『武蔵野夫人』(むさしのふじん)は、大岡昇平の恋愛小説。1950年発表。戦後を代表するベストセラーとなった。題名どおり東京西部の武蔵野が舞台である。新潮文庫で重版している。ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を手本として試みられたロマネスク小説で、没落していく中産階級の姿を描いている[1]。
福田恆存は、世間でこの作品が評価される中、「失敗作だった」とする評論を書き、またその旨を大岡に葉書を送っているが、福田は同作品の舞台の脚色を担当し、『戯曲武蔵野夫人』(旧河出文庫)を出版した(のち『福田恆存戯曲全集 第3巻』(文藝春秋)に収録)。
あらすじ
富士山の見える武蔵野の「はけ」。そのはけに建てられた亡父の家に夫の秋山忠雄と住む道子。この家に道子のいとこの大学生・勉が下宿するようになり、やがて二人は強く惹かれあう。秋山は近所に住む大野英治の妻の富子と姦通しようとしていた。仕事で大野が出張中、秋山と富子は河口湖の旅館で密会。同じ頃村山貯水池に散歩に出ていた道子と勉はキャスリーン台風に襲われ、ホテルで一夜を明かすが、体は許さなかった。勉は武蔵野を出て五反田のアパートに転居するが道子への思いに苦しむ。大野が事業に失敗、金策に奔走する中、秋山夫妻を頼る。やがて両家の夫婦仲はこじれてゆく。秋山は金銭問題と双方の不貞を理由に道子に離婚を迫り、道子は返事をはぐらかす。秋山は家の権利書を持ち出し富子と家出。しかし家を売って金をつくる算段はうまくいかず、富子は勉のアパートへ。やむなく帰宅した秋山は睡眠薬を飲んで倒れている道子を発見。道子はうわごとで勉の名を呼びながら絶命。秋山は涙を流して「すまなかった」と詫びるのだった。
登場人物
- 秋山道子(29歳)
- 信三郎の娘。18歳で秋山と結婚。雪子の家庭教師になった勉に生まれてはじめて恋愛感情を覚える。夫が家を出たあと、遺産の一部を大野と勉に譲るという遺言書を書いて、睡眠薬自殺する。
- 秋山忠雄(41歳)
- 道子の夫。私立大学のフランス語教師。専門はスタンダール。30歳の時に道子と結婚。一夫一婦制は不合理という考えの持ち主。
- 大野富子(30歳)
- 英治の妻。大阪に嫁いだ姉がいる。「コケットリイ」な魅力で秋山や勉を誘惑する。
- 大野英治(40歳)
- 富子の夫で、道子の母民子の妹の息子。石鹸工場を経営する戦争成金。妻の不貞を黙認している。
- 宮地勉(24歳)
- 大学生。信三郎の弟東吾と先妻の息子。1943年に学徒召集でビルマへ行ったきり消息を絶っていたが、信三郎の死後復員。父の遺産で気ままな学生生活をしていたが、富子の頼みで雪子の家庭教師になり、秋山家に下宿、道子と接近する。
- 宮地信三郎
- 元鉄道省事務官。5人兄弟の三男として生まれ、退職後は「はけ」の家で暮らす。妻の民子との間には2男1女が生まれたが、道子以外の息子は2人とも夭逝している。1946年の暮れ心臓麻痺で死去。
- 末弟の東吾は参謀大佐まで出世したが、終戦の翌日拳銃自殺を遂げている。
- 大野雪子(9歳)
- 大野夫妻の娘。
映画
1951年に東宝で映画化された。溝口健二作品として近年再評価の動きがある。東宝からDVDが発売されている。
スタッフ
キャスト
テレビドラマ
1960年版
1960年6月12日にフジテレビ系の『百万人の劇場』で放送。
出演者
スタッフ
1965年
1965年11月4日から1966年1月20日まで、日本テレビ系列の毎週木曜21:30 - 22:00(JST)に放送された。鐘淵紡績(現:クラシエ)の一社提供。
出演者
スタッフ
(参考:テレビドラマデータベース)
脚注
- ^ 田中益三, 「『武蔵野夫人』論」『日本文學誌要』 28巻 p.33-41, 法政大学, ISSN 02877872。
外部リンク
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