藤原 季家(ふじわら の すえいえ)は、平安時代後期の貴族。藤原北家道綱流、刑部卿・藤原敦兼の四男。官位は正四位下・中務権大輔。藤原聖子(皇嘉門院)に仕える中級貴族として活動した。
経歴
藤原道綱の曾孫にあたる藤原敦兼の四男として誕生。
久安5年(1149年)以前に中務大輔に任ぜられる[1]。仁平元年(1151年)11月、禁中にて左近衛中将・藤原実長と口論をしたために恐懼に処された[2]。仁平2年(1152年)11月、近衛基実が藤原聖子(皇嘉門院)に「別当季家朝臣」を介して慶賀を申しており、皇嘉門院に別当として仕えていたことが分かっている[3]。久寿2年(1155年)7月、近衛天皇の葬送が行われた際には、藤原光隆らと共に入棺、御輿長を務めた[4]。保元2年(1157年)正四位下に叙せられる。
保元2年(1157年)10月、中務権大輔に平頼盛が任ぜられており、権大輔を辞任したと思われる[5]。また、同月までは皇嘉門院の院司としての活動が史料に見えるが、同年11月を最後に季家についての記載はなく、『尊卑分脈』によれば出家したという。
系譜
脚注
出典