あべのハルカス近鉄本店
あべのハルカス近鉄本店(あべのハルカスきんてつほんてん)は、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目1番43号にある、近鉄百貨店が運営する百貨店。同社の本店で、通称は「近鉄本店」、「あべの近鉄」。 2013年(平成25年)6月12日までは「近鉄百貨店阿倍野店」[注 1]と呼称していたが、タワー館の開業に伴い、翌日からは「あべのハルカス」の中核施設・近鉄流通グループの旗艦店であることを強く印象付ける目的で「あべのハルカス近鉄本店」に統一した[1]。 概要大阪阿部野橋駅および天王寺駅のターミナルデパートであり、日本一高い超高層ビル「あべのハルカス」(開業当時)の中核施設である。あべのハルカス建設に伴い建て替えられた「タワー館」と、1988年に村野藤吾の設計で建てられた新館を改装した「ウイング館」で構成され、日本の百貨店としては最大の営業面積100,000m2を持つ。 天王寺・阿倍野エリアで唯一の百貨店でもあることから、フルラインナップ・フルターゲット型の店舗作りを得意としている。Hoopやandといった商業施設も併設しているため、他の百貨店のようにシニア層、あるいはファッション感度の高い顧客に客層が絞り込まれておらず、老若男女問わず様々な性別・年齢の客に人気がある。あべのハルカス開業後は日本最大となった営業面積を活かし、さらにこの路線を強化している[1]。 年表
歴史大鉄百貨店当百貨店は現在の南大阪線・長野線など運行していた大阪鉄道(大鉄)が大正15年(1926年)に大阪阿部野橋駅へ設置した「大鉄アーケード」を発祥とする。その後、子会社を設立して昭和10年(1935年)10月には百貨店の新設工事に着手し、昭和13年(1938年)10月、営業面積約16,000 m2の大鉄百貨店として全面開業した[8]。その後、昭和19年(1944年)6月、大鉄百貨店も親会社とともに関西急行鉄道へ合併し、同社直営の関急百貨店となる。さらに同社が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併して近畿日本鉄道株式会社が誕生すると、日本鉄道阿倍野百貨店に改称している。 第二次世界大戦が激化すると、統制経済のため当店にも約100名の軍隊が配備されるなど、限定された形での営業を余儀なくされる。昭和20年(1945年)には、当店付近も空襲に遭い、同年3月には日本鉄道阿倍野百貨店も罹災した。 近鉄百貨店阿倍野店昭和20年(1945年)8月に終戦を迎え、同年の12月には復旧工事が着工された、翌21年(1946年)6月に2階の雑貨売り場が先行開業するなど、順次開業を繰り返し、昭和23年(1948年)4月には全館が営業再開にこぎつけた。同年、近鉄百貨店阿倍野店へ改称。昭和25年(1950年)7月には1階へ日本初の「ドラッグストア」を開業し、1960年(昭和35年)には約74億円だった売り上げは1965年(昭和40年)には約170億円を突破するほどに成長した[8]。 阿部野橋ターミナル整備構想1970年代に入ると、泉州沖に関西国際空港の建設が予定され、大阪の南の玄関として天王寺・阿倍野エリアの重要性が高まっていた。1977年(昭和52年)、親会社の近畿日本鉄道では阿部野橋駅周辺整備プロジェクトチームを設け、「阿部野橋ターミナル整備構想」を策定。この中に当店の増床工事が含まれており、1983年(昭和58年)に着工した。1988年(昭和63年)11月11日 には増床した新館(現在のウイング館)がオープン。近畿日本鉄道本社、ならびにそごう大阪店や池袋パルコ(旧・東京丸物)を設計した村野藤吾の遺作となった。 当時西日本で最大だった阪急百貨店大阪・うめだ本店(当時)を上回り、営業面積は西日本一の約58,600m2に拡大している[注 4]。 「夢スタジアム」のキャッチフレーズの下、売場では「日本最大または日本初」「大阪最大または大阪初」「近鉄発」の3本を軸に問屋頼みからの脱却を図って、自主MDを実施する特化売場を設け、定着し次第、売場の5~6割をこのような売場にするとした。売場以外では関西国際空港の開港で難波と並んで陸の玄関口となるエリアにふさわしく、「大阪府旅券事務所」も併設する旅行館、キタ・ミナミに対して文化性とアメニティが欠けていたとされる阿倍野で近鉄百貨店のイメージアップと文化発信基地としての役割を果たし、生活者とアートの融合の場である近鉄アート館といった施設も設けている。さらに、阿部野橋ターミナルビル新館には当店に加え、近商ストア運営の生活用品専門店「オールウェイズ」、近鉄商業開発(1987年5月1日設立)が運営し、南米の都市・ラ・セレナ[注 5]にちなんで名付けられた若者向け専門店街「ラ・セレナ」が出店しており、近鉄流通グループの旗艦店とされた。これらの店舗に加えて、ビル内には三井銀行(当時)阿倍野支店も新たに入居した[9]。
専門店街の新設上記の「ラ・セレナ」に加え、2000年(平成14年)9月には南側の旧・別館跡地に「HOOP(フープ)」を開業し、「ラ・セレナ」の閉館と入れ替わりで2008年(平成16年)9月には「Hoop」南側の常磐官舎跡地に大型商業施設「あべのand|and(アンド)」を開業した。これらの商業施設によって阿倍野本店との相乗効果を狙った[8]。
再開発プロジェクト当初は1937年建築の旧館(本館の西半分)を改装すると表明していたが、2007年には旧館を建て替えると発表した。少なくとも20,000m2以上増床し、新本館だけで松坂屋名古屋本店を上回り国内最大の百貨店(新本館約88,000m2以上、「Hoop」「and」を合わせて約116,000m2以上)となる。また旧館の建て替えはオフィスなどとの複合ビルとなり、280mの高さとなるとの報道もされていた[10] 2007年8月8日には、近畿日本鉄道が当店本館を含めた阿部野橋駅ターミナルビル(旧館部分)の再開発計画の詳細を発表した。ターミナルビル旧館部分を高さ300mの複合ビル「あべのハルカス」に建て替え、新しい超高層ビルには、1988年開業の新館部分46,600m2を含み、10万平方メートルの店舗を構える構想とされた。これにより、それまで日本一高いビルであった横浜ランドマークタワー(1993年開業・約296m)を抜き、21年ぶりに高層ビル日本一の記録が塗り換わった[11]。 2013年6月13日には「タワー館(あべのハルカスの低層階(西側)部分(地上14階 - 地下2階))」の先行開業(第1期分オープン)に合わせ、近鉄百貨店阿倍野店または近鉄百貨店阿倍野本店[注 7]との呼称を「あべのハルカス」の中核施設・近鉄流通グループの旗艦店であることを強く印象付ける目的で「あべのハルカス近鉄本店」に統一した[1]。 「本来フルライン・フルターゲットの店である百貨店で売場運営の効率を優先して客層や品揃えに偏りが生じ、他業態に多くの客層が流れ、年々売上高が減少している」とし、日本最大の営業面積10万m2[注 8]を活用し、本来あるべき姿とするフルライン・フルターゲットの百貨店への回帰を目指した。このために従来の百貨店より幅広い来店客を期待し、メインターゲットとしては、従来から当店を主に利用していたアクティブシニアの女性に加え、40代から50代のミセス、OL、チャレンジターゲットとしてファミリー、駅利用サラリーマンを見込んだ[1]。 フルラインの品ぞろえを復活させるため、3フロアにわたって面積11,000m2で展開する日本最大級のレストランフロア「あべのハルカスダイニング」、当店にあった専門店街「ラ・セレナ」や名駅の近鉄パッセでの実績を基にした「Solaha(ソラハ)[注 9]」や関西最大級の9,000m2のデパ地下に加え、大規模専門店も導入することで、様々なターゲット層に対してそれぞれの利用を見込んだ専門店を充実させた。これによって百貨店:専門店の比率を6:4とする。また、近鉄アート館の復活や店内喫茶の増設、屋上農園の導入などによって物販:非物販の比率を3:1にすることで「コト」消費にも対応した時間消費型の店舗として、買い物目的がなくても立ち寄れる業態融合型の店舗とすることで、新しい百貨店の事業モデルを目指している[1]。さらに、百貨店の各種案内放送に他店のような女性声優ではなく窪田等を起用し、300万曲の中から厳選したUSENのオリジナルBGMも採用するほか、開店時・閉店時にはニューヨーク在住のピアニスト・天平のオリジナル楽曲を流すなどして、滞在環境の向上にも努め、時間消費型の店舗にふさわしい雰囲気作りも行う[12]。 これらの内容が発表された後、2013年(平成25年)6月13日にタワー館がオープンした[13]。次に、それまでの新館をウイング館とするため順次改装を行い、10月10日には第2期分としてウイング館の4階から8階までがオープン[14]し、2014年(平成26年)2月22日にはウイング館の地下2階の一部と地上2階から4階までに「Solaha(ソラハ)」がオープンした。これにより、「あべのハルカス近鉄本店」は全館グランドオープンした[15][16][17]。そして、同年3月7日には、同店を含め、あべのハルカス(オフィスフロア・大阪マリオット都ホテル・あべのハルカス美術館・ハルカス300(展望台))がグランドオープンしている。 特に梅田・難波より多い近隣住民と天王寺駅・大阪阿部野橋駅の利用者、あべのハルカス展望台への来訪客を主とした集客を行い、専門店部分の売上高を含めた取扱高ベースの売上高では1,450億円、売上高[注 10]では1,190億円をそれぞれ目標とした[13]。
新店舗開業後あべのハルカス近鉄本店としての開業初年度の売上高は983億円である。これは目標を大きく下回っており、2016年度の売上高も974億円と前年度並みにとどまっている。特に「solaha(ソラハ)」ゾーンが予想ほどの集客を得られなかったとされた。 このため、開業半年後から改装を行い、エディオン[注 11]やコクミンドラッグなどの専門店を誘致したり、デパ地下・新鮮市場の一部を「パントリー」に委託した。そして、2016年11月には「Cafe & Meal Muji」併設の「無印良品」[注 12]が2階の若年女性向け専門店ゾーン「solaha(ソラハ)」を改装した場所に入居することになった。これらの施策によって、客の流れが周囲へ波及するようになり、「solaha(ソラハ)」をはじめとした女性向け商品の売り上げも改善が見られる。2017年3月にはロールケーキの「堂島ロール」を販売する「モンシェール」が入居してデパ地下も賑わうようになった[18]。 さらに、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)との共同企画や中国での情報発信によって訪日外国人も増加している。このため、近鉄百貨店では2017年度の売上高は前期比7.5%増の1048億円を見込んでいた[18]が、実際には2017年度テナント取扱高ベース売上高は前年度比16%増の1252億円(売上高は1,176億円)とさらに上回り、2018年5月の売上高も前年同月比18.4%増と、18カ月連続で前年を上回っている[19]。 周囲の施設との関係1995年(平成7年)9月14日に開業した天王寺駅ビルの天王寺ミオ本館のほか、2011年(平成23年)にはあべのキューズタウンとして、ViaあべのWalkが4月1日、あべのキューズモールは同年4月26日に開業している。 これらの施設は一部の客層が被るものの、競合関係というより、いずれも一体となって天王寺・阿倍野エリアを盛り上げる存在として捉えている。例えば、近鉄百貨店と「あべのキューズタウン」を運営する東急不動産SCマネジメントでは2012年2月1日から14日にかけて初の共同販促企画「あべので愛のはさみうち。バレンタインスタンプラリー」を実施し[20]、同年のゴールデンウィークにも「あべの近Q 上陸作戦」を実施した[21]。また、「天王寺ミオプラザ館」の地下には傍系の「近商ストア」がプラザ館地下一階にハーベス天王寺店を出店している。
初のタワー館改装と専門店の運営また、近鉄百貨店では他社の経営する専門店の誘致にとどまらず、自社でも専門店のフランチャイズ(FC)運営に取り組んでおり、当店にもいくつかの店を導入することになった。 2021年4月にはタワー館で「あべのハルカス」開業後初の大規模改装を実施した。奈良店や四日市店でFC運営している高級食品スーパー「成城石井」をタワー館地下2階・食品売場に導入したのに加え、台湾の商業施設「誠品書店」[注 13]で人気の食品・雑貨セレクトショップ「神農生活」ともFC契約を結び、「神農生活」の日本国内1号店をタワー館10階にオープンした。 また、ローマの世界観を再現したブルガリの新店舗がタワー館1階に開業するなど、高級ブランドもより一層の充実を図った。 同年夏にはタワー館2階の東側(ウイング館側)へ2020年東京オリンピック・パラリンピックの公式グッズ販売店を期間限定でオープンした後、9月にはその跡地へ北海道どさんこプラザをオープンした。ほかの同プラザは三越伊勢丹ホールディングス傘下の百貨店・丸井今井による運営がほとんどだが、今回は近鉄百貨店と北海道貿易物産振興会が共同運営する形での関西初出店。常設の売場に加え、その周辺に週替わりで北海道から限定商品の出店を行う。 フロア構成先述のとおり、「あべのハルカス近鉄本店」としてリニューアルオープンした際にはヤング・カジュアルの女性向け「Solaha」ゾーンが4フロアにわたって展開されていたが、縮小されて2フロアとなっている。跡地には無印良品やエディオンなどの専門店が入居し、残ったゾーンとの相乗効果を狙っている。これに対して、男性向け「Solaha Men」コーナーもあるが、これは2021年現在もほとんどそのまま営業している。 その他当店近くに住むハイヒール・モモコが近鉄百貨店の個人株主となっており[24]、普段から当店で近鉄百貨店の株主優待による10%割引を利用して買い物するほか、当店の開くイベントにも登場することがある。 周辺施設→「天王寺」も参照
近鉄百貨店が運営する施設近鉄グループが運営する施設その他
関連項目
大阪のターミナル百貨店 脚注注釈
出典
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