若宮八幡社 (名古屋市中区)
若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)は、愛知県名古屋市中区栄にある神社。 概要旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。名古屋総鎮守とされる。名古屋市街を東西に貫く100m道路である「若宮大通」の名は、この若宮八幡社から採っている。「若宮八幡宮」とも呼ばれる。 歴史天武天皇の時代、もしくは大宝年間(701年 - 704年)に那古野庄今市場(現・名古屋城三の丸)に創建されたと伝わり、延喜年間(901年 - 923年)に再興されたという。かつては天王社(那古野神社)に隣接していた。 天文元年(1532年)3月11日、織田信秀が那古野城を攻めた時の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1539年)にその織田信秀により再建された。 慶長15年(1610年)、徳川家康によって名古屋城が築城された際に現在地に遷座する。 江戸時代は尾張徳川家の氏神となり、名古屋の総鎮守となって崇敬され、寛文4年(1664年)に尾張藩第2代藩主徳川光友によって社殿の造営が行われた。この時、当社の社僧は全て廃されている。元禄2年(1689年)1月には光友より社領100石が寄せられた。 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月19日、名古屋大空襲により社殿が焼失するが、1957年(昭和32年)復興する。1971年(昭和46年)7月1日に神社本庁の別表神社に加列されている。 祭神境内
文化財名古屋市指定有形民俗文化財
祭祀
例祭江戸時代では、例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社(那古野神社)の天王祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に天王祭とは同日であったことから祇園祭と総称された(現在は別の日)。山車7両が神輿と共に名古屋城三の丸の天王社との間を往復し、名古屋城下の目抜き通りであった現在の本町通を練り歩いた。 現在の若宮まつりでは、今も残る山車1両(福禄寿車)と神輿が、那古野神社との間を往復する。福禄寿車は名古屋市指定有形民俗文化財となっている[3]。
交通参考文献関連項目脚注
外部リンク
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