術数学
術数学(じゅっすうがく)は、前近代の中国とその周辺地域(東アジア)で発達した学問分野の一つ[1]。術数、数術、数術学、術数文化[2]ともいう。大まかに言えば「占い」「占術」とほぼ同義。具体的に言えば、易・風水・占星術・奇門遁甲などの総称。言い換えれば、五術のうちの命・卜・相の総称。 中国古来の数理哲学や宇宙観(陰陽五行思想・八卦・十干十二支・天円地方・天人相関説・中国天文学・気など)を基礎理論とする。 由来
「術数学」という分野区分は、古代中国の図書分類法に由来する。具体的には、漢代の図書目録である『漢書』芸文志(またはその前身の『七略』)に由来する[2]。『漢書』芸文志は、漢代当時に存在した書物を六分野に大別して整理した。その六分野の一つが術数学である。この分野区分は、漢代以降も形を変えつつ継承された。具体的には、四部分類法の「子部」の下位分野として継承され、清代の『四庫提要』にも継承された。ただし、時代によって含まれる書物の範囲が変わることもあった[2][3]。 術数学は、以上のような図書分類のために作られた分野区分である。そのような事情もあり、「術数学とは何か」という明確な定義は決まっておらず、学者によって様々な定義がある[2]。 なお、漢代より前の先秦時代には、術数学にあたる分野は「方術」と呼ばれていた[4]。「方術」は、占いだけでなく鍼灸(中国医学)や本草学なども含んでいたが、漢代以降分離された[4]。 研究術数学は、近現代の中国学では長らくマイナーな研究対象だったが、20世紀末頃から21世紀にかけて注目されるようになった。 その経緯として、馬王堆帛書や睡虎地秦簡といった出土文献に、術数学関連の文献が多く含まれていたこと(例えば『日書』と呼ばれる文献群[5])や、未調査だった術数学関連の写本(鈔本)や古刊本が調査されるようになったこと[6]、などの経緯がある。また日本では、戦後の木村英一・中村璋八・安居香山・山田慶兒・坂出祥伸をはじめとする学者たちが、中国哲学史・中国科学史において無視すべきでない要素として術数学を論じるようになった、という経緯もある[2]。 内容・影響術数学の下位分野は多岐にわたり、中には必ずしも「占い」とは呼ばれない分野も含まれる。例えば、相馬術(良馬の鑑定術)は、風水や人相占いと同様の「相術」として術数学に含まれる[7][3]。 術数学は政治から日常生活まで、人間の様々な営みと結びついていた[8]。例えば、日選びや雲気占は、合戦の勝敗を左右する要素として軍師などに重要視された。諸子百家の兵家においては「兵陰陽家」が術数学を特に扱った。『孫子』は術数学から距離を起きながらも術数学の影響下にあった[3]。諸葛孔明も奇門遁甲を用いたとされる[9]。 司馬遷の官職である「太史令」は、天文学に付随する術数学を職掌に含んでおり、『史記』には占術師の列伝「日者列伝」がある[10]。 「朱子学」の朱熹は『朱子家礼』で風水を肯定し、後世の儒者の風水観に影響を与えた[11]。 術数学は、中国大陸だけでなく東アジア各地(台湾、琉球諸島、朝鮮半島、ベトナム、日本など)にも伝播した。日本の陰陽道の背景にも術数学があった[12]。 易・風水・日選びなどは、現代でも東アジア各地で行われている(例えば高島易断)[13]。 下位分野→「Category:術数学」および「占い § 命・卜・相」も参照
脚注
関連文献
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