東武トップツアーズ
東武トップツアーズ株式会社(とうぶトップツアーズ)は、東京都墨田区に本社を置く日本の旅行会社。東武鉄道の連結子会社である。 概要団体旅行を得意分野の一つとしており、教育関連、企業・法人、官公庁などに強みがある。また、外国の旅行会社とも提携し海外ネットワークを広げている。旧社名は東急観光株式会社で東急グループの一員であったが、2013年8月30日、東武グループ入りした。2015年4月1日、東武トラベルと合併し、現社名となった[2]。 近年は会議ビジネスやWEB販売、あるいはSITツアー(テーマのある旅)等にも注力しており、「ストリームライン事業」や「ミーティングプランナーサービス」を強化している[3][4]。ここで、「ストリームライン事業」はインセンティブツアーの提案、訪日外国人旅行者を含むイベントや会議の受け入れ、BTM(出張に係る旅行業務代行)を主に扱い、「ミーティングプランナーサービス」は会議やミーティングの企画・運営をサポートするものである。
歴史・沿革歴史1956年(昭和31年)、東京急行電鉄の子会社である「東急観光株式会社」として設立された。設立当初は「旅行業」で国内旅行の取扱いをしていたほか、東京タワーの大食堂などの「旅館食堂業」の二本柱をおこなっていた[5][6]。その後、旅館食堂業での売上を資金に拡大をし、各地の旅行業者を買収。1959年末までに青森県から福岡県まで合計46か所となった。1957年4月に国鉄の団体旅客取扱指定業者。1958年5月には国鉄団体乗車券の発売が許可され、国内旅行大手4社の一つに数えられるまでになった。1960年に東急航空株式会社と合併し、旅行業務を海外旅行や訪日旅行を扱うまでに拡大し、航空貨物運送の代理店にもなった。特に東日本の地方都市での学校や企業に営業活動を行ってきたため、同地域での修学旅行や社員旅行は多く扱ってきた[3]。そして1987年(昭和62年)には近畿日本ツーリストにつづき2番目となる東京証券取引所第一部への株式上場を果たした[7]。 売上高では長年業界4位だった[8]が、1990年(平成2年)から赤字となり[7]無配が続き、1990年代後半には阪急交通社に抜かれ4位から転落する[3]。2000年からはバブル崩壊後の不況の長期化に加え新型肺炎SARSやイラク戦争の影響による売上高の減少で厳しい経営状態となる。2003年から首都圏の個人旅行、国際旅行(BTMを含む)、法人営業の3つを分社し[9]、6月には増資も行った[10]。さらに東急電鉄と株式交換を行い同社の完全子会社になり、後に東証一部上場を廃止となった[11]。しかし東急グループ全体でもリストラを余儀なくされており、東急観光も例外ではなく、2004年3月には東急電鉄が東急観光の株式の大部分を独立系の投資会社であるアクティブ・インベストメント・パートナーズに売却したため東急グループから外れることになった[12]。 東急グループを外れてからは投資会社のもとで経営再建をすすめ、2004年7月に一旦分社化した個人旅行、国際旅行(BTMを含む)、法人営業の会社3社を吸収合併し[13]、2006年1月には社名をトップツアー株式会社に変更した[14]。その後2007年9月にはみずほ証券系ファンド会社であるポラリス・プリンシパル・ファイナンスが全株式を取得し[15]、同社のもとで再上場を目指すとしていた。 その後、2013年7月31日、ポラリスが保有する株式を東武鉄道が8月30日付けで全て買い取ることを発表した[16]。東武は自らのグループ内に旅行取扱高国内23位の旅行会社「東武トラベル」を既に抱えており、買収によりグループ全体で旅行取扱高国内10位(ホールセラー専業会社を除くと8位)に浮上している[17][注釈 1]。 沿革
店舗→「支店案内」を参照
店舗は基本的に法人営業本部管轄の空中店舗が多く、個人営業本部の管轄は東武沿線を中心とする首都圏の16店舗に限られる。ただし、旧東武トラベルの店舗を中心に法人営業本部管轄でも館林駅支店、甲府支店など個人向けカウンター営業を行っている例も若干あり、特に2017年3月までの福山支店(福山と~ぶホテル1階と3階)[29]の1階カウンターは道路に面した通常の店舗形式となっていたが、同支店は店舗移転後に空中店舗化した。 法人営業本部管轄店舗でも、一部店舗は「特急券取扱支店」として、特急券及びSL・DL座席指定券の販売、インターネットもしくは東武鉄道お客様センターを通じて電話予約した特急券、SL・DL座席指定券の引換業務を行っている[30]。 関連会社
その他
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |