飯田 義一(いいだ ぎいち、1851年1月23日 (嘉永3年12月22日) - 1924年(大正13年)2月10日)は、日本の実業家。三井物産専務理事や、三井合名参事、大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)会長などを歴任した。
人物・経歴
長門国で長州藩士飯田行三の長男として生まれる。飯田家の第13世。外国語学校、測量司学校を経て、1873年工部省入省[1][2]。鉄道院参事補[3]、鉄道局副参事等を経て[4]、1884年に退官し、三井物産入社[5]。インド木綿輸入体制を構築し、1893年大阪支店支配人に就任[1][2]。1894年には綿花部を設立し[6]、1898年から棉花部支配人兼務。1901年理事[1][2]。1906年専務理事心得。1908年専務理事[7]。1909年常務取締役。1911年三井合名参事、王子製紙取締役、三井鉱山取締役。1914年シーメンス事件で起訴され退任。懲役1年執行猶予3年の判決を受け勲五等を褫奪されたが、後に恩赦となり[1][2][8]、1917年には小田柿捨次郎の家で大正海上火災保険設立の懇談会に参加。1918年には大正海上火災保険創立発起人となり、設立後は初代取締役会長に就任[9]。1920年東京地下鉄道発起人総代[10]。墓所は1908年3月に建立され、現在は多磨霊園13区1種5側に所在する。
脚注
- 先代
- 渡辺専次郎
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- 三井物産専務理事
- 1908年 - 1909年
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- 次代
- 株式会社に改組
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- 先代
- 新設
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- 大正海上火災保険会長
- 1918年 - 1924年
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- 次代
- 平生釟三郎
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