日清食品ホールディングス株式会社 (にっしんしょくひんホールディングス、英 : NISSIN FOODS HOLDINGS CO.,LTD. [ 3] )は、大阪府 大阪市 (本店)と東京都 新宿区 に本社を置く企業。即席麺 を生産する日清食品 を中心とする食品グループの持株会社 である。
概要
即席麺を中心としたインスタント食品、冷凍食品、菓子、シリアル食品、乳酸菌飲料を製造・販売している。日清食品グループの理念は「EARTH FOOD CREATOR 」(「食」の可能性を追求し、社会や地球に貢献する)、また同グループのビジョンは「UNITE FOOD POWERS 」(「食」の持つ力を結集する)である。グループ全体におけるスローガンとして「もっと「食」を動かそう。 」も制定されている。主要子会社として日清食品、明星食品、日清シスコ、湖池屋があり主要取引先は三菱商事 、伊藤忠商事 となっている。
カップ麺 市場を拡大するため海外に進出しており、インド 、インドネシア 、タイ 、オランダ 、アメリカ 、ブラジル に現地工場を持つ。また味の素 と提携しており、インドネシアやタイに合弁会社を設立しているほか、ミャンマー では現地企業と合弁で進出した[ 4] 。
社名は、「日 々清 らかに豊かな味をつくる」という創業者・安藤百福 の言葉を由来とする[ 5] 。また「日清」の名を冠する日清製粉 、日清オイリオ とは起源的には無関係であるが原材料の調達等の取引関係があり、僅かながら株式を相互保有している。日清製菓 、日清医療食品 、日清紡績 とは一切無関係である。
沿革
→持株会社化以前の沿革については「
日清食品 」を参照
2008年(平成20年)
10月1日 - 持株会社体制へ移行し、商号を「日清食品ホールディングス株式会社 」(本社・東京、登記上本店・大阪)に変更し、即席麺事業を(2代目)「日清食品 株式会社」、チルド食品 事業を「日清食品チルド 株式会社」、冷凍食品事業を「日清食品冷凍 株式会社」、業務サポート部門を「日清食品ビジネスサポート株式会社」にそれぞれ新設・承継。これにより、前述の本社機能集約とあわせ、経営中枢機能が創業地の大阪から東京へ移行した。
創業50周年を記念し、次の50年に向けて100のことを実行する「百福士プロジェクト 」始動。
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)9月17日 - 神奈川県 横浜市 中区 の横浜みなとみらい21 地区に「安藤百福発明記念館 」(カップヌードルミュージアム)を開館。
2012年(平成24年)1月1日 - 陸上競技部が第56回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で2度目の優勝。
2013年(平成25年)8月 - 「安藤百福発明記念館」(カップヌードルミュージアム)の来館者が200万人を達成。
2014年(平成26年)3月 - 東京都八王子市 戸吹町 に新たな研究拠点として「日清食品グループ the WAVE」(「グローバルイノベーション研究センター」「グローバル食品安全研究所」の2拠点)が完成、稼働開始。
2016年(平成28年)1月 - ぼんち の株式を追加取得し、ぼんちを連結子会社とする。
2017年(平成29年)9月15日 - 大阪府池田市の「インスタントラーメン発明記念館」の名称を「安藤百福発明記念館 大阪池田 」(カップヌードルミュージアム 大阪池田)に改称。同時に横浜市の「安藤百福発明記念館」(カップヌードルミュージアム)の名称も「安藤百福発明記念館 横浜 」(カップヌードルミュージアム 横浜)としている[ 7] 。
2020年(令和2年)11月27日 - 湖池屋 の株式を追加取得し、湖池屋を持分法適用会社から連結子会社に変更[ 8] 。
グループ企業
日清食品関東工場(茨城県取手市)
常温食品事業
低温食品事業
菓子事業
飲料事業
機能子会社、その他事業子会社
日清食品ビジネスサポートプラス株式会社(大阪市淀川区) - 特例子会社
日清食品アセットマネジメント株式会社(東京都新宿区) - 不動産管理業
日清ネットコム株式会社(大阪市淀川区) - ビル管理・食堂経営
宇治開発興業株式会社(京都府 宇治市 ) - ゴルフ場「日清都カントリークラブ」を経営
関連会社各社については 日清食品グループについて を参照。
過去のグループ企業
日清食品ビジネスサポート株式会社(大阪市淀川区)- 業務サポート。2015年10月1日に日清食品ホールディングスに吸収合併。
味の民芸フードサービス株式会社 - 2014年1月にサガミチェーン のグループ会社となったのに伴い、当社グループから離脱。
研究所
日清食品グループの技術・開発・研究拠点として、2014年(平成26年)3月、「グローバルイノベーション研究センター」と「グローバル食品安全研究所」の2拠点からなる「日清食品グループ the WAVE 」が東京都八王子市 戸吹町 に完成した。「最も進んだフードテクノロジーの波を起こし、その力強い波動を絶え間なく世界中に発信していく」事をミッションに、創業者精神のもと、技術開発と食の安全の研究を進めている[ 9] 。設計は古谷誠章 (早稲田大学教授)が担当し、竹中工務店 が工事を請け負った。the WAVEは2014年度グッドデザイン賞 を受賞している[ 10] 。
スポーツ協賛事業
日清食品グループ陸上競技部
日清食品グループ陸上競技部 正式名称
日清食品グループ陸上競技部 愛称
日清 競技種目
陸上競技 創設
1995年 本拠地
東京都 中野区
日清食品グループ陸上競技部 (東京本社付のためチーム所在地は東京都新宿区)は、1995年(平成7年)2月1日、日清食品(当時)の陸上競技部として創設。諏訪利成 (アテネオリンピック男子マラソン6位入賞)、実井謙二郎 (アトランタオリンピック男子マラソン日本代表)をはじめ、徳本一善 、ジュリアス・ギタヒ 、大島健太 ら中長距離の有力ランナーを揃え、創設以来全日本実業団対抗駅伝大会 (ニューイヤー駅伝)の常連チームとなっていた(2019年(平成31年)まで24年連続24回、東日本地区代表として出場した)。
2010年(平成22年)の第54回全日本実業団対抗駅伝大会において4時間50分7秒のタイムを記録し、出場15回目にして悲願の初優勝を果たした(1区:座間紅祢 →2区:ガトゥニ・ゲディオン →3区:佐藤悠基 (区間賞)→4区:北村聡 →5区:保科光作 →6区:徳本一善→7区:小野裕幸 (区間賞))。2012年 (平成24年)の第56回大会でも、2年ぶり2回目の優勝を果たした(1区:若松儀裕 (区間賞)→2区:ガトゥニ・ゲディオン→3区:保科光作→4区:佐藤悠基(区間賞・区間新)→5区:高瀬無量 (区間賞)→6区:座間紅祢→7区:安西秀幸 )。
2019年1月11日、成績が低迷していた駅伝からの撤退を発表し、2020年東京オリンピック マラソン日本代表選考会となるマラソングランドチャンピオンシップ 出場権を獲得した佐藤悠基と村澤明伸 を除いた所属する12人の選手に退部を勧告、入社予定だった大学生2人の内定を取り消した[ 11] [ 12] 。最終的には佐藤・村澤に加え三浦洋希・高瀬無量の2名が残留、他の選手は移籍もしくは引退となった。
コーチの板山学、所属選手の村澤明伸と三浦洋希が退部し所属部員がいなくなるため、2021年3月31日を以って活動を休止することが発表された[ 13] 。
チームスタッフ
コーチ
最終所属選手
過去に所属していた選手
など
全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)成績
走者 は区間賞。
年
総合順位
1区走者
2区走者
3区走者
4区走者
5区走者
6区走者
7区走者
1996年
14位
荒井崇
岡部直三
アロイス・ニジガマ
大庭幸治
阿久津健
実井謙二郎
斉藤篤孝
1997年
12位
アロイス・ニジガマ
斉藤篤孝
荒井崇
森田桂
阿久津健
実井謙二郎
小山強志
1998年
6位
実井謙二郎
卯月達也
荒井崇
野呂康一
斉藤篤孝
ジュリアス・ギタヒ
池谷真輝
1999年
9位
中村祐二
関厚志
ジュリアス・ギタヒ
池谷真輝
国分隆宣
実井謙二郎
荒井崇
2000年
14位
北田初男
卯月達也
諏訪利成
国分隆宣
野呂康一
荒井崇
池谷真輝
2001年
4位
北田初男
実井謙二郎
ジュリアス・ギタヒ
諏訪利成
奈良修
池谷真輝
大西雄三
2002年
3位
ジュリアス・ギタヒ
実井謙二郎
諏訪利成
小川博之
奈良修
北田初男
板山学
2003年
2位
板山学
諏訪利成
ジュリアス・ギタヒ
北田初男
小川博之
徳本一善
大西雄三
2004年
3位
北田初男
諏訪利成
ジュリアス・ギタヒ
池谷寛之
徳本一喜
奈良修
板山学
2005年
3位
板山学
諏訪利成
ジュリアス・ギタヒ
松村拓希
奈良修
藤井周一
大西雄三
2006年
10位
藤井周一
諏訪利成
板山学
徳本一喜
実井謙二郎
ジュリアス・ギタヒ
大西雄三
2007年
3位
松村拓希
徳本一喜
ガトゥニ・ゲディオン
丸山敬三
大島健太
板山学
大西雄三
2008年
6位
板山学
徳本一喜
ガトゥニ・ゲディオン
佐藤慎悟
保科光作
大西雄三
諏訪利成
2009年
2位
北村聡
ガトゥニ・ゲディオン
徳本一喜
保科光作
座間紅祢
藤井周一
大西雄三
2010年
優勝
座間紅祢
ガトゥニ・ゲディオン
佐藤悠基
北村聡
保科光作
徳本一善
小野裕幸
2011年
3位
北村聡
ガトゥニ・ゲディオン
保科光作
佐藤悠基
治郎丸健一
板山学
小野裕幸
2012年
優勝
若松儀裕
ガトゥニ・ゲディオン
保科光作
佐藤悠基
高瀬無量
座間紅祢
安西秀幸
2013年
9位
北村聡
バルソトン・レオナルド
小野裕幸
高瀬無量
保科光作
佐藤悠基
安西秀幸
2014年
3位
若松儀裕
バルソトン・レオナルド
村澤明伸
佐藤悠基
高瀬無量
北村聡
小野裕幸
2015年
3位
大迫傑
バルソトン・レオナルド
佐藤悠基
村澤明伸
小野裕幸
佐々木寛文
若松儀裕
2016年
6位
若松儀裕
バルソトン・レオナルド
佐藤悠基
村澤明伸
矢野圭吾
高瀬無量
小野裕幸
2017年
8位
戸田雅稀
バルソトン・レオナルド
小野裕幸
村澤明伸
矢野圭吾
武藤健太
高瀬無量
2018年
15位
小野裕幸
バルソトン・レオナルド
武藤健太
村澤明伸
佐々木寛文
矢野圭吾
佐藤悠基
2019年
16位
我那覇和真
バルソトン・レオナルド
村澤明伸
佐藤悠基
高瀬無量
武藤健太
三浦洋希
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
その他スポーツ選手との所属・スポンサード契約
個人
団体
いずれもスポンサー契約。
過去の所属・スポンサード
スポーツイベント協賛
百福士(ひゃくふくし)プロジェクト
日清食品グループ創立50周年を迎えた2008年(平成20年)(本社設立の年でもある)、次の50年に向けて立ち上げた社会・環境活動プロジェクトが「百福士 ( ひゃくふくし ) プロジェクト 」[2] 。これは、創業者・安藤百福が社会活動に熱心だったこともあり、それにちなんだものであり、百福の遺志を次いで今後50年間に合計100の社会貢献活動を行っていくものである。百福士プロジェクトのテーマは「創造」「食」「地球」「健康」「子供たち」の5つが軸となっている。
ちなみに百福士 ( ひゃくふくし ) とは、江戸時代から外交使節団の代表を「正使」、その下で働く人を「副使」と呼んだ故事に習って、安藤百福の志を次ぐ日清食品グループ社員を指す[ 16] 。
主な活動内容
アフリカ事業化自立支援・Oishiiプロジェクト
自然体験活動指導者養成事業・“あやしいオヤジを、正しいオヤジに変える!”プロジェクト
チキンラーメン・カン(防災・備蓄 用長期保存缶)プロジェクト
お湯と生きるプロジェクト「インスタントラーメンのお湯でもSTOP温暖化 」
社員大ボランティア支援プログラム
走食系チルドレン育成プロジェクト
児童、厨房に入るべし!プロジェクト(食育 事業)
東北の未来プロジェクト(東日本大震災 復興支援事業)
チキンラーメン&カップヌードル保存缶プロジェクト
全日本育麺(イクメン) メニューコンテスト
脚注
出典
関連項目
外部リンク
ワールドワイドオリンピックパートナー ワールドワイドパラリンピックパートナー 東京2020オリンピック・パラリンピック ゴールドパートナー 東京2020パラリンピック ゴールドパートナー 東京2020オリンピック・パラリンピック オフィシャルパートナー 東京2020パラリンピック オフィシャルパートナー 東京2020オリンピック・パラリンピック オフィシャルサポーター 東京2020パラリンピック オフィシャルサポーター
理事 準理事 製造 建設 インフラ 情報・通信 運輸 卸売・小売 金融・保険 不動産 複合サービス サービス 教育・学習支援 自治体・ 大学・その他