良品計画
株式会社良品計画(りょうひん けいかく 英: RYOHIN KEIKAKU CO.,LTD.[4])は、無印良品(むじるし りょうひん)やMUJIブランドの小売店舗・商品開発と製造・販売を展開する専門小売企業である。 衣料品、雑貨、食品、家具などを販売する「無印良品」および無印良品のオンラインストア運営のほか、家具・インテリア雑貨を専門に取り扱うIDÉEの展開、新潟県・岐阜県・群馬県でのキャンプ場の運営、株式会社 MUJI HOUSEを通じた住宅の施工および販売、二次流通市場における事業、まちづくりに関する事業、金融・投資に関する事業、教育に関する事業などを手掛けている[5]。 かつては旧セゾングループ(西武流通グループ)の一員であった。 概要1970年代、スーパーマーケットをはじめとする量販店各社はプライベートブランド (PB) の開発を推めた。1977年10月に西友は、従来のPB商品を充実させるべく田中一光、小池一子の提案による「SEIYU LINE」をPBの総合ブランドして取り扱うことを決定した[6]。 1980年に、SEIYU LINEのPB商品群をプロトタイプとして新たにラインナップを増強して、田中の発案による英語のノーブランドグッズ (no brand goods) を和訳した「無印良品」をブランド名とした[7]。1980年当初のブランド数は食品が31品目、生活雑貨が9品目の40品目だった[8]。無印は、西友、西武百貨店、ファミリーマート、阪神百貨店のインショップなどで発売した[9]。1983年に青山で開店した路面店は、内装を杉本貴志が手掛けた[10]。当初の広告ではいわゆる「わけあり商品」を安く売るというコンセプトを全面的に打ち出していた[11]。発売当初のキャッチコピー「わけあって、安い。」は小池が考案した。 当時セゾングループ代表だった堤清二は、「哲学者のジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』などに触発され[12]、商品にブランド名が付くだけで価格が上昇する現象に疑問を持ち、ブランドを与えないことで価格を抑える方が消費者に喜ばれると考えて、無印の企画を立ち上げ、発足当時は「無印良品」を「反体制(アンチブランド)商品」と呼んでいた」と語る[13]。無印良品は「ノーブランドというブランド」として出発した。 1989年6月に、西友の100%子会社として株式会社良品計画を設立する。1992年9月に、西友の子会社で休眠状態であった魚力[注釈 3]が良品計画を合併し、魚力が良品計画に社名を変更した[14]。 バブル崩壊後も良品計画は成長を続け[15]、1990年代後半からセゾングループ以外のジャスコなどにも商品を供給した[16]。 シンプル重視へ2001年度にディスカウントストアの台頭などが影響して衣料品などが不振となり業績が2003年まで悪化した事によって[17]、良品計画社長に就任した松井忠三は不採算店舗の閉鎖・縮小・不良在庫処理・全在庫焼却・直営店の1割に当たる赤字店舗閉店・無駄経費徹底削減・人材育成改革・組織体制の抜本的な変更などを断行していった[18][19][20][21][22][23]。また業績悪化の一番の原因であった商品力の回復に向けて取り組み、無印良品のクリエイターやデザイナーは日本の禅や茶道の価値観に影響を受けていたため、素材を見直し、生産工程での無駄を排除し、包装を簡素化することで質を落とさずに価格を下げ、機能に無関係な工程は全てカットし、商品はシンプルで機能性重視にした[18][19][20][21][22][23]。 商品企画力の強化などの業務改革が奏功して[24]恢復した[25]。2015年3 - 8月期の連結営業利益は160億円程度となり同期における最高益を更新すると報じられた[26]。 セゾングループ解体後は旧グループ各社との関係は薄れたものの、2006年にファミリーマートと資本提携を締結した[27]。2016年にユニー・ファミリーマートホールディングスが発足するとファミリーマートは無印良品の扱いを見直し、2019年1月28日で取扱を終了した[28]。良品計画も保有していたユニー・ファミリーマート100万株を段階的に売却したとみられる[28]。2020年6月からローソンの首都圏一部店舗で、無印良品の実験販売を開始した[29]。 「MUJI」ロゴはイギリス進出時に開発された。英語圏の人々に発音しやすく、日本語の「無地」に繋がり、英語でも悪い意味にはならないということで決定された[30]。海外で用いるMUJIブランドを、一時期日本国内で「MUJI」ロゴとして商品表記などに配した。のちにアドバイザリーボードの原研哉らの勧めでMUJIを排したが、「MUJI Card」のほかに東京ミッドタウン、新宿、銀座松坂屋に「Cafe Meal MUJI」がある。2016年春夏から再び、日本国内の無印良品で「MUJI」ロゴを用いる。多角経営は終えているが、現在もカフェやキャンプ場などは経営している。 沿革
関連子会社
連結子会社店舗店舗数は、国内・海外を合わせ計1251店舗(2023年8月期末)[45]。 →詳細は「公式サイトの企業情報」を参照
国内の全47都道府県に出店しているが、都道府県庁所在地のうち、甲府市(山梨県)にだけは出店していない[注釈 4]。奈良市、和歌山市、徳島市は一時期出店していなかったが、後に再出店している。大津市は無印良品の家展示場のみ営業している[注釈 5]。 各店舗の面積やラインナップは様々であり、面積:200坪 - 1870坪の「無印良品」、面積:30坪 - 80坪の小型店「MUJIcom」、500円以下の商品を中心に取り扱う「無印良品 500」、空港を中心に展開する「MUJI to GO」[46]のほか、カフェ「Café&Meal MUJI」[47]などがある。日本国内ではセゾングループであった関係から西武[注釈 6]、西友、パルコなどへ出店も多いが、イオンモール、ららぽーと、アリオ、ルミネ、アピタ、丸井、平和堂など様々な商業施設にテナントとして入居する[48]。 →詳細は「無印良品の店舗情報」を参照
2019年4月に無印良品有楽町から移転した無印良品銀座は、MUJI HOTEL GINZAのほかMUJI Dinerを併設し、世界最大級の無印良品の旗艦店である[49][50]。 2022年4月22日に広島のアルパーク西棟に新装開店した無印良品広島アルパークは、約1,870坪の店舗面積で世界最大の無印良品である [51][52]。 2023年11月23日に開店した無印良品ヨシヅヤ可児には、可児市立図書館の分館として「市立カニミライブ図書館」が併設されている[53]。無印良品の店舗内に図書館が併設されるのは、無印良品ヨシヅヤ可児が全国で初めてである[53]。独自の図書分類法が採用されていること、カフェスペースが併設されていること、無印良品の店舗との隔てが無いことなどが特徴である[53]。 この他、津南(新潟県津南町)・南乗鞍(岐阜県高山市)・カンパーニャ嬬恋(群馬県嬬恋村)の3か所の「無印良品キャンプ場」[54]を経営している。 製品
情報システム良品計画では社内で使用する情報処理システムの内製化を進めている。当初は一般の企業と同じく全て業者へアウトソーシングしていたが、仕様を策定している間にニーズが変化して、活用されないことがあった。システムの自社開発を計画したが開発経験を有する担当者がおらず、シェルスクリプト (Bash) で開発し、データ自体もデータベース管理ソフトではなく単なるテキストファイルで管理するユニケージ開発手法を採用した。これにより25万件の商品データを約2秒で全件検索可能な、軽量で高速なシステムが誕生した[62]。更新に伴うメンテナンスのために2019年12月31日にシステムを停止して2020年1月1日に再開する予定であったが、「使用に耐えうる表示速度が満たせず」およそ一か月間停止した。[63]。 不正・訴訟
中華人民共和国での訴訟
MUJIGRAMMUJIGRAM(ムジグラム)は、無印良品の社員・アルバイト用の業務マニュアルのことである[66]。このMUJIGRAMは全13冊、併せて1683ページにも及ぶ膨大なマニュアルであり、レジ業務から経理、労務、配車などあらゆる業務を網羅している。 これは、売上が著しく下落した2000年(平成12年)度に当時社長を務めていた松井忠三(現・名誉顧問)が自ら作成した。新人でもわかる記述を重視し、図や写真をふんだんに使い、書類の書き方も非常に詳細かつ簡潔に書かれている。 2013年に、松井忠三の著書『無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい』や、テレビ番組『日経スペシャル カンブリア宮殿』[67]でMUJIGRAMが紹介された。
テレビ番組
書籍関連書籍
脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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