アスクビクターモア
アスクビクターモア(欧字名:Ask Victor More、2019年4月1日 - 2023年8月8日)は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍は2022年の菊花賞、弥生賞ディープインパクト記念。 馬名の意味は、冠名+「勝者」+「より多くの」(共同所有馬に用いる冠名)[2]。 戦績デビュー前2019年4月1日、北海道千歳市の社台ファームで誕生。2020年のセレクトセール1歳馬市場で廣崎利洋HD(株)に税込1億8,700万円で落札され、社台ファーム代表である吉田照哉と廣崎が共同で所有。育成の後、美浦・田村康仁厩舎に入厩した。 2歳(2021年)6月26日の2歳新馬戦(東京芝1800m)に戸崎圭太鞍上で出走。1番人気に推されたが、レースはのちに皐月賞を制するジオグリフの3着に敗れた[4]。その後、9月20日中山の2歳未勝利戦で1着となり初勝利を挙げた。 3戦目は10月23日に行われたアイビーステークス (L) を選択。ここでも1番人気に推されたが、結果はドウデュースの3着だった[5]。 3歳(2022年)年明け初戦で、田辺裕信に乗り替わりとなった平場の1勝クラス戦は1番人気に応えて1着となり、2勝目を挙げた[6]。 続いて3月6日の弥生賞ディープインパクト記念に引き続き田辺とのコンビで出走。アイビーステークスで自身を3着に下し、無敗で朝日杯フューチュリティステークスを勝利してJRA賞最優秀2歳牡馬に選ばれた先述のドウデュースが人気を集める中、3番人気に推された。レースではスローペースを2番手で折り合うと、直線で先頭に立ち、最後は好位から脚を伸ばすドウデュースの追撃をクビ差で凌ぎきり優勝、重賞初制覇を果たした[7][8]。本馬は同レース出走馬唯一のディープインパクト産駒であり[8]、父の産駒は弥生賞通算7勝目でサンデーサイレンスを超える最多勝となり、また産駒の出走機会6連勝となった[9]。 続いて、4月17日の皐月賞に出走。6番人気に推されたレースでは、内枠から逃げる形。終始デシエルトのプレッシャーを受けながらも最後まで踏ん張って5着に入賞した。鞍上の田辺は「デシエルトが行くと思っていたが、ゲートの出が良く相手もいなかったのでハナへ。注文がつかない馬なので、先生とも逃げるのもありと話していた。馬の能力を改めて感じたので次につなげたい」と振り返った[10]。 5月29日に行われた東京優駿に出走。7番人気で迎えたレースでは軽快に飛ばすデシエルトを見ながら離れた2番手を追走し、4角手前で進出を開始してラスト400メートルで先頭に立つ。最後は外からドウデュース、イクイノックスにかわされたものの、しぶとく3着に食い込んだ[11]。鞍上の田辺は「切れ味勝負は分が悪いので、ある程度、積極的にと考えていました。直線で余力があり、チャンスはあるかと思ったが、坂を上がって差されてしまいました」「負けたけど収穫のあるレースでした」と振り返り、管理する田村康仁調教師は「作戦通りに乗ってくれました。例年のダービーならこの時計は勝っている。悔いはないです」と評価した[12]。 3歳秋初戦として、9月19日に行われたGIIセントライト記念に出走。1番人気で迎えたレースでは、スタートを決めると好位3番手から手応えよく直線へ。3番人気ガイアフォースと馬体を併せ残り100メートルほどで前に出たが、ゴール前で差し返されアタマ差の2着に敗れた[13]。 10月23日に阪神競馬場で行われたクラシック最終戦であるGI菊花賞(阪神11R・芝内3000m)に出走。65年ぶりに皐月賞と東京優駿の連対馬が不在のレースとなり、先述のガイアフォースに次ぐ2番人気に支持された。レースでは58秒7のハイラップで逃げたセイウンハーデスの2番手につけ、2周目の3・4コーナー中間で先頭に立ち、7番人気ボルドグフーシュの追い上げをハナ差凌ぎGI初制覇を果たした。鞍上の田辺裕信、本馬を管理する田村康仁調教師は共に菊花賞初制覇であった。勝ちタイム3分02秒4は2001年の阪神大賞典でナリタトップロードが記録した時計を0.1秒上回るコースレコードとなった[14]。ディープインパクト産駒は種牡馬歴代最多となる菊花賞5勝目かつ、種牡馬歴代最多となるクラシック競走24勝目となった[15]。鞍上の田辺は「今日は目標とされる立場で、馬の力を信じて自分で動かしていったので、よく凌ぎ切ってくれました。抑え込むよりもマイペースでいたいと思い、ついていくにしては速いペースでしたが、馬が力まないように気をつけて走りました。」「まだ若い馬ですし、これから強い相手と戦うことも多々あると思うので、まだまだパワーアップして、もっともっとGIを勝ってほしいです」とコメントした[16]。 4歳(2023年)明け4歳は3月25日に中山競馬場で行われる日経賞で始動し、4月30日に京都競馬場で行われる春の天皇賞に向かうローテーションを田村調教師が2月22日に明らかにした[17]。田村調教師は「きょう(22日)入厩しました。馬体は20キロほど増えていますが、全然重くない。全体的にボリュームアップしています。山元(トレーニングセンター)の場長からも〝自信を持って送り出せます〟と。状態はいいですね。有馬記念を意識して中山芝2500メートルを使いたかった」とコメントしている[17]。 しかし、日経賞は9着、その後の春の天皇賞は11着と敗れ、宝塚記念11着を最後に休養となった。 秋への再起に向けて英気を養っていたものの、8月8日、休養中の放牧先で熱中症による多臓器不全を発症し、死亡した[18][19]。 競走成績以下の内容は、JBISサーチ[20]およびnetkeiba.com[21]の情報に基づく。
血統表
脚注注釈出典
外部リンク |