大塚(おおつか)は、兵庫県三木市にある大字。旧美嚢郡三木町大字大塚町。郵便番号は673-0413。
地理
位置
河川
池
現存する池
- 中沢池
- 合の池
- 福田池[7]
- 井谷池
- ひょうたん池
過去に存在した池
地内の由来
- 由来は多くの古墳があったことから名付けられたが、「大塚」の「大」は王の変化で王塚だと呼ばれる説があり、「塚」は古墳であるか貝塚であるか墓であるかといわれている説がある。諸説はあるが、結論的な証拠はなく、いつごろから呼ばれているのは分からない。[1][2][3][8]
住居表示実施
- 1965年に三木地区で道路等を境界して、住居表示が実施され、当地内の一部が当初大塚一丁目から三丁目になる予定であったが、大塚三丁目の予定であった君が峰地区が入植当時に移り住んだ住民の「馴染んできた君が峰に愛着がある」と出された要望により、大塚一丁目の一部を編入し、君が峰町に分割され、大塚三丁目は実現しなかった。この住居表示実施は大塚は一つの地内として既に形成されていたので不評であり、現在も町内会では大塚町で活動しているが、戸籍上では分けられている。[9][4]
小字
かつては20小字が存在していたが、現在は区画整理により、大塚一丁目と二丁目・住居表示未実施区域・君が峰町に分けられ、存在しない。但し、君が峰は第二次世界大戦後の兵庫県の開発により、入植当時に移り住んだ住民の「馴染んできた君が峰に愛着がある」と出された要望により、君が峰町として残されている。古くから居住している住民の間では会話の中など場所の表現として通常、用いられている[10][9]
小字名一覧
街並み
一丁目
二丁目
住居表示未実施区域
歴史
成立から町村制施行まで
中世は久留美庄に属していた。室町時代中期には成立していたと文書に記載されており、戦国時代には三木城の城下町として機能し、有馬温泉への通路であった。江戸時代には三木町の町方町の一町であり、上五ヶ町に属していた。[2][3]
町村制施行以後
字域の変遷
実施前
|
実施年
|
実施後
|
美嚢郡三木町大字大塚
|
1954年6月1日
|
三木市大塚
|
三木市大塚(一部)
|
1965年
|
三木市大塚一丁目 三木市大塚二丁目 三木市君が峰町
|
伝説
産業
- 農地には適していなく、金物を製造している工業が盛んであるが、鑿の製造であるため、農業との半農半工である。[16]
農業
- 高台に位置しているので水の便が悪く農地には適していないが、ため池が建設されてからは農業地帯が形成された。[16]
農家の習慣と行事
- 大塚の虫送り - 土用入り前夜に極楽寺周辺を周るが、現在は行っていない。[17]
- 大塚の雨乞い - 日照りが続く時の行う行事である。[17]
工業
現在
鑿鍛冶の発祥地
過去
施設
現存する施設
-
三木市立三木小学校
-
服部病院
-
みきやまリハビリテーション病院
-
大日本標準子午線記念碑
宗教施設
過去に存在していた施設
小・中学校の学区
交通
鉄道
この駅前の整備によって三木地区の東側の玄関口となっている。[1]
バス
道路
- 兵庫県道38号三木三田線
- 志染バイパス
- 結婚橋 - 大塚一丁目にある兵庫県道38号三木三田線の真上にある歩道橋であり、1922年に開通した時に高台が切通しになった時に極楽寺から南側にあるため池に陸に水道が通せなくなるのでこの橋を設置した。開通当初は立体交差の歩道橋は珍しかった。由来は両側の民家に住んでいた恋人同士が橋を通って逢引をしたために名付けられた。[24]
人物
参考文献
- 角川書店 編『角川日本地名大辞典 兵庫県』(初版第1刷)、1988年9月。ISBN 978-4040012803。
- 平凡社 編『兵庫県の地名 Ⅱ』(初版第1刷)下中直人、1989年10月20日。ISBN 4-582-49061-1。
- 播中社印刷所 編『三木の地名録』(初版第1刷)福本錦嶺、2003年1月1日。
- 神戸新聞総合出版センター 編『地名でたどる小さな歴史 Ⅱ』(初版第1刷)橘川真一、2008年7月30日。
- 横山印刷所 編『大塚』(初版第1刷)大塚町、1982年3月。
- 『「広報みき」縮刷版②』(初版第1刷)三木市総務課、1978年3月30日。
脚注