アルトゥール・ガチンスキー
アルトゥール・アンドレエヴィチ・ガチンスキー(ロシア語: Артур Андреевич Гачинский, 英語: Artur Andreyevich Gachinski, 1993年8月13日 - )は、ロシアの男性元フィギュアスケート選手(男子シングル)。 2011年世界選手権3位。2012年欧州選手権2位。 母方の姓ヒーリ(ロシア語: Хиль)でも競技歴があるが[1]、父親の希望で父方の姓ガチンスキー(ロシア語: Гачинский)を名乗ることになった。 人物ロシアの首都モスクワで生まれる。2002年からホームリンクのあるサンクトペテルブルクで家族と暮らしている。 趣味はインターネット、コンピューターゲーム、釣り、劇場通い、スノーボードなど。読書も趣味の一つでとりわけフィクションを好んでいる。好きな教科は数学。好きなフィギュアスケート選手はエフゲニー・プルシェンコ。幼少期にはロシアのメディアから「プルシェンコ2世」として紹介され、注目を浴びた。 経歴6歳の時にローラーブレードを買ってもらい、2000年からフィギュアスケートを学び始めた。 2002年、アレクセイ・ウルマノフ、アレクセイ・ヤグディン、エフゲニー・プルシェンコなど数々のオリンピックチャンピオンを育てた、ロシアを代表する名伯楽アレクセイ・ミーシンの門下生となり、9歳で母親とサンクトペテルブルクに移住。 まだジュニア年齢にも達していない2006年グランプリファイナルのエキシビションで3回転アクセルを跳び観客を驚かせた[2]。 2008-2009シーズン、11月に開催されたゴールデンスピンでシニアの国際大会デビュー、8位。2月の世界ジュニア選手権はインフルエンザにより出場を辞退した。 2009-2010シーズン、ミンスクアイスでジュニアグランプリシリーズ初優勝[3]。翌年3月の世界ジュニア選手権では初出場ながら銅メダルを獲得した。 2010-2011シーズン、シニアのグランプリシリーズにデビュー。ロシア選手権では銀メダルを獲得。欧州選手権ではロシア選手権で敗れたコンスタンチン・メンショフを上回る5位の成績で、世界選手権の代表に決まった。4月、東日本大震災によって急遽自国ロシアでの開催となった世界選手権に初出場し、銅メダルを獲得。ロシアに男子シングル選手としては7年ぶりとなる世界選手権のメダルをもたらした。 2011-2012シーズン、グランプリシリーズではジャンプのミスが響きファイナルへの進出を逃すも、欧州選手権ではSP、FS合わせて3回の4回転トウループに成功、銀メダルを獲得。しかし世界選手権では大会直前の靴トラブルの影響もあってか、SP冒頭のコンビネーションジャンプが2回転トウループ-2回転トウループとなるなど失敗、FSでも2度の転倒やジャンプ以外の要素のミスが目立ち、総合18位に沈んだ。 2012-2013シーズン、2013-2014シーズンは2年連続でロシア選手権の表彰台を逃す。2014年1月、モスクワに練習拠点を移しタチアナ・タラソワにコーチを変更した。また、アレクサンドル・ウスペンスキーやマキシム・ザボジンとも仕事を始めた[4][5]。 2015-2016シーズン、ロステレコム杯へエントリーされたが手首の怪我で欠場[6]。手首の怪我が回復することはなく、アマチュアからの引退を決意した[7]。 主な戦績シニア
ノービス-ジュニア
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プログラム使用曲
脚注
外部リンク
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