河本ロバート
クリストファー・ロバート・河本・ブース(クリストファー・ロバート・かわもと・ブース、Christopher Robert Kawamoto Boothe、1986年1月30日 - )は、東京都西多摩郡奥多摩町出身の元プロ野球選手(投手)、高校野球指導者。右投右打。現役時代の登録名は徳島では「河本ロバート」、新潟では「ロバート・ブース」、CPBLでは「河本羅柏特R.B」。 来歴アメリカ人の父グレン(元3A選手)と日本人の母の間に生まれたハーフ。5兄弟の三男で、兄二人と姉と妹がいる。 中学まではサッカー選手で、柏レイソルの育成部門・柏レイソル青梅でプレーしていた。 スポーツ推薦で八王子実践高等学校商業科入学後に野球を始め、甲子園の予選で敗退。亜細亜大学では公式戦成績はわずか1勝に終わったものの、野球を始めてわずか数年で最高152kmの速球をマークしたことから、その素質は国内球団が早くからマークしていた。 大学4年時にプロ志望届を出していたが[1]、2007年のドラフト会議で指名を見送って頂くように話し合いを行い、本人がどちらかを選べる選択肢を残しつつ最終的に本人がマイナー契約を選択。[要出典] 2007年12月、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。2008年6月、ルーキーリーグのオグデン・ラプターズに入団。2009年4月、Aのグレートレイクス・ルーンズ、2010年4月、AdvAのカリフォルニアリーグのインランドエンパイア・シックスティシクサーズに昇格。しかし、2011年の開幕前に制球力を失う「イップス」に見舞われ[2]、同年で退団。 2012年4月、新潟アルビレックスBCに練習生として入団した[3]。6月12日、選手契約を結んだ。シーズンを通して抑えとして27試合に登板し、1勝1敗11セーブの結果を残した。オフはオーストラリアのウィンターリーグに参加。 2013年4月17日にLamigoモンキーズへの移籍が発表された[4]。だが同年5月27日解雇され、6月1日にわずか1か月半で新潟アルビレックスBCへ復帰した[5]。復帰後はシーズン終了まで新潟に在籍したが、2013年11月27日に退団が発表された[6]。 2014年シーズンは四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでプレー[7]。登録名を変更したのは、プレーする場所の変更に合わせて一新したいと思ったことに加え、母親からの要望もあった[2]。30試合に登板、最速156kmもマークし、8勝5敗3セーブ、防御率はリーグ2位の1.70の成績をあげ、チームの年間総合優勝に貢献した。11月からはコロンビアのウィンターリーグに参加[8]。2015年2月、契約満了で徳島を退団したことが発表された[9]。 その後、横浜DeNAベイスターズから育成契約で獲得の打診があった[10]ものの、固辞して現役を引退。翌2016年2月2日に学生野球資格を回復し[11]、同年からは母校である八王子実践高校でコーチを務め[12]、2019年春の都大会終了後からは監督に就任した[13]。 人物アメリカ人とのハーフ。当初英語は話せなかったが4年間のアメリカ生活により英語も話せるようになっている。現在は日本国籍を取得しており、2013年2月に高校時代の一つ後輩の女性と結婚した[2]。 監督を務める八王子実践高校の選手からは、親しみを込めて「ロバートさん」と呼ばれており[14]、河本は「『監督』と呼ばれる方が嫌かもしれないですね。『監督』というだけで、距離ができる」と語る[13]。 詳細情報年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
背番号
登録名
脚注
関連項目
外部リンク
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