藤白鈴木氏(ふじしろすずきし)は、日本の社家・武家の一つ。本姓は穂積氏。全国に分流を輩出した穂積姓鈴木氏の本宗家で、藤代王子旧址である藤白神社の神職を務めた紀伊国の国人領主。通字は「重」。
概要
紀州熊野系の穂積氏の子孫で、穂積老の子とされる穂積濃美麻呂の流れを汲む、熊野速玉大社一禰宜・穂積国興の子、鈴木基行が鈴木姓を称したことに始まる[2]。12世紀頃に熊野から藤白に移り住んで以来、王子社(現在の藤白神社)の神職を代々務めた家系である。熊野三党の一つとして熊野地方に大きな勢力を有し、また熊野八庄司の一つとして当主は代々「鈴木庄司」を称した。
平安時代末期には鈴木重家とその弟の亀井重清が出て、源平合戦(治承・寿永の乱)において源義経に従い壇ノ浦の戦いなどで功績を挙げた。後に奥州藤原氏の元に落ち伸びた義経のもとへ向かい、衣川の戦いで義経と最期をともにした。また、重家らは熊野水軍の将の一人であったとも云われる。
重家の死後、紀州に残った次男・重次が跡を継いだ。重次は承久の乱で朝廷方として参加して正嘉2年(1258年)8月に64歳で没し、南北朝時代には鈴木重恒が後醍醐天皇の南朝に属した。
明徳3年(1392年)には鈴木重義が山名義理に従って大内義弘と戦い戦死。戦国時代には石山合戦で顕如に味方し神領を失った。大坂の陣では鈴木重興が徳川方として参戦して浅野氏から諸役免除を賜わり、後に浅野幸長から6石の寄進を受けた。
昭和17年(1942年)に最後の当主・鈴木重吉が病気で急死し、藤白神社神主家の鈴木氏は断絶した。
鈴木氏が代々居住した鈴木屋敷は空き家となり、建屋の朽崩がすすんでいた[3]。平成27年(2015年)に国の史跡に指定されたことを機に、工事費用を補助金やクラウドファンディングによる募金でまかなって令和3年(2021年)から復元工事を実施した。工事は令和5年(2023年)3月に完了し[4]、同年4月1日から一般公開が行われている[5]。
歴代当主
直流系図[2]
穂積濃美麻呂ー忍麻呂ー息嗣ー財麿ー永成ー豊庭ー国興
- 鈴木基行(国興の子)
- 鈴木良氏
- 鈴木重氏
- 鈴木重実 (庄司)
- 鈴木重武
- 鈴木重康 (庄司)
- 鈴木重光
- 鈴木重元
- 鈴木重邦
- 鈴木重倫
- 鈴木重家
- 鈴木重次
- 鈴木重好
- 鈴木重基
- 鈴木重時
- 鈴木重実
- 鈴木重恒
- 鈴木安弘
- 鈴木重義
- 鈴木重政
- 鈴木重氏
- 鈴木重弘
- 鈴木重光
- 鈴木重則
- 鈴木重長
略系譜
- 太字は当主、実線は実子、点線は養子。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク