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吹雪 (吹雪型駆逐艦)

吹雪型駆逐艦 > 吹雪 (吹雪型駆逐艦)
吹雪
吹雪(推定1936年3月、性能改善工事後)[1]
吹雪(推定1936年3月、性能改善工事後)[1]
基本情報
建造所 舞鶴工作部
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 吹雪型
艦歴
発注 大正12年度艦艇補充計画
起工 1926年6月19日
進水 1927年11月15日
就役 1928年8月10日
最期 1942年10月11日戦没
除籍 1942年11月15日
要目
排水量 基準:1,680t
公試:1,980t
全長 118.5メートル
最大幅 10.36メートル
吃水 3.19メートル
機関 艦本式タービン2基2軸
艦本式ロ号専焼缶4基
出力 50,000馬力
速力 38.0ノット
航続距離 5,000/14ノット
乗員 219人
兵装 12.7cm50口径連装砲3基
留式7.7mm機銃2基
61cm三連装魚雷発射管3基9門 他
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吹雪(ふぶき)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦[2]。吹雪は吹雪型(特型)駆逐艦一番艦[3]、同時に「雪級」の一番艦[4]。この名を持つ日本海軍の艦艇としては2隻目である(初代は春雨型駆逐艦吹雪)。

吹雪は1942年10月11日のサボ島沖海戦で沈没し、吹雪型は「白雪型駆逐艦」と改名された[5]。その後、「初雪型駆逐艦」として再登録された[6]

艦歴

第35号駆逐艦の艦名は、既に浦風型駆逐艦浦風で使われていた[7]。 吹雪は舞鶴工作部1926年(大正15年)6月19日に起工[8]6月25日浦賀船渠で建造の駆逐艦に第三十三号駆逐艦(望月)[9]、本艦に「第三十五号駆逐艦」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に第四十号駆逐艦(東雲)の艦名が与えられる[10]。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[11]。「第35号駆逐艦」は1927年(昭和2年)11月15日に進水、1928年(昭和3年)8月1日、「吹雪」と改称された[2]。改名から間もない8月10日に竣工[8]。 吹雪型初期姉妹艦(吹雪、白雪初雪深雪)と共に第11駆逐隊を編制していた。 1930年(昭和5年)12月には南雲忠一大佐が同隊駆逐隊司令を務める[注釈 1]太平洋戦争開戦時までは、主に中国方面で活動した。

1931年(昭和6年)、吹雪は第11駆逐隊から除籍され、新たに吹雪、東雲磯波の3隻で第20駆逐隊を編制することになった。

1935年(昭和10年)9月26日の第四艦隊事件で吹雪型の初雪、夕霧は艦首切断の損害を受けた。艦体強度が問題となり、吹雪も改装されている。 1936年(昭和11年)年末の編制変更により第20駆逐隊は除籍され、吹雪は第11駆逐隊、東雲は第12駆逐隊、磯波は第19駆逐隊にそれぞれ復帰した[12]1937年(昭和12年)7月28日、日本海軍は軽巡洋艦木曽、第6駆逐隊()、第10駆逐隊(狭霧、漣、暁)、第11駆逐隊(吹雪、白雪初雪)により第四水雷戦隊(司令官細萱戊子郎少将)を編制[13][14]

1937年11月に第11駆逐隊は第12戦隊の指揮下において杭州湾上陸作戦(H作戦)に参加し、上陸援護を行った[15]

1939年(昭和14年)11月、有賀幸作中佐が第11駆逐隊司令に着任[注釈 2]。初雪も第四艦隊事件の損傷を修理して第11駆逐隊に復帰した[16]。さらに第11駆逐隊は空母2隻(蒼龍飛龍)と共に第二航空戦隊を編制(司令官戸塚道太郎少将)[17][18]。1940年(昭和15年)8月下旬から9月中旬、吹雪はサイパンポナペトラック泊地等で開かれた演習に参加した[18][19]。この間、3隻(飛龍、初雪、白雪)は北部仏印進駐に投入されている[20]。演習と仏印進駐作戦を終えた11駆(吹雪、白雪、初雪)は連合艦隊期末演習に参加、第二水雷戦隊と共に仮想敵艦(飛龍、蒼龍)に対し雷撃訓練を実施した[18]

その後、吹雪は1940年(昭和15年)10月11日の紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式に参加する。第11駆逐隊は第二列の17隻の最後尾(長門、陸奥、伊勢、摂津、凉風、江風、村雨、春雨、夕立、五月雨、漣、綾波、浦波、初雪、白雪、吹雪)に配置されていた[21]。 同年末の編制替えにより第11駆逐隊は第三水雷戦隊に編入され[22]、第二航空戦隊には第23駆逐隊(菊月夕月卯月)が編入された[23]。駆逐隊司令も有賀大佐から荘司喜一郎大佐(のち川内艦長)にかわった[24][25]

1941年(昭和16年)9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、第11駆逐隊(吹雪、白雪、初雪)は最新鋭の翔鶴型航空母艦翔鶴瑞鶴)と第一航空戦隊を編制し[26]、それまでの一航戦(赤城加賀)は第五航空戦隊となる予定であった[27]。しかし太平洋戦争の勃発により、吹雪以下第11駆逐隊が同大戦で空母機動部隊に配属される事はなかった。

太平洋戦争緒戦

1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争勃発時、吹雪型3隻(吹雪、白雪初雪)は引続き第11駆逐隊を編制[28]。荘司大佐が座乗する司令駆逐艦は初雪で、吹雪は駆逐隊3番艦であった。さらに第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:旗艦川内)に所属し、南遣艦隊(司令官小沢治三郎中将:旗艦鳥海)の中の一隻として南方作戦に参加した。 開戦と同時にマレー半島上陸船団護衛、ボルネオ島攻略戦、クチン攻略作戦船団護衛等の諸任務に従事した。

マレー沖海戦では12月9日に日本海軍は戦艦プリンス・オブ・ウェールズを含んだイギリス東洋艦隊Z部隊の北上を察知したが、南遣艦隊に配備されていた戦艦金剛、榛名では戦力不足だったため、小沢司令は水雷戦隊と航空部隊で撃滅することにした[要出典]。 9日夜に鳥海は重巡最上、三隅、鈴谷、熊野、軽巡鬼怒、由良、駆逐艦狭霧、吹雪、白雪、初雪を率いてZ部隊との夜戦を試みたが発見できなかった。 翌日Z部隊は海軍第二十二航空戦隊の攻撃で壊滅した。

12月11日、南遣艦隊はカムラン湾に集結し、第二次マレー上陸作戦とボルネオ島攻略作戦を発動し、吹雪は第二次マレー上陸作戦に参加する第三水雷戦隊本隊から離れて三水戦・第20駆逐隊所属の狭霧とともにボルネオ上陸作戦の護衛隊本隊(熊野、鈴谷、吹雪、狭霧)、に参加[29]

13日、「由良」と第12駆逐隊(叢雲、白雲、東雲)に護衛されたボルネオ攻略部隊はカムラン湾を出撃、護衛隊本隊(熊野、鈴谷、吹雪、狭霧)もそれに続いた[30]。 12月17日、「東雲」はボルネオ・ミリ攻略中にオランダ軍飛行艇の攻撃で沈没した[31]

12月24日、潜水艦に襲撃されたボルネオ攻略部隊の輸送船団救援のために護衛隊本隊から派遣された「狭霧」がオランダ潜水艦「K XVI」に雷撃されて爆沈。第七戦隊を護衛していた「吹雪」は「初雪」、「白雪」と合流すると「初雪」とともに現場に急行、「吹雪」は「白雲」などの日本軍艦艇から救助されていた「狭霧」生存者を移乗・回収すると「熊野」、「鈴谷」とともにカムラン湾へ帰投した[32][33]

1942年(昭和17年)1月11日、被雷した「秋田丸」の生存者を救助[34]

1月26-27日、吹雪はマレー半島南部東海岸で生起したエンドウ沖海戦に参加する。当時の日本軍戦力は、輸送船2隻(関西丸、かんべら丸)を第三水雷戦隊川内、第20駆逐隊(朝霧、夕霧、天霧)、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)、および掃海艇・駆潜艇数隻である[35]。26日16時30分、イギリス東洋艦隊の残存艦であったオーストラリア海軍駆逐艦「ヴァンパイア」とイギリス海軍駆逐艦「サネット」は、アメリカ軍駆逐艦4隻が第四水雷戦隊を翻弄し輸送船5隻を撃沈したバリクパパン沖海戦の再現を狙い、各艦の残魚雷は3本だったにもかかわらずシンガポールから出撃した[36]。 一方の日本軍は、前日よりイギリス軍機の波状空襲を受けていたが陸軍の九七式戦闘機の援護や各艦の回避行動により、輸送船2隻が小破したにとどまった[35]。吹雪に対空戦闘による損傷はなかった[37]。だが英巡洋艦2隻出撃という航空隊からの通報で、第三水雷戦隊は対水上艦戦闘に備え警戒態勢をとる[36]。 27日夜戦では、まず午前4時10分に掃海艇4号が連合国軍2隻を発見して通報、続いて4時35分に吹雪が全軍に報告する[36]。ヴァンパイアは川内に魚雷1本を発射したが命中しなかった[38]。これに対し白雪が探照灯を照射しつつ砲撃をおこない、ヴァンパイアを撃退した[39]。続いて吹雪以下各艦がサネットを砲撃し撃沈した[40]。ヴァンパイアは煙幕を展開しつつ南方へ脱出した[38]

本戦闘で吹雪はサネットに対し12.7cm主砲102発を発射、他艦も軒並み主砲70発前後を発射している[41]。三水戦の戦闘詳報では、撃破した敵艦(サネット)に拘りすぎて別の敵艦(ヴァンパイア)への攻撃が不徹底に終わった事、各艦がサネットに探照灯を重複照射したため他の敵艦(ヴァンパイア)が見えなくなった事、各艦が三水戦司令部(川内)の命令を待ちすぎて離脱する敵艦への追撃が遅れた点を指摘し、『遂に之ヲ逸シタルハ遺憾ナリ』と評価している[42]。日本艦隊の砲弾が探照灯照射中の白雪に集中し、橋本少将が射撃中止を命じる場面もあった[38]大本営発表では『二対二の駆逐艦戦』『第二には大東亞戦争勃発以来最初の軍艦と軍艦との戦ひ』として水上戦闘における初勝利を宣伝したが[43]、実際には軽巡1駆逐艦6と駆逐艦2の水上戦闘であった[38]。なお本海戦の以前に起きた水上艦同士の戦闘としては、1月12日夜、駆逐艦山風第38号哨戒艇(旧樅型駆逐艦蓬)によるオランダ敷設艦プリンス・ファン・オラニエの撃沈等がある[44]

シンガポール方面掃蕩

次の作戦は南部スマトラの攻略であった。軽巡洋艦「川内」、第十一駆逐隊(「吹雪」など駆逐艦4隻)、駆逐艦1隻は陸軍先遣隊船団(輸送船8隻)を護衛して2月9日にカムラン湾から出撃した[45]。また、2月10日には馬来部隊主隊(重巡洋艦5隻、軽巡洋艦「由良」など)他が、2月11日には陸軍主力船団がそれぞれ出撃した[46]

2月12日、連合国軍のシンガポール方面からの脱出が盛んであると思われる事を受けて馬来部隊指揮官小沢治三郎中将はそれを攻撃することを決めた[47]。ここで「由良」が第三水雷戦隊の指揮下に入った[48]。「川内」、「由良」、第七戦隊第一小隊、第十一駆逐隊、第十二駆逐隊はシンケップ島東方へと向かった[47]。2月13日、「吹雪」と駆逐艦「朝霧」はイギリス砲艦「スコーピオン」を撃沈した[49]。2月14日未明には2隻はイギリス哨戒艇「トラング」を撃沈した[49]。この日、「川内」などは船団護衛に戻ったが、「吹雪」と「朝霧」は「由良」艦長の指揮下で敵艦船攻撃任務の継続や船団の北方を警戒するよう命じられた[50]。この後、陸軍の海上トラック船団がイギリスの特設哨戒艇「リ・ウォ」の攻撃を受けた[51]。「由良」と「吹雪」、「朝霧」は救援に向かい、「リ・ウォ」を撃沈した[52]。2月15日、船団は泊地に到着し、上陸が開始された[53]。同日、スマトラ西方を北上する敵艦隊(カレル・ドールマン少将率いる重巡洋艦1隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦8隻)が発見される[54]。「由良」、第十一駆逐隊などは主隊への合流を命じられた[55]。しかし、敵艦隊は航空攻撃を受けると撤退した[56]。また、「吹雪」は2月15日にはイギリス特設敷設艦と駆潜艇を擱座させ、2月16日にはイギリス高速艇2隻を捕獲の他、「川内」とともにイギリスタンカー「RELAU」を捕獲した[57]

18日、由良及び第11駆逐隊はジャワ作戦準備のためアナンバス諸島へ向かい[58]、同時に三水戦の指揮下を離れた[59]

バタビア沖海戦

2月18日、今村均陸軍中将率いる陸軍第16軍は西部ジャワ島攻略(蘭印作戦)のため神州丸あきつ丸以下の輸送船56隻に分乗し、カムラン湾を出撃した[60]。第五水雷戦隊司令官(司令官原顕三郎少将:旗艦名取)指揮の第三護衛隊が船団を護衛しており、原司令官は附近で行動中の第七戦隊(最上型重巡洋艦4隻)や第四航空戦隊(司令官角田覚治少将:空母龍驤)等に掩護を要請していた[61]。 21日、由良、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)、第12駆逐隊等は第五水雷戦隊(第三護衛部隊)と合流する[62][63]。吹雪は同部隊に編入され、五水戦司令官の指揮下に入った[64]。 24日、特設水上機母艦神川丸の水上偵察機が潜水艦を発見、駆逐艦春風と吹雪は協同で爆雷攻撃を行った[65][66]。 27日、重巡熊野水上偵察機が「巡洋艦3隻(1隻は戦艦可能性)を含む連合軍艦隊が輸送船団に接近中」と報告[67]、原司令官は輸送船団を反転させると同時に、分散していた軽巡由良、第11駆逐隊、第12駆逐隊に集結を命じた[68]。そして陸軍上陸日の調整を行いつつ、吹雪以下五水戦・第七戦隊戦力をもって連合軍艦隊を撃破する意向を示した[69]。 ところが先任の栗田健男第七戦隊司令官は水上戦闘を回避する意向であり、熊野(栗田)と名取(原)との間で盛んに信号のやりとりがあった[70]。結局、両者の応酬をみかねた連合艦隊司令部が仲裁に入り、栗田を統一指揮官にして事態の打開をはかった[70]。2月28日、原少将は由良に三水戦への復帰を命じ、駆逐艦松風には第四航空戦隊の護衛を下令した[70]

その頃、カレル・ドールマン少将率いるABDA連合軍艦隊と日本海軍・第五戦隊、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊の間でスラバヤ沖海戦が生起する。同海戦第一次昼戦・第二次昼戦・第一夜戦・第二夜戦(2月27日-28日)で連合軍艦隊はドールマン少将戦死、軽巡洋艦デ・ロイテルジャワ沈没という被害を受けたが、那智羽黒の乗組員が沈没するデ・ロイテルとジャワに気を取られているうちにアメリカ海軍の重巡洋艦ヒューストン、オーストラリア海軍の軽巡洋艦パースは離脱に成功する[71][72]。28日正午、両艦は無傷のままバダビアに到着、スンダ海峡を通過して脱出を試みようとしていた[73]。同日朝、五水戦及び輸送船団もジャワ島西端のメラク湾・バンダム湾に入泊し上陸を開始[74]。吹雪、春風は監視艇1隻を砲撃して擱座させた[75]。 松風は四航戦護衛のため分離しつつあった[76]。また三隈から「敵艦隊接近中」との偵察結果を受け、第三護衛隊(原司令官)は第七戦隊第2小隊に船団護衛を命じた[77]

3月1日のバタビヤ沖海戦で、吹雪は第五水雷戦隊や第七戦隊第2小隊(三隈最上)・第19駆逐隊敷波と共同し、連合軍艦隊残存艦(重巡洋艦 ヒューストン、軽巡洋艦 パース)の撃沈に貢献した[78]。経過は以下のとおりである。

3月1日(月齢14)日付変更直後、哨戒のためバビ島を右舷に見ながら単艦で行動していた吹雪は、バビ島右側北方から航行してきたヒューストン、パースを発見し味方に通報する[79][80]。さらに連合軍巡洋艦2隻を約25分にわたって追跡、最終的に距離2500mで魚雷9本を発射して2本命中を報告した[81][80]。 実際には命中していなかったが、戦闘詳報では吹雪の初撃を高く評価している[82]。このあと巡洋艦2隻は吹雪を砲撃したため、吹雪は煙幕を展開して敵艦との距離をとった[83]。 午前1時40分、吹雪は初雪、白雪と合流、午前2時頃には名取、第11駆逐隊(白雪、初雪、吹雪)、第12駆逐隊(白雲、叢雲)、第5駆逐隊(春風、旗風、朝風)の単縦陣となった[84]。 バンタム湾内に追い詰められた二隻の連合軍艦隊の巡洋艦には砲撃雷撃が集中し、パースは1時42分に沈没した。ヒューストンは単独でしぶとく反撃を続けるが、2時6分に沈没した[84]。その後の3時30分、初雪、吹雪は5000トン級タンカーに対し砲撃を行い、撃沈を報告した[85]。同日21時35分、初雪、吹雪はイギリス軍駆逐艦1隻を撃沈、掃海艇1隻を擱座させたと報告した[86]

なお、本海戦では誤射が頻発、特に日本艦隊が発射した魚雷(0時44分吹雪、1時13分朝風、1時13-14分名取・初雪・白雪、1時19分三隈、1時26分春風、1時27分最上、1時28分旗風、1時30分白雲・叢雲、1時59分敷波)[84]は友軍に大きな被害をもたらした。旧来の史料や一部のアメリカ側文献では、日本軍輸送船の沈没・損傷をアメリカ軍魚雷艇の襲撃によるもの[87]、あるいは連合国軍巡洋艦2隻の戦果としたり[88]、海戦序盤00時44分に吹雪が発射した9本の魚雷が被害を与えたとする[89]。しかし日本海軍が被雷時刻と射線を検討した結果、第七戦隊最上が発射した魚雷と判明した[87]。海戦を通じ、今村陸軍中将が座乗する揚陸艦神州丸、病院船蓬莱丸、輸送船龍野丸、佐倉丸、第二号掃海艇が沈没もしくは大破着底[90]。日本陸軍(今村中将)は『損傷輸送船団ハ砲弾ノ外高速魚雷艇ノ攻撃ニ依ルモノノ如シ』として日本海軍の不手際を不問にしている[87][91]。陸軍省が企画した対外用公刊戦史『大東亜戦史 ジャワ作戦』(1942年11月)では、連合軍の駆逐艦や爆撃機の攻撃によって神州丸以下は沈没したことになっている。 なお、バンタムの西部に位置するメラクへの上陸部隊であるあきつ丸以下の輸送船団は敵艦隊との遭遇も無く無事に上陸を成功させ帰路に就いた。

3月4日、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)は第三護衛部隊の指揮下を離れ[92]、シンガポール(昭南)へ向かった[93]。 3月10日、第三水雷戦隊の編制が代わり、東雲を喪失して2隻編制(白雲、叢雲)となっていた第12駆逐隊が解隊[94]。狭霧を喪失して3隻体制になっていた第20駆逐隊に白雲が加入、叢雲は第11駆逐隊に編入され、開戦時以来吹雪型3隻体制だった第11駆逐隊は4隻(初雪、白雪、吹雪、叢雲)に増強される[95]。第11駆逐隊は、第1小隊1番艦「初雪(駆逐隊司令艦)」、2番艦白雪、第2小隊3番艦吹雪、4番艦叢雲であった[96]

その後、北部スマトラ掃蕩作戦、アンダマン攻略作戦に参加。4月上旬、ベンガル湾機動戦に参加。この作戦の川内、第11駆逐隊、第19駆逐隊第1小隊は警戒隊に編入され、主隊(鳥海、由良、龍驤、第七戦隊、第20駆逐隊)の行動には加わらなかった[97]。本作戦を最後に、各隊はに帰投した。

6月上旬のミッドウェー海戦で、第三水雷戦隊(川内、第11駆逐隊《吹雪、白雪、初雪、叢雲》、第19駆逐隊《磯波、浦波、敷波、綾波》、第20駆逐隊《天霧、朝霧、夕霧、白雲》)および第24駆逐隊(江風、海風)、第27駆逐隊(時雨、白露、夕暮)は主力部隊(山本五十六連合艦隊司令長官:戦艦《大和長門陸奥》、高須四郎中将:《扶桑山城伊勢日向》、空母鳳翔等)を護衛した[98][99]。 7月15日、新しい第11駆逐隊司令として杉野修一大佐が着任した[100][注釈 3]。同月中旬、ドイツ、イタリアからの要請により日本海軍はインド洋方面通商破壊作戦「B作戦」を発動[101]。同作戦参加戦力は第七戦隊(司令官西村祥治少将:巡洋艦熊野鈴谷)、第三水雷戦隊(川内、第11駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊)、第二水雷戦隊(第2駆逐隊《村雨、五月雨、夕立、春雨》、第15駆逐隊《黒潮、親潮、早潮》)によって構成され、マレー半島西岸メルギーen:Myeik, Burma)に集結する[101]。空母の援護もなく、敵商船拿捕を目的とした作戦に水雷戦隊の士気は一気に下がってしまったという[102]。8月8日、ガダルカナル島の戦いが始まった事により作戦は中止され、各隊・各艦はダバオを経由してトラック泊地やソロモン諸島へ向かった[101]。第三水雷戦隊は8月13日にトラックへ進出、第11駆逐隊はさらに25日ラバウル到着、29日には輸送船佐渡丸(川口支隊長川口清健少将乗船)を護衛してショートランド泊地に到着した[103]

ガダルカナル島の戦い

8月7日以降のガダルカナル島の戦いに於いては、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場が重要な役目を果たした。第二次ソロモン海戦では、同飛行場から発進したアメリカ軍機によって第二水雷戦隊が護衛していた日本軍輸送船団が撃退され(駆逐艦睦月、輸送船金龍丸沈没、軽巡神通中破)、制空権なき海域での輸送船団突入は成功の見込みがなくなっていた。そこで高速の駆逐艦に物資を搭載しての揚陸作戦、通称『鼠輸送』が始まる。水雷戦隊の中核として建造された艦隊型駆逐艦にとって想定外の任務であり、乗組員の疲労に加え、空襲やアメリカ軍水上艦艇との戦闘で急速に消耗していった。8月30日附で外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)は外南洋部隊増援部隊指揮官田中頼三少将(第二水雷戦隊司令官)を更迭、ラバウルに到着した第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将(旗艦川内)を新たな増援部隊指揮官に任命した[104]。記録によれば、吹雪は以下の輸送作戦に参加した。

8月29日 第24駆逐隊(海風、江風)、第11駆逐隊(初雪、吹雪、白雪)はガ島揚陸作戦を実施し、8月19日の一木支隊第1梯団上陸以来初のガ島揚陸に成功[105]
8月31日 24駆逐隊司令指揮下の駆逐艦8隻(海風、江風、涼風、陽炎、初雪、吹雪、白雪、天霧)はガ島への輸送作戦を実施し川口清健陸軍少将(川口支隊長)を含む陸兵約1200名の揚陸に成功した[106]
9月2日 敷設艦津軽によるガ島輸送を4隻(哨戒艇1号、2号、陽炎夕暮)が護衛し、さらに駆逐艦3隻(吹雪、白雪、天霧)が飛行場砲撃を実施、帰路で空襲を受けた津軽が小破した[107][108]
9月5日、「吹雪、白雪、天霧、陽炎、夕暮」でガ島輸送を実施[109][110]
9月8日 軽巡川内(第三水雷戦隊司令官座乗)、駆逐艦浦波、敷波、吹雪、白雪、天霧、陽炎、天霧、夕暮はアメリカ軍輸送艦隊出現の報によりガ島へ向かったが遭遇せず、駆逐艦1隻を撃沈(アメリカ軍によると掃海艇1隻擱座)、1隻大破を報告した[111][112]
9月12日 川内、敷波、吹雪、凉風はガ島の日本陸軍(川口支隊)総攻撃の支援のためにルンガ泊地に夜間突入し、約1時間の砲撃を実施した[113][114]ガダルカナル島の戦い#第一次総攻撃)。
9月14日 吹雪、涼風、第7駆逐隊《》はガ島砲撃と輸送を実施した[115][116]
9月16日 ガ島の日本陸軍(川口支隊)総攻撃失敗を受けて小西要人(第7駆逐隊司令)指揮のもと潮、吹雪、涼風は大発動艇2隻を曳航して出撃、途中で空襲を受けたが回避に成功(吹雪の大発動艇は曳索切断、喪失)、ガ島揚陸を実施した[117][118]
10月1日 初雪、白雪、吹雪、叢雲は陸軍青葉支隊司令部(第二歩兵団長)80名と糧食を搭載して出撃、空襲回避中に初雪の舵が故障し、司令駆逐艦は白雪となった[119][120]。白雪、吹雪、叢雲による揚陸は成功した。
10月4日 瀬戸山安秀(第27駆逐隊司令)大佐の指揮する時雨、白雪、吹雪、叢雲、綾波はガ島輸送を実施した[121][122]
10月7日 日進艦長の指揮下で水上機母艦日進秋月型駆逐艦秋月、さらに時雨、吹雪、白雪、叢雲、綾波はショートランド泊地を出撃したが、天候不良のため上空警戒機を手配できず、日進、秋月はショートランド泊地に帰投した[123]。時雨指揮下の輸送隊(時雨、吹雪、白雪、叢雲、綾波)はそのままガ島へ向かい、零式水上観測機小数機の援護を受けて揚陸に成功、被害もなかった[124][125]

サボ島沖海戦

1942年(昭和17年)10月11日12時、第11駆逐隊第2小隊(吹雪、初雪)は、第六戦隊(司令官五藤存知少将)の重巡洋艦3隻(青葉古鷹衣笠)とともにブーゲンビル島ショートランド泊地を出撃し、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かった[126][127]。 同日、連合艦隊司令長官山本五十六大将の下令によって第三戦隊(司令官栗田健男中将)の金剛型戦艦2隻(金剛榛名)及び護衛部隊(第二水雷戦隊)による『第二次挺身隊』がヘンダーソン基地艦砲射撃を行うべくトラック泊地を出撃しており、第六戦隊は『第二次挺身隊』に先駆けてルンガ泊地に突入し飛行場砲撃を行うよう命令されていた[128]。 第六戦隊司令部は、従来の輸送任務で米艦隊の反撃が限定的だったこと、11日昼間の航空偵察で敵艦影を見なかったこと、3時間前にガダルカナル島に到着した日進隊(水上機母艦2隻《日進千歳》、護衛艦《秋月綾波白雪叢雲朝雲夏雲》)が反撃なく揚陸に成功したことから[129]、『敵の大兵力水上部隊を以てする反撃等は無い』と判断して『特に警戒を厳に為しありき』という状態だった[130]。だが日本海軍の行動を察知していたアメリカ軍は、ガダルカナル島への増援部隊(陸兵約3000名)輸送船団からノーマン・スコット少将率いる重巡洋艦サンフランシスコソルトレイクシティー、軽巡洋艦ボイシヘレナ、駆逐艦5隻の艦隊を護衛任務から引き抜き、アイアンボトム・サウンドに派遣して待ち構えていた[131]

16時以降、第六戦隊は速力30ノットで突進、旗艦青葉の左前方3000mに初雪[注釈 4]、右前方を吹雪が航行し、重巡3隻(青葉、古鷹、衣笠)が単縦陣になっていた[132]。先行した日進隊からガダルカナル島揚陸成功の報告もあり、第六戦隊は飛行場砲撃を決意[133][134]スコールから出たところ、21時43分にサボ島方向(第六戦隊より左前方)に艦影を認めた(アメリカ軍側は21時25分の時点で軽巡ヘレナ改良型レーダーで、後に肉眼で敵影を確認しそれぞれ報告)。これを敵艦隊なのか日進輸送隊なのか六戦隊司令部が迷い、味方識別信号を送りつつ敵味方識別を実施中に、艦影(米艦隊)は砲撃を開始[135][136]。偶然にも米艦隊は第六戦隊に対し丁字戦法で迎撃する格好になっていた[131]

青葉の艦橋にいた貴島参謀の手記によれば、最初に被弾したのは青葉の右斜め前方にいた吹雪で、艦中央部に命中弾を受けた吹雪は爆発炎上したという[137]。ほぼ同時に青葉も艦橋に命中弾を受け、五藤司令官が致命傷を負い、通信装置も破壊された[138]。青葉は面舵をとって右に変針すると煙幕を展開、U字を描くような運動で戦場から離脱した[139]。古鷹は取舵をとって左旋回を開始したところ、青葉の面舵変針と被弾炎上を確認するや取舵を戻し、右に反転して青葉を追った[140]。これにより煙幕を展開した青葉と米艦隊の間に割り込んだ格好となった古鷹は集中砲撃を浴び、酸素魚雷に誘爆して航行不能となった[注釈 5]。衣笠、初雪のみ左旋回運動を行いつつ米艦隊に砲撃を行い、ボイシ、ソルトレイクシティーに損害を与えて戦場を離脱した。その間、吹雪は青葉に同航して右旋回を行うが、重巡洋艦サンフランシスコ以下の集中砲撃を浴びて撃沈された[141]。 アメリカ軍によれば、米艦隊はヘレナが口火を切る形で青葉、古鷹を撃破したあと同士討ちを避けるため一旦射撃を中止、射撃を再開したところ「サンフランシスコ」西方1400mに同航中の艦影を発見[142]。識別不能の灯火信号を1-2分点滅して右に変針したため敵艦(吹雪)と判断して照射攻撃を実施[142]。「サンフランシスコ」以下健在の米艦隊から砲撃を受けた「吹雪」は21時53分(アメリカ軍時間)に爆発を起こして沈没した[142]。第六戦隊戦闘詳報では吹雪の沈没情況を以下のように報告している[143]

吹雪ハ2158青葉ノ左140度500米ヲ同航中ナリシモ火災ヲ惹起シ2213大火災トナリ、尓後爆発ノ音響ヲ聞キ間モナク沈没スルヲ認メタルモノアリ — 外南洋部隊支援隊戦闘詳報第二號、第二次ツラギ夜戦(サボ島夜戦)第六戦隊司令部

山下駆逐艦長以下220名が戦死、日本側が救助した生存者は僅か8名であった[144][145]。ただしアメリカ側資料に基づく英文書籍には、吹雪乗組員の109名をアメリカ軍が救助[146]、あるいは109名生存[147]との記述がある。アメリカ軍に救助された者はニュージーランドの捕虜収容所でフェザーストン事件に遭遇した[148]。 この後、古鷹の救援に向かった駆逐艦4隻(第9駆逐隊《朝雲、夏雲》、第11駆逐隊第1小隊《白雪、叢雲》)のうち[注釈 6][149]、夏雲、叢雲がアメリカ軍機の空襲で沈没している[150][151]。 第六戦隊は「巡洋艦2隻、駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦1隻大破」という戦果を報告したが[152]、実際の損害は駆逐艦ダンカン沈没、軽巡洋艦ボイシ大破、重巡洋艦ソルトレイクシティー小破、駆逐艦ファレンホルト大破というものだった[145]。日本軍の輸送作戦そのものは成功し、日進輸送隊はラッセル諸島西側を通過して戦場を離脱、軽巡川内、由良等と合流して帰投した[153]。また損害を被った米艦隊もルンガ沖から避退し、その間隙をついて10月13日には第三戦隊(金剛、榛名)の、10月15日には重巡鳥海、衣笠によるヘンダーソン基地艦砲射撃が実施されている[154]

10月16日、軽巡洋艦戦隊(川内由良龍田)と第四水雷戦隊(旗艦秋月)、同水雷戦隊第1小隊:第9駆逐隊(朝雲)・第6駆逐隊()、第2小隊:第2駆逐隊(村雨夕立春雨五月雨)、第3小隊:第19駆逐隊(浦波、敷波、綾波)、第4小隊:第27駆逐隊(有明白露、時雨)によるガダルカナル島輸送作戦(陸兵2159名、野砲6門、速射砲12門、軍需物資)が行われることになった[155]。17日夜、軽巡戦隊はガ島エスペランス岬にて水雷戦隊はタサファロング岬にて揚陸に成功する。この時、ガダルカナル島から輸送艦隊に収容された231名の中に吹雪の航海長が含まれていた[156]

11月15日、サボ島沖海戦で沈没した夏雲、叢雲と共に吹雪は除籍された[157][158]。また同日附で『吹雪型駆逐艦』は『白雪型駆逐艦』と改定された[5]

2015年1月、ポール・アレンの調査チームにより残骸が発見された[159]

歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』262-263頁による。

艤装員長

  1. 横山徳治郎 中佐:1928年2月1日 - 1928年7月10日[160]

艦長

  1. 横山徳治郎 中佐:1928年7月10日[160] - 1928年12月10日
  2. 石戸勇三 中佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  3. 樋口通達 中佐:1929年11月30日[161] - 1931年10月31日[162]
  4. 佐藤慶蔵 中佐:1931年10月31日[162] - 1932年5月14日[163]
  5. 大藤正直 中佐:1932年5月14日[163] - 1932年12月1日[164]
  6. 直塚八郎 中佐:1932年12月1日 - 1933年11月15日
  7. 平井泰次 少佐:1933年11月15日 - 1935年10月15日
  8. (兼)佐藤寅治郎 中佐:1935年10月15日 - 1935年11月9日[165]
  9. 植田弘之介 中佐:1935年11月9日 - 1936年11月16日[166]
  10. 香川清登 少佐:1936年11月16日 - 1937年11月15日[167]
  11. 藤田友造 少佐:1937年11月15日 - 1938年2月4日[168]
  12. 山田鉄夫 少佐:1938年2月4日 - 1938年11月15日[169]
  13. (兼)折田常雄 少佐:1938年11月15日 - 1938年12月15日[170]
  14. 脇田喜一郎 中佐:1938年12月15日 - 1939年10月10日[171]
  15. 奥山鎮雄 少佐:1939年10月10日 - 1940年10月15日[172]
  16. 山下鎮雄 少佐:1940年10月15日 - 1942年10月11日戦死

注釈

  1. ^ 後に戦艦山城艦長、第三戦隊司令官(金剛榛名霧島で編制)、南雲機動部隊司令長官。
  2. ^ 後に第4駆逐隊司令《萩風野分舞風》としてミッドウェー海戦に参加し赤城雷撃処分。戦死時大和艦長。
  3. ^ 日露戦争第二回旅順口閉塞作戦で戦死した杉野孫七上等兵曹の長男。のち軽巡球磨艦長、空母大鷹艦長、戦艦長門艦長等。
  4. ^ 第六戦隊先任参謀の回想では、参加駆逐艦が吹雪、叢雲となっている。
  5. ^ 古鷹乗組員の大部分は初雪に救助されたが、一部はアメリカ軍によって救助された。
  6. ^ 戦史叢書では救援艦を白雲、叢雲とするが、白雲は8月28日の戦闘で大破し、サボ島沖海戦時、呉で修理中

脚注

  1. ^ #日本海軍全艦艇史下巻p.585、写真No.1605の解説。
  2. ^ a b #達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 吹雪(フブキ)トス』
  3. ^ #艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』(深雪は除籍済)
  4. ^ #日本軍艦集2600年版p.44『一等驅逐艦 吹雪(ふぶき) 基準排水量1,700頓、長さ113,2米、幅10,3米、平均吃水2,97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷発射管9門、起工大正15年6月9日、進水昭和2年11月15日、竣工昭和3年8月10日、建造所舞鶴海軍工廠―特型驅逐艦。「雪級」には、このほかに白雪、初雪の二隻がある。』
  5. ^ a b #内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』
  6. ^ #内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』
  7. ^ #達大正3年9月p.18『達第百三十七號 軍備豫充費ヲ以テ英國耶社ニ於テ建造中ノ第三十五號第三十六號驅逐艦ニ左ノ通命名ス|大正三年九月十二日 海軍大臣八代六郎|第三十五號驅逐艦 浦風ウラカゼ 第三十六號驅逐艦 江風カハカゼ』
  8. ^ a b #艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『吹雪|一等駆逐艦|(艦要目略)|舞鶴工作部|大正15-6-19|昭和2-11-15|昭和3-8-10|(艦装備略)』
  9. ^ #達大正15年6月p.23『第五十二號 艦艇製造費ヲ以テ大正十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十三號驅逐艦』
  10. ^ #達大正15年6月p.23『第五十三號 艦艇製造費ヲ以テ大正十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 第三十五驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十號驅逐艦』
  11. ^ #達大正15年6月p.24『第五十四號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ項「第三十二號」ノ下ニ「第三十三號」ヲ、「第三十四號」ノ下ニ「第三十五號、第四十號」ヲ加フ|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪』
  12. ^ #内令提要編制(1936年12月1日)pp.5-6『驅逐隊編制 昭和十一年十二月一日 内令第四百七十一號』
  13. ^ 写真日本の軍艦10巻255頁〔『特型駆逐艦』(磯波、浦波、綾波、敷波、朝霧、天霧、狭霧、夕霧)行動年表〕
  14. ^ 写真日本の軍艦10巻194頁(昭和13年10月、第10駆逐隊写真解説)
  15. ^ 戦史叢書中国方面海軍作戦(1) 435頁
  16. ^ #波濤と流雲と青春と140頁
  17. ^ #第11駆逐隊支那事変第8回功績p.1『自15.4.29至15.9.15|聯合艦隊第二艦隊第二航空戦隊ニ属シ諸訓練ニ従事スルト共ニ事変内地待機…』
  18. ^ a b c #波濤と流雲と青春と141頁
  19. ^ #第11駆逐隊支那事変第8回功績p.2『吹雪|勲功丙|自15.8.23至9.18|横須賀発サイパンニ回航/サイパン、ポナペ、トラック等南洋諸島ニ在リテ第一特別演習ニ参加、諸訓練ニ従事ス』
  20. ^ #S1509対仏印武力行使に関する諸情況(鳥海)p.2『(二)我兵力(友軍ヲ含ム)及友軍ノ状況|(略)|2sf|(司令官)飛龍、11dg(吹雪欠)|fo×9 fb×18 fc×18』
  21. ^ #紀元二千六百年特別観艦式・第三章p.1『…第2列ニハ戦艦長門・陸奥・伊勢・山城外特務艦摂津、駆逐艦凉風・江風・村雨・春雨・夕立・五月雨・漣・綾波・浦波・初雪・白雪・吹雪ノ十七隻整列シ…』
  22. ^ #第11駆逐隊支那事変第9回功績p.2『聯合艦隊第一艦隊第三水雷戦隊ニ属シ諸訓練ニ従事スルト共ニ事変内地待機…』
  23. ^ #第23駆逐隊支那事変第9回功績p.1『参考事項|昭和15年11月15日第二航空戦隊ニ編入セラル』
  24. ^ #第11駆逐隊支那事変第10回功績p.2
  25. ^ 昭和16年6月18日付 海軍辞令公報(部内限)第657号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072081400 p.48 で閲覧可能
  26. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪|(戦時編制ニ依ル所属)第一航空戦隊』
  27. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』
  28. ^ #巻1追録/第2類編制(1941年12月30日)p.1
  29. ^ #戦史叢書24海軍進攻作戦507-509頁
  30. ^ #戦史叢書24海軍進攻作戦521頁
  31. ^ #S1612三水戦日誌(1)p.22-23『18日0150第二護衛隊指揮官→南遣艦隊司令長官/當隊機密第113番電ニ依ル報告以後ノ東雲捜索ノ結果遂ニ艦影ヲ認メズ。「バラム」灯台ノ7度11.5浬附近ニ広範囲ニ亙リ重油352度14浬及22度15浬ニ空樽ノ浮流セル等其ノ他ノ情況ヨリ推シテ東雲ノ遭難ハ確実ナリ』-p.53『12月17日(略)二.東雲0850バラム灯台ノ7度11.5浬ニテ敵機ト交戦沈没ス、乗員艦長以下227名戦死』
  32. ^ #S1612三水戦日誌(1)p.35『25日0330第二護衛隊指揮官→南遣艦隊司令長官/戦闘概報第五号其ノ三|一.狭霧及所定ノ哨区ニ在リテ「ク」泊地対空対潜移動警戒中2045シパング岬354度27粁ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ爆雷ニ誘爆火災引続キ爆薬庫三番聯管予備魚雷爆発2100沈没セリ|二.護衛隊ハ第三号掃海艇及白雲短艇ヲ以テ狭霧乗員救助ニ當ラシム(以下略)』-p.55『12月24日(略)二.狭霧2100シパング岬ノ354°27kニテ哨戒中敵潜ノ雷撃ニ依リ沈没(イ)生存者艦長以下119名内重傷5名(ロ)戦死者121名』
  33. ^ #戦史叢書24海軍進攻作戦528-536頁
  34. ^ 『日本郵船戦時船史 上』26ページ
  35. ^ a b #撃沈戦記106-107頁
  36. ^ a b c #撃沈戦記108-109頁
  37. ^ #S1701三水戦日誌(2)p.18『(一)「エンダウ」泊地敵機来襲情況 延機数約46 消耗弾薬内譯/吹雪:主砲23発、機銃240発、小銃0』
  38. ^ a b c d #撃沈戦記110-112頁
  39. ^ #S1701三水戦日誌(2)p.14『0501白雪敵ト交戦敵1番艦ヲ照射砲撃 直撃弾数発ヲ得。敵一番艦煙幕ヲ展開ス|0505白雪敵2番艦ニ射撃目標変換』
  40. ^ #S1701三水戦日誌(2)p.15『0508夕霧敵2番艦ニ対シ砲撃開始|0515掃一敵2番艦ニ対シ砲撃開始|0519川内吹雪朝霧敵2番艦ニ対シ砲撃開始|0525敵2番艦ハ航行不能トナリ1番艦ハ煙幕裡ヲ120度方向ニ遁走ス|0527十一駆ヲシテ敵2番艦ノ撃滅ニ當ラシメ20駆ヲシテ1番艦ヲ追撃セシム|0545初雪天霧敵2番艦ニ対シ砲撃開始、射線方向ニ味方アル為天霧ハ間モナク射撃ヲ止ム|0545遂ニ敵1番艦ヲ捕捉シ得ズ之ヲ逸ス』
  41. ^ #S1701三三水戦日誌(2)p.19『吹雪:射撃目標サネット、平均射距離8000m、消耗弾薬数12.7cm102発|記事(イ)射線方向ニ味方アルタメ射速発揮不能其ノ為錯綜弾多カラズ』
  42. ^ #S1701三水戦日誌(2)p.39『(ハ)攻撃ハ敵先頭艦ニ集中シ且徒ニ敵残艦ニ捉ハルルコトナク機失セズ他ノ有力艦ヲ追撃セザルベカラズ、而シテ之ガ追撃ハ徹底的ナルヲ要ス(後略)』
  43. ^ #大東亜戦争記録画報前編p.21『エンダウ沖で同等勢力で決戦サネツト號撃沈ヴアンパイヤ撃退』
  44. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦154頁『敵敷設艦を撃沈』
  45. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、294ページ
  46. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、294-295ページ
  47. ^ a b 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、295ページ
  48. ^ #S1702三水戦日誌(1)p.27『2月12日 一.由良指揮下ニ入ル』
  49. ^ a b 日本水雷戦史、62ページ
  50. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、296ページ
  51. ^ 日本軽巡戦史、130ページ
  52. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、297ページ、日本軽巡戦史、130-131ページ
  53. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、297-298ページ
  54. ^ 日本軽巡戦史、131ページ
  55. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、301ページ
  56. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、303ページ
  57. ^ 昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)、26ページ、戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、310ページ
  58. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦310-311頁『16日以後の水上部隊の作戦』
  59. ^ #S1702三水戦日誌(1)p.32『2月18日一.11dg0700「ムントク」沖発「アナンバス」ヘ|二.由良1000「ムントク」沖発「アナンバス」ヘ|一.敵艦船捕獲拿捕:英掃海艇?(白雪)、蘭汽艇1(ch7)、英駆潜艇ML432(川内)|一.由良1000指揮下ヲ離ル 二.2000夕霧11dg、1D/41wg指揮下ヲ離レ…』
  60. ^ #S1701五水戦日誌(2)pp.3-4『2月2日「ヤ」作戦部隊編制発令セラル。陸軍第16軍主力来船(輸送船56隻)ハ2月1日以後逐次高雄ヲ出港22dg、5dg夫々護衛ノ下ニ2月10日「カムラン」湾ニ全部集結ヲ了ス(略)2月18日1000陸軍第16軍主力第2師団及東海林支隊(輸送船56隻)及妙高丸.鶴見ヲ護衛シ「カムラン」湾ヲ出撃ス』
  61. ^ #S1701五水戦日誌(2)pp.23-24『18日0100将旗5sd→1KF参謀長/(略)二.第七戦隊ノ支援ニ関シ近時西部「ジャバ」海ニ於ケル敵艦艇ノ増勢ニ鑑ミ第七戦隊ハ「カリマタ」海峡附近以後輸送船隊ト概ネ行動ヲ共ニシ緊密ナル連繋ヲ保チ直ニ敵艦艇ヲ撃破スル如ク行動ノコトニ配慮アリ度。尚龍驤モ出来得レバ敵艦艇攻撃可能ナル如ク機宜行動協力ヲ得度|三.當隊2月18日「カムラン」湾ヲ出撃ス』-p.62『17日7S司令官ハ3Egノ支援ニ任ズル事ヲ定メラル』
  62. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦387,427頁
  63. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.61『21日|由良、11dg、12dg、20dg、鶴見合同』
  64. ^ #S1701五水戦日誌(4)pp.5-6『第三護衛隊(ロ)軍隊区分』
  65. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.5『2月24日1650北緯1度0分東経108度15分ニ於テ対潜警戒中ノ神川丸飛行機ハ潜没敵潜水艦ヲ発見之ヲ攻撃、春風及吹雪ハ飛行機ト協同爆雷攻撃ヲナス。輸送船隊ハ一時南西方ニ避退セシメ春風及吹雪ハ引続キ25日0200迄現場附近ニ在リテ敵潜ヲ制圧セリ』
  66. ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦428頁
  67. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.33『27日0948熊野機/先頭ノ大巡ハ超大型ニシテ戦艦ノ疑アリ、距離4000米ニテ確ムルモ疑問アリ』
  68. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.6『2月27日0900熊野飛行機ノ報告ニ依レバ敵大巡1隻軽巡2隻駆逐艦2隻(大巡ハ戦艦ノ疑アリ)「バタビヤ」ノ310度35浬ニアリ(略)1000敵針320度我ガ輸送船隊ニ向フ、1030輸送船隊反転ス、名取ハ直ニ敵方ニ進出攻撃ニ向フ(由良、11dg、12dgニ集結ヲ命ジ7S、19dgト協力索敵)』
  69. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.41『27日1250 5sd司令官/現敵情ニ鑑ミ上陸日ヲ更ニ1日繰リ下ゲ7S、由良、名取、11dg、12dgヲ以テ當面ノ敵ヲバダビヤ北西海面ニ撃破致シ度』
  70. ^ a b c #戦史叢書26海軍進攻作戦431-434頁『第七戦隊、決戦を回避』
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  77. ^ #S1701五水戦日誌(2)p.51『28日1800 3Eg指揮官→三隈最上艦長/三隈、最上ハ當隊ノ右斜前10粁附近ニ進出「バタビヤ」方面ノ敵ニ備ヘヨ』
  78. ^ #S1701五水戦日誌(3)pp.4-5『「バタビヤ」沖海戦 輸送船隊南下中2月27日来「バタビヤ」港外附近ニ出没シアリシ敵艦艇ハ3月1日0000我ガ輸送船隊「バンタム」湾及「メラク」沿岸地区入泊ヲ了シタル直後即チ3月1日0015敵巡洋艦「ヒューストン」(米大巡)「パース」(豪乙巡)ノ2隻「バンタム」湾泊地ニ来襲セリ。當隊ハ直ニ5Sd(22dg、松風缺)、11dg、12dgヲ集結、2D/7S及敷波ト協力夜戦ヲ決行「バンタム」湾外ニ於テ此ノ敵ヲ撃滅セリ』
  79. ^ #S1701五水戦日誌(3)p.9『1日0015吹雪艦長→3Fg.7S/敵巡洋艦2隻見ユ、地点バビ島ノ90度5浬 我位置バビ島ノ270度及2浬0015』
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  82. ^ #S1701五水戦日誌(4)pp.22-23『「バース」竝ニ「ヒューストン」ニ対スル攻撃ハ吹雪ノ第一撃ニ依リ速力ヲ低下セシメ気勢ヲ挫キタル後…』
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  95. ^ #内令昭和17年3月(1)p.35『内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ』
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  151. ^ #S1710四水戦日誌(3)pp.17-18『15日1800(将旗)3sd(宛略)3sd機密第151800番電 SNB ZOB戦斗概報第三號/一.十一日夜6Sノ夜戦ニ際シ直衛d吹雪沈没初雪被弾前部水線上破口荒天航行竝ニ二十四節以上ノ航行危険/二.日進千歳11dg(2D欠)9dg(峯雲欠)ハ増援兵力ヲ「ガ」島ニ揚陸シタル後11dgハ古鷹救援ニ赴キ「ソロモン」諸島南方海面ヲ経テ避退中(2/3未着)一四二〇夏雲沈没叢雲大火災爆發収拾ノ途ナク朝雲白雪乗員ヲ収容シテ一旦避退夜陰ニ乗ジ更ニ叢雲ヲ曳航セントセシモ大火災艦尾切断シテ見込ナク遂ニ之ヲ処分セリ 夏雲戦死駆逐艦長以下十七名 叢雲ハ全員行衛不明』
  152. ^ #S1612六戦隊日誌(6)p.48『五.戦果 ロンドン型甲巡1隻撃沈、ホノルル型乙巡1隻撃沈、駆逐艦1隻撃沈、ホノルル型乙巡1隻大破』
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  155. ^ #S1709四水戦詳報(5)pp.3-4,13『10月16日聯合艦隊ヨリノ指令ニ依リ日進、千歳ノ輸送ハ取止メラレ千代田ノ進出モ亦延期トナレルヲ以テ増援部隊ヲ軽巡戦隊(川内、由良、龍田)、水雷戦隊(秋月、7dg、11dg、6dg、2dg、19dg、27dg)ニ分ケ第四水雷戦隊司令官ハ水雷戦隊ヲ指揮スルコトトナレリ』
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    • Ref.C14121196500『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表~第9表』。 
    • Ref.C14121122500『南支部隊機密第3号 対仏印武力行使に関する諸情況 昭和15年9月20日三亜旗艦鳥海』。 
    • Ref.C14120969500『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/11駆隊機密第3号の5 第11駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。 
    • Ref.C14120979200『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/11駆隊機密第3号の21 第11駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。 
    • Ref.C14120980300『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/第23駆機密第29号の27 第23駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。 
    • Ref.C14120988000『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/11駆隊機密第3号の12 第11駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。 
    • Ref.C08030725700『昭和16年12月 第3水雷戦隊戦時日誌 作戦及一般之部(1)』。 
    • Ref.C08030725800『昭和16年12月 第3水雷戦隊戦時日誌 作戦及一般之部(2)』。 
    • Ref.C08030103500『昭和16年12月4日~昭和16年12月11日 第3水雷戦隊戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030103600『昭和16年12月4日~昭和16年12月11日 第3水雷戦隊戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030103900『昭和16年12月11日~昭和16年12月21日 第3水雷戦隊戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030104000『昭和16年12月11日~昭和16年12月21日 第3水雷戦隊戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030104400『昭和17年1月1日~昭和17年1月30日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030104500『昭和17年1月1日~昭和17年1月30日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030104600『昭和17年1月1日~昭和17年1月30日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 
    • Ref.C08030119000『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030119100『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 
    • Ref.C08030119200『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030119300『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。 
    • Ref.C08030119400『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。 
    • Ref.C08030119700『昭和17年1月1日~昭和17年3月19日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(9)』。 
    • Ref.C08030104900『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030105000『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030105100『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 
    • Ref.C08030105200『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030105300『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。 
    • Ref.C08030105400『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。 
    • Ref.C08030105500『昭和17年2月1日~昭和17年5月31日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。 
    • Ref.C08030040400『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 ミッドウエー海戦戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030040100『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(4)』。 (自昭和十七年六月一日至昭和十七年六月三十日 第三水雷戦隊戦時日誌作戦及一般ノ部)
    • Ref.C08030045800『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。 
    • Ref.C08030586700『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030586800『昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030022500『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。 
    • Ref.C08030022600『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。 
    • Ref.C08030113300『昭和17年9月25日~昭和17年11月9日 第4水雷戦隊戦闘詳報(5)』。 
    • Ref.C08030114000『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。 
    • Ref.C08030325800『昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(4)』。 
    • Ref.C12070067900『大正3年達完/9月』。 
    • Ref.C12070086600『大正15年達完/6月』。 
    • Ref.C12070089800『昭和3年達完/6月』。 
    • Ref.C12070161200『昭和17年1月~3月内令1巻/昭和17年3月(1)』。 
    • Ref.C12070173700『昭和17年11月(4) 内令(昭和17年11月17日~昭和17年11月25日)』。 
    • Ref.C12070176200『昭和18年1月~4月 内令1巻/内令昭和18年4月(1)』。 
  • チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。 
  • 宇垣纏成瀬恭発行人『戦藻録 明治百年史叢書』原書房、1968年1月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書24 比島・マレー方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』朝雲新聞社、1973年2月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書72 中国方面海軍作戦(1) 昭和十三年四月まで』朝雲新聞社、1973年2月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。 
  • 藤原盛宏、岡武文発行人『わが青春と海軍』株式会社トムス出版部、1974年3月。 
    藤原は当時海軍主計少尉、昭和17年3月より11月まで第11駆逐隊庶務主任。サボ島沖海戦時、第11駆逐隊司令駆逐艦「白雪」乗艦。
  • 五月会「伊藤三郎「北洋から海南島へ」(1939年10月~1940年11月まで第11駆逐隊庶務主任)」『波濤と流雲と青春と 第二期二年現役海軍主計課士官 四十周年記念文集』朝雲新聞社、1980年4月。 
  • 永井喜之・木俣滋郎「第2部 第二次大戦/日本編 1章 イギリス駆逐艦「サネット」」『新戦史シリーズ 撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8 
  • 佐藤和正「フェザーストンの惨劇」『戦争の素顔 一兵卒から提督まで』光人社、2000年5月。ISBN 4-7698-0958-1 
  • サミュエル・モリソン大谷内一夫訳『モリソンの太平洋海戦史』光人社、2003年8月。ISBN 4-7698-1098-9 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 丸編集部編『重巡洋艦戦記 私は決定的瞬間をこの目で見た!』光人社、2010年11月。ISBN 978-4-7698-1485-6 
    • 当時第六戦隊先任参謀・元海軍中佐貴島掬徳『悲運の第六戦隊、米電探に散る サボ島沖夜戦
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 駆逐艦I 睦月型・神風型・峯風型』 第10巻、光人社、1990年5月。ISBN 4-7698-0460-1 
  • 『日本郵船戦時船史 太平洋戦争下の社船挽歌 上』日本郵船、1971年

関連項目

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