デン・ハーグ (オランダ語 : Den Haag [dɛnˈɦaːx] ( 音声ファイル ) デン・ハーフ/’s-Gravenhage [ˈsxraːvə(n)ˌɦaːɣə] ( 音声ファイル ) スフラーフェンハーヘ 、日本語では多くハーグ )は、北海 沿岸に位置するオランダ 南ホラント州 の基礎自治体 (ヘメーンテ )であり、同州の州都。事実上のオランダの首都 で、アムステルダム とロッテルダム に次ぐオランダ第3の都市でもある。
ハーグ内にはオランダ議会(スターテン・ヘネラール )と首相 官邸が立地するビネンホフ があり、王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館 なども置かれ、首都機能の大部分を担い、国内政治の中心都市である。そのほかにも、国際司法裁判所 や旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷 、国際刑事裁判所 等の重要な国際機関 が複数置かれ、「平和と司法の街」とも呼ばれる。一般に首都とされているアムステルダムは、憲法において首都と規定され、かつ王宮も存在するが、王室が大部分の期間ハーグに居住しているため実質的には離宮 であり、歴史的にも首都機能はハーグが担ってきている。
イングランド 王ジェームズ2世 が亡命してきたり、逆にオランダ王ウィレム2世 をイギリスへ亡命させたりした、緊密な英蘭関係を象徴する都市である。
北海に面した郊外に、行楽地であるスヘフェニンゲン がある。
名称
1900年頃の騎士の館 (Ridderzaal)
オランダ語 の名称には、 Den Haag(デン・ハーハ )と 's-Gravenhage(スフラーフェンハーヘ )の二つがあり、「伯爵 の生け垣(領地)」を意味する後者が正式名称で、これを略した前者が通常用いられる。
日本語 での表記「ハーグ 」(漢字の当て字は「海牙 」)は、Den Haag の語尾 “g”(無声軟口蓋摩擦音 )に相当する文字がないために、英語 風の読み方で定着したものと思われる。なお、古い時代の記述には英語の発音に倣って「ヘーグ」と書く例も存在する。
また、フランス語 では La Haye (ラ・エ)、スペイン語では La Haya (ラ・アヤ)、英語では The Hague (ザ・ヘイグ)と表記される。このようにDen、La、Theといった頭文字が大文字の定冠詞 を付け、さらにその後に続く名詞の頭文字をも大文字にすることによって地名であることを示す表記法が、冠詞を有する西欧・南欧諸語等の慣例である。
歴史
1868年 のデン・ハーグ
ホフ池 (Hofvijver) と国会議事堂
1921年には皇太子裕仁親王 が訪問した
1230年 、ホラント伯フロリス4世 は狩猟の場とするために、ホフ池の沼に沿った土地を購入し住居を設けた。1248年 、ホラント伯ヴィレム2世 がそれを宮殿に改築する工事に着手した。1256年 、ヴィレム2世は完成を見ずに死亡するが、工事はホラント伯フロリス5世 によって部分的に完成された。ビネンホフ にある騎士の館 (Ridderzaal) がそれである。
15世紀 初頭、ブルゴーニュ公 がホラント一帯を治めると、オランダ総督 を任命し統治を委ねたが、総督はこの地を政府とした。八十年戦争 が始まると城壁がなかったためにスペイン軍 に容易に占領を許した。1588年 にはネーデルラント連邦共和国 の政府が置かれた。1608年 よりこの地で八十年戦争の和平交渉が行われ、翌1609年 にアントウェルペン で休戦条約が成立した。
1806年 、ルイ・ボナパルト によってハーグは市に昇格された。ナポレオン戦争 後、ネーデルラント連合王国 が誕生すると、その首都はブリュッセル とハーグの2年ごとの持ち回りとなったが、政府は常にハーグに置かれた。1830年 、ベルギー が独立すると首都はアムステルダムとなったが、政府はハーグに置かれたままとなった。
1899年 と1907年 には万国平和会議 が開催された。第一次世界大戦 後、常設国際司法裁判所 が設置され、第二次世界大戦 後の国際司法裁判所 に引き継がれた。
1929年 8月、6日から31日にかけて、ヤング案 をめぐる第一回国際会議が開かれた。翌年に第二回が催され、ドイツ はヤング案を受諾。連合国はラインラント からの撤退に同意した。1929年2月11日すでにパリ でヤング委員会が開かれていた。
1974年 にはフランス大使館で日本赤軍 によるハーグ事件 が発生した。オランダとフランス は、屈辱的にテロリスト の要求を飲むこととなった。
行政区
行政区
デン・ハーグ基礎自治体には以下の行政区がある。
Centrum
Escamp
Haagse Hout
Laak
Leidschenveen-Ypenburg
Loosduinen
Scheveningen(スヘフェニンゲン )
Segbroek
国際機関
国際司法裁判所 が設置されている「平和宮」
国際刑事裁判所
ハーグには150もの国際機関 が存在するが、平和・司法の国際都市となった基礎は1899年 と1907年 に開かれた万国平和会議 である。この結果、世界初の国際紛争 処理機関として常設仲裁裁判所 (PCA) が出来た。それから間もなく米富豪アンドリュー・カーネギー が資金を提供して平和宮 が建設されPCAの建物となった。国際連盟 が出来るとハーグに常設国際司法裁判所が置かれ、第2次大戦後は国際司法裁判所 となった。1981年 のイラン・米国紛争法廷、1993年 の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、2002年 の国際刑事裁判所などの設置によりハーグは国際法律問題調停の地位を確立していった。現在、ニューヨーク に次ぐ国連都市であり、国際会議の中心地として重要性が高まっており、ハーグ市では「法律の世界首都」そして「平和と司法の国際都市」としてのブランド化を目指している。
観光
スヘフェニンゲンのクールハウス・ホテル
交通
空港
最寄の主要空港は、アムステルダム・スキポール空港 である。デン・ハーグHS駅 より鉄道で約30分である。
道路
市内中心部(中央駅横)まで高速道路A12が乗り入れている。この道路は途中から欧州自動車道路 E30, E35となり、ユトレヒト を経由してドイツのオーバーハウゼン まで延びている。
また、デン・ハーグ郊外のインターチェンジ (Prins Clausplein ) でA4、A13(欧州自動車道E19)と接続しており、アムステルダム やロッテルダム へ直通できる。
鉄道
オランダ鉄道 (NS) の主要駅であるデン・ハーグ中央駅 とデン・ハーグHS駅 が市内中心部にある。
デン・ハーグHS駅 はアムステルダム とベルギー のブリュッセル を結ぶ幹線路線上にあり、アムステルダム中央駅 、スキポール空港駅 、ロッテルダム中央駅 、ユトレヒト中央駅 へ10分に1本以上のパターンダイヤで列車が走っている。ブリュッセル へは1時間に1本、また、パリ北駅 への高速列車Thalys もこの駅に停車する。
ランドスタット鉄道
HTM(ハーグ市営交通会社) とRET(ロッテルダム電鉄) がズーテルメール やロッテルダム との間の3路線を運行している。市内中心部(Grote Markt〜Spui)は地下路線を走っている。
トラム
HTM(ハーグ市営交通会社) が10路線を運行している。1系統は隣の街のデルフト まで路線が延びている。
スポーツ
脚注
関連項目
外部リンク
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