どついたれ概要第二次世界大戦末期から戦後まもない時期にかけての日本社会を背景とした、手塚治虫の自伝的漫画の一つ。手塚の視点から戦中戦後を描いた作品には、他に『紙の砦』、『すきっ腹のブルース』などがあるが、この作品には手塚自身のほかに明確なモデルをもった人物が3人登場しており、前に挙げた作品とはやや異なった視点で描かれている。 『ヤングジャンプ』(集英社)において、1979年6月 - 12月に第1部が、1980年6月 - 11月に第2部が連載された。同誌の月2回刊時代に連載された第1部は、読者の受けが芳しくないことを憂えた手塚の判断で連載を打ち切った[1][2]。構想を新たに連載を再開した第2部だったが、同誌の週刊化[注釈 1]を控えた時期に、手塚の遅筆による休載を不安視した編集部の判断で打ち切りとなった[2]。手塚は掲載誌を変えて連載を続ける意思を持っていたが、実現には至らず、本作は未完に終わった[2]。 「哲」が物語の主軸に据えられているものの、作品には明確な主人公はなく、哲・高塚・葛城・トモやん・ヒロやんの5人が戦後辿った人生が、それぞれの視点で時に交錯しながら描かれている。 登場人物
登場人物のモデルについて前述のように、作中の4人の登場人物には実在のモデルが存在しており、ここでは高塚修(手塚治虫)を除く3人について述べる。 葛城健二は、ベビーカーなどを製造するメーカー「アップリカ」の創業者、葛西健蔵(かっさい けんぞう)がモデルであり、作中ではベビーカーがバックルに置き換えられて描かれている。健蔵は実際に実家から出奔しており、「アップリカ」は健蔵肝いりの「葛西乗物株式会社」に端を発する[3]。作中でも言及されているように、健造の父・丑松が運営する「葛西製作所[注釈 2]」が『鉄腕アトム』をあしらった学習机を売り出し、「キャラクター商品」のはしりとなった。また、このことがきっかけで健蔵と手塚は知遇を得る[4]。 健蔵は犯罪者の更生にも力を入れていた[5]。健蔵が津田友一(つだ ともかず)と廣瀬昭夫(ひろせ あきお)と出会ったのも、二人が刑事に傷を負わせ、その仲裁を健蔵に求めてきたためである[6]。二人はそれぞれ「トモやん」と「ヒロやん」のモデルであり、二人の邂逅も作品に描かれた通りである[7]。 手塚は健蔵と知り合って以降、更生活動に興味を抱いて健蔵に取材をしたこともあるが[8]、健蔵らと手塚との交遊が深まるのは、手塚が虫プロの倒産により多額の負債を抱え、健蔵のもとを訪ねてきたときであった。健蔵は手塚の描いたキャラクターの版権を一時的に引き受け、債権者から版権が濫用されることを防いだ[9]。また、手塚の窮状を小耳に挟んだ津田と廣瀬は、金融機関や高利貸しをまわって五千万円を工面し、健蔵に託した。手塚は受け取りこそしなかったが、二人の行為に大いに勇気づけられた[10]。この体験から、手塚は集英社より「自叙伝的な」作品の委嘱を受けた際、モデルとして自分とこの3人を選ぶこととした[11]。 2017年の時点で全員が故人となっている[12][13][14][リンク切れ]。 単行本
ラジオドラマ
『どついたれ〜大阪大空襲〜』(どついたれ おおさかだいくうしゅう)のタイトルにより、2015年5月25日の20:00 - 21:00(JST)にMBSラジオでラジオドラマ化された。毎日放送ラジオ局編成センターの島修一プロデューサーが企画演出、劇作家のオカモト國ヒコが脚本を担当し、手塚プロダクションの許諾を受けてラジオドラマ化される。演じる声は関西の劇団に所属する俳優が務める。 キャスト
スタッフ脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |