供えた後、参詣者に配ったという[7][6]。白い長団子は白糸とも藤の花とも呼ばれ、赤い長団子は赤い糸になぞらえて深紅(シンコ、赤い色の糸の和名)と呼ばれた[1][6][注釈 1]。シンコ祭りは深紅祭りともされる[1][6]。 勝手明神の祝言今は行われていないが、かつては6月晦日、近隣の今辻子町九頭明神の例祭の際に、油阪町の人々がおのおの素襖、袴、烏帽子を着けて集まり、当社で婚姻祝言を模した儀式をした後、九頭明神に参る習慣があり、「勝手明神の祝言」と呼ばれた[7][6][8][注釈 2]。寛永19年(1642年)11月27日の南都大火災以後、この祭礼は廃れたという[6][注釈 3]。 交通アクセス脚注注釈出典参考文献 |