株式会社美篶商会(みすずしょうかい)は、かつて存在した日本のカメラメーカー、写真機材商社である。1920年代の大正年間からC.H(シーエイチ)ブランドの写真機材、1937年(昭和12年)に製造販売を開始した超小型写真用の写真機とフィルムの新規格「ミゼット」で知られる[1]。最盛期以降に美スズ産業株式会社(みすずさんぎょう)と商号変更している[1]。富士写真フイルム(現在の富士フイルム)の四大特約店(四特)の1社とされていた[2]。
富士写真フイルムのほか、白石製作所(現在のスリック)、マミヤ光機(現在のマミヤ・デジタル・イメージング)、オリンパス、栗林写真工業(のちのペトリカメラ)、カコストロボ等の特約店や代理店であった[要出典]。
略歴
概要
1922年(大正11年)6月1日、片倉財閥の一部として長野県松本市に創業、同年には東京に進出し、東京市京橋区銀座8丁目(現在の東京都中央区銀座8丁目)に本店所在地を置いた[1][3]。1936年(昭和11年)5月16日、株式会社化して「株式会社美篶商会」として設立、資本金200万円、社長に片倉兼太郎、常務に藤森豊一郎が就任する[1]。同年、コダックのヴェスト・ポケット・コダック用のロールフィルムである127フィルムを使用する写真機ベストアレックスを発売した[1]。
1937年(昭和12年)、豆カメラ「ミゼット」と専用のフィルムを発売[1]、豆カメラブームを起こし、同フィルムは「ミゼットフィルム」と呼ばれ、日本における超小型写真機用フィルムの事実上の標準規格となる。
1965年(昭和40年)6月24日、「美スズ産業株式会社」に商号変更する[1]。
「富士写真フイルムの四特」と呼ばれる特約店であったが、2004年(平成16年)2月期に年間総売上が340億7,900万円に落ち込み、富士写真フイルムが同年10月からの特約店制度廃止を決めたことを受け、同年7月自主解散を発表した[2]。同年11月30日株主総会を開催して解散を決議、同年12月22日東京地方裁判所が特別清算の開始を決定した[2]。負債総額は136億円であった[2]。同社の営業権は、フジカラーイメージングサービス(のちの富士フイルムイメージング、2009年富士フイルムに経営統合して現存せず)に譲渡した[2]。
おもな製品一覧
写真乾板使用カメラ
- CHカメラ(1920年代) - 4×5cm判写真乾板。
- ロマックス(1938年発売) - 6.5×9cm(大名刺)判写真乾板。
- セミ・リード(1940年発売) - 4.5×6cm(アトム)判写真乾板。
127フィルム使用カメラ
ミゼットフィルム使用カメラ
「ミゼットフィルム」は、裏紙付・無孔の17.5mmフィルムで、画面サイズは通常14×14mm判、10枚撮りである。米谷美久が中学生時代に愛用し、四切まで引き伸ばせたことからオリンパス・ペン開発のきっかけとなった。
- ミゼット(英語: Midget ) - 1937年発売、シャッターはエバーセット式でBとI(1/50秒)のみ。ファインダーは折畳式。アタッチメントはφ14mmカブセ。ニューミゼット発売後は区別のため「ミゼットオリジナル」と俗称される。
- ニューミゼット(英語: New Midget ) - 1939年発売、ファインダーを軍艦部に内蔵した。アタッチメントはφ14mmカブセ。
- ニューミゼットII(英語: New Midget II ) - 1940年発売、レンズは固定焦点、絞り固定、3群3枚のミゼット・アナスチグマット20mmF4.5。アタッチメントはφ16mmカブセ。
- ニューミゼットIII(英語: New Midget III ) - 1951年発売、レンズはF11までの虹彩絞りを備えた4枚ミゼット・アナスチグマットF4.5。シャッターはボディーシャッターに変更されB、1/25、1/50、1/100秒。アタッチメントはφ16mmカブセ。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク